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* * *



 ―――一方で、そんな風に鬱々と受け止められていることを一切知らない蓮といえば、健悟の心配も余所に携帯電話も気にすることなく相も変わらず恭祐の隣りで笑っており、何の障害もないとばかりに日常を過ごしているようだった。
「え、どれ?これ?」
「うーわマジでー!?」
 ギャハハハ、と絶えず笑いが巻き起こっている場所と言えば蓮がいる合宿所の多目的ホールのど真ん中、班ごとに分かれて集まっているグループの中には似つかわしくないものが二点並べられており、それを各々が確かめるように触りながらがやがやと騒ぎ立てているようだった。
「つーかなんでコレなんだよ!」
「恭祐が当てて来たんだろ、……くじ引きで」
 はあ、と溜息を吐いた蓮に賛同する者はひとりも居らず、全員が見つめる先は場の中心を占めるもの、恭祐の手中にすっぽりとおさまっている―――ふたつの衣装に目が釘付けになっていた。
 事の始まりを聞かされたのは今後の大学生活の説明についてのオリエンテーションを終えた昼飯前、突然別室にて班長によるくじ引きが行われたと思ったら、戻ってきた恭祐はハンガーにかかっているふたつの衣装を両手に困惑顔をしていたのだった。
 ドッキリに酷似するが如く発表されたお遊び企画を考えたのは二年生の先輩幹事、毎年恒例になっている最終日の大交流会ではメンバー間の親睦を深めることを目的として、グループ内で選抜された二名による女装大会が催されることをいま初めて聴かされた。人を覚えるため、男女仲良くするため、とってつけたような理由に蓮が明らかに面倒臭そうな顔をしていたけれど、すべての企画を二年が考えていたと聴き、だから毎日こんなに緩かったのか、と納得してしまったことも事実である。
 各々のグループからの選抜方法といえばジャンケンの掛け声や推薦の声が続々とあがっていて、例にもれず恭祐の班も役割が決まりつつある。
 蓮がタイプだと言っていた女子にこそこそと耳打ちした恭祐はそのまま彼女の背中を押して、蓮のもとへ断りにくいお願いを繰り出させる。
 彼女の後ろでにやにやしている恭祐に気付いた蓮の答えといえばもちろん「恭祐がやるなら良いよ」の一点張りで、想定外の答えに止めに入ろうとした恭祐と、合宿の目的通り結束力強くその恭祐を止める班員の姿があった。
 ざまあみろ、と呆れた溜息ひとつで恭祐を攻撃した蓮は女子が持っている衣装を受け取ると、ハンガーを持ってその大きさを確かめる。
「着れっかな」
「コスプレ用みたいだし、大丈夫じゃないかな」
 ウエスト緩そうだし、と言う女子と一緒に衣装の着方を確認していると、意外、とぽつり小さな声で漏らされてしまった。
「?なにが?」
「あんまり嫌がんないんだね」
「これ?」
「うん。もっと嫌な顔すると思った」
 水色の衣装を掲げながら蓮が問えば、相も変わらず清楚そうな柔らかい微笑みと共にふわりと笑われる。
 どんなイメージですか、と蓮が苦笑しながら思い出すのは高校生の文化祭、比較的身体の小さい自分は女装要員とでもいうようにいつでも化粧されていたからこそ、目立って拒絶するまでの元気は湧いてこなかった。
「まあ、わりと着させられてたし、ねーちゃんも居るしね」
「そうなんだ、ふたりっ子?」
「んーん、あとにーちゃんもいる」
 へえー、と大きく頷く女の子はそこに居るだけでもほんわかとしたオーラを放ってくれて、こういう空気良いなあ、好きだなあ、と此処には居ない男には欠如しているだろう要素をしみじみと噛み締める。
 そういう意味では付き合う前の方が落ち着きも安らぎも、余裕すらあった気がするんだけど、と小さく溜息を漏らしそうになった瞬間、突然、両肩をぐいと掴まれたままぐらんぐらんと揺らされてしまった。
「ちょっとぉー、イガのせいで俺も決定になってるんだけど〜〜!」
「おー……オメデトーゴザイマス」
 放せ、と肩を振り上げて恭祐を見ると、納得いっていないのか唇を尖らせながら明らかにコスプレ用といったてろてろの衣装を右手に下げていた。
「なに怒ってんだよ。こっちの方が良いのか?そっちの方がおまえらしいけど」
 普段殆どそんなだろ、と恭祐の持っている鬘を指差しながら言えば、心外だとも言いたげに顔を歪められてしまった。
「えー、蓮くんこっちの方が似合いそうじゃない?」
「なにそれ、似合いたくねえけど、別に」
 蓮の手中にあった水色の衣装を取り上げて、軽く合わせながら本気で悩む女子にうっかり笑ってしまう。他にどんな衣装あるんだろうね、と集団で話し始めた女子は意気揚揚と他の班へと偵察に向かったようで、蓮は再び恭祐を真っ直ぐに見つめる。
 恭祐の手中にある衣装は以前高校の文化祭で着させられたこともあるからこそ、抵抗なく蓮は恭祐に再度問うたけれども、恭祐は二、三度ふたつの衣装を見比べて諦めたように自分の衣装をひらひらと揺れ動かした。
「……いいですよー、そっちもともとキンパのキャラだしぃー。譲ります〜」
「関係ねーだろ、それ」
 どうせ鬘つけんだから、と鼻で笑った蓮はその不本意そうな表情を見てようやく、もしかして外国に住んでいたときに一度も女装したことがなかったのだろうかという結論に思い至った。
「なあ恭祐、おまえ女装初めて?」
 にやにやと口元を緩めながら蓮が問うと、恭祐は嫌そうに首を縦に動かして、想像もできないとばかりに顔を歪め始めた。
「……ったりまえじゃん、俺女兄弟いないしー」
「あー、たしかにねーちゃん居っとやらされんだよな……じゃ恭祐あれ?にーちゃんか弟はいんの?」
 俺もにーちゃん居るんだよね、と何気なく付け足そうとした一言だったけれど、何も考えずに訊いた問いに対する答えは数秒待っても返ってくることはなかった。
「、――――……」
「…………?」
 頷きは愚か表情ひとつ返って来ない―――それどころか、一瞬、ひどく無表情になった恭祐を初めて見てしまったからこそ、シカトかよ、と軽々しく突っ込める空気が無いことだけはわかった。
「、」
 妙な空気を察しながら、次に続く言葉無く恭祐の返答を待っていると―――。
「―――あ。蓮くん、あたし化粧してあげるね」
 偵察から戻ってきた女子にポンと肩を叩かれて、思わず背中が跳ねてしまいそうになった。
「、……あー……、ありがと。えーっと、」
「高崎千華(たかさき ちか)。チカで良いよ」
「チカちゃん。ありがと」
 若干の冷や汗を流しながらつくった笑顔で御礼を言えば、頑張るね、と無駄に意気込まれてしまった。
 けれどもそんなことよりも気になることは先程の恭祐の態度であり、話を中断した様子が余りにも不自然すぎて心配になってしまう。
「……?」
 ―――さっきの、一瞬の間はなんだ?
 いつも何も考えずずっと笑っているような恭祐が、初めて戸惑うように動きを止めていた。まるで、何かを思い出すかのように。
 蓮のもとから離れた恭祐は別のグループに混ざって何食わぬ顔で話しを始めているからこそ、わざわざ聴き直しに近づくのも明らかに可笑しい空気がつくられる。
 推測すれば、合宿に行く前に喧嘩してきたとか、訳あって離れて暮らしてるとか…………まさか、亡くなってたりしねえよな?
「…………ヤベ」
 考えれば嫌な想像など幾つも浮かんでしまうからこそ、蓮はその考えに決別をして、まあ、そのうち、と無理矢理自分を宥めることにした。
 ―――もちろん、恭祐のあの表情だけは、頭の片隅には確実に置いたまま。




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