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 そうして一連のオリエンテーションを終えた頃には昼間の葛藤なんてものはとうに過ぎ去っていて、生贄とも言える選抜チームは各々表情を曇らせながら別室への移動を開始していた。
 選抜チームは一班に四人、女装をする男子がふたりとその化粧を施す女子がひとりずつ、残りのメンバーは全員最終日の夜を飾るにふさわしい多目的ホールの掃除や食堂の準備に追われていて、誰一人として手が空くことはない状態で夜を迎えることになりそうだった。
 選抜チームが化粧をするのは各々が寝泊りに使っている個室で、慣れているからか表情に変化すら見られない蓮と、どうなるのか想像ができないからこそ複雑そうな表情をしている恭祐が溜息を吐きながら部屋へと脚を踏み入れた。
 部屋へと辿り着くまでの道中には既に内密的な賭け事も始まっていたようで、絶対恭祐が一番化けるだろ、という賛辞を背中に聞いては同感だと蓮も頷くことしかできなかった。




 変なことに巻き込まれたと当初は機嫌が悪かった恭祐だったけれども、個室で化粧を始めるときになれば意外と楽しそうに笑っていて、元の顔の造りが良いからか周囲に持ち上げられ褒められればそれだけで気分も浮上しているようだった。
「…………単純」
「え?」
「恭祐。嫌がってたのに、すげえノリノリ」
 マジ餓鬼、と蓮が口角あげてふっと笑えば、千華はくすくすと微笑みながら恭祐を見やる。
 チームごとに同じ部屋で化粧をしているからこそすぐ近くに居るものの、お互いの完成までは見ないようにしようという恭祐の悪戯めいた提案のせいで部屋の端と端へとすっかり隔離されてしまっている。
「あー、ほんとだ。でも似合うよね、なんだろう、オーラがあるっていうか……何しても似合っちゃう感じ?」
「分かる。イケメンの特権な、それ」
「あは、そうなのかな」
 どっかの誰かと一緒、ずっけえの、とは心の内にのみ留めて千華を見上げると、彼女は酷く真剣な顔をしながら手際良く蓮の短い髪を耳にかけていて、どう料理しようか蓮の顔色と自前の化粧品を比べ存分に吟味し始めているようだった。
 とりあえずと言わんばかりに蓮の前髪をピンで留めてからは、じいと覗き込まれていたけれども、異性から見られることに慣れていないがためについ目を背けてしまうことも仕方のないことだった。けれども千華はそんな蓮の様子を気にしていないのか遠慮がちに蓮のほっぺをぷにっと人差し指で触ると、驚いたように大きな眼を見開いてくる。
「えー……すご、ぷっにぷに……蓮くん肌きれーだね、なにかやってるの?」
 子供みたい、と悪気なく付け足されたそれに蓮が苦笑して、自分でももう片方のほっぺたをいじりながら普段の様子を思い出す。
「や、自分ではそんなに……つか全然放置だけど」
 風呂場で適当に健悟の使ってる洗顔フォームを拝借して顔を洗ってからは、ただタオルでガシガシに拭いてそのまま放置、けれども健悟が家にいれば必ずといっていいほど値段の張るだろう液体を顔中にぶっかけられて延々と揉み込まれているのだから、もし肌の調子がいいとすればそのせいに違いない。
「よし、じゃあ始めよっか」
「おないしゃーす」
 軽い蓮の挨拶ににっこり笑った千華は、そのまま蓮の顔中を隅々とチェックしたあと、ごめんねーと謝ってからぐいぐいと顔中を押してくる。
「!?、ちょ、いって、」
「うんゴメンねー、我慢してー」
 痛いと蓮がもがけどもマッサージだと軽くあしらわれてしまい、毎朝行っているらしい千華の努力には苦々しい顔をしながらただひたすら耐えることしかできなかった。
 マッサージが終われば顔が変形しているのではないかと不安になりながら思わず輪郭を抑えてしまったほどだ、そしてそこからは説明を加えてもらいながらもまったく理解できない塗装品が次々に顔を覆っていって、何度目かも分からない感覚に何度やっても慣れないと苦汁を示してしまった。
「ねー、チカちゃん、俺も見たい」
「うん。だめー」
「…………」
「あ、口尖らせないで、顔歪めちゃだめっ」
「…………はーい」
 蓮に鏡も持たせることなく化粧を施していく千華は自分の見え方のみで蓮の化粧を進めていて、上向いて、下向いて、真っ直ぐ見て、顎ひいて、と次々指示の出る工程には、適当に色を乗せていただけの利佳のお遊びとはどこか違う気迫のようなものを感じていた。
 だからこそ蓮は、ただひた向きに真剣な顔で化粧をする千華に身を任せ、どうとでも料理してください、と諦めたように身体を投げ出すことしかできなかった。
 長く長い時間を掛けられた化粧が終われども、まだ離すことはできないとばかりに鬘を手渡されてしまい、千華のつけたヘアピンを自分で移動させながら装着しようとすると、その手際があまりにも慣れてしまっていることを千華に突っ込まれてしまった。
 まさか健悟がいつもやっているのを横で見ているからとは言えず、何回もやってるから、と無理矢理誤魔化したけれども、さすがに勘の鋭い女性の感性を欺けているかの自信は一切持つことが出来なかった。
 鬘は鬘でもただ被るだけでは許されず、そこからは千華がわざわざ自分の部屋から持参した二種類のコテで内巻きに内巻きにとさらに髪の毛を弄られて、座っているだけでも疲れると何度溜息を漏らしたか数えることすら諦めてしまった。
「―――でーきた!」
「………………っつかれさまー」
 そしてそこから鬘の微調整やメイクの仕上げ、肝心の衣装の着方まで逐一教えてもらいながら数十分が過ぎ去った。
 たかが数十分不自由にしていただけだというのに次から次へと指令が来ていた蓮は既にぐったりしているようで、いままでされたどんな化粧よりも疲れる数十分だった、と、随分重くなった睫毛をしぱしぱさせながらこっそり思う。
「ん〜っ、つかれたぁ〜」
 良い仕事した〜!と首を鳴らしてから蓮を見やる千華は随分と満足そうで、蓮はお互い様だと言わんばかりに深く頷く。
「……女子ってすごいね、超疲れるわ」
 俺男で良かった、と言いながら負けじと蓮が首をならすと、千華はようやく大きめの手鏡を用意して、この上なく楽しそうに微笑みかけてきた。
 酷く疲れきった蓮とは、随分と高低差のある温度をもってして。
「れーんくんっ、見る?見る??」
「あー、うん。見たい」
「……反応薄いなぁー」
「だってごめん、だいたい想像できるもん、俺」
「……ふうーん?」
 何回やらされてると思ってんの、と何の自慢にもならない過去を振り返りながら蓮が鼻で笑うけれども、千華はその言葉を聞いてもなお楽しそうに笑っていて、むしろその次の瞬間には、酷く攻撃的に蓮に鏡を渡してきた。

「…………でも想像より百倍かわいいよ、きっと。―――今日の蓮くんは」
「え?」

 にや、と得意気に笑った千華の顔が蓮から見えたのは一瞬、その直後に千華は両手で持っていた鏡をばっと勢いよく、蓮の眼の前へと翳してきたからだ。
「じゃーん!」
「!?」
 そして、随分と満足げにしたり顔を浮かべる千華の目の前で、蓮はひどく驚いたように眼を大きく開く。
 
「………………へ、」

 理由と言えば、―――自分が想像していた人間が鏡の中に居なかった、それだけだ。




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あきゅろす。
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