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「―――ナイショねっ?」
「…………」
 しかし影を帯びた表情を表に出したのはたったの一瞬、蓮が口を開こうとしたその瞬間には恭祐は既にへらっと誤魔化すように笑っていて、テーブルの上に置いてあるリモコンに手を伸ばしそのままテレビの主電源をオンにした。
「ねーイガ、なんかテレビみるー?この時間面白そうなのやってたっけー」
 わざと音をつくり話し出す恭祐からは何の感情の起伏も見られなかったけれど、誤魔化すように遮られた言葉は蓮にしっかりと届いていたからこそ、蓮は恭祐の真面目な顔を思い出し吃驚しながら少しの間考えてみた。今までの自分のことと、今の恭祐の言葉の意味を。
「――――……つか別に、それも欠点じゃなくね?」
 そして辿り着いたのはやっぱりさっきと同じ結論、欠点を訊いたはずなのにどこか違った見解は蓮の中で僅かな違和感に育っていて、蓮は我慢できずに思ったままに感情を吐露していく。
「え?」
「えじゃなくて。つかおれもお前の歳んとき、そうだったし。……や、歳とかの問題じゃなくて、…………いまのヤツに逢うまで、って感じだけど」
 思い出すのは自分の人生すらも大きな方向に変えてしまったたった一人の人物、影響されて変化した自覚が大いにあるからこそ蓮は一年半前の自分を思い出しながらぽつり話を続けていた。
「むしろ俺なんかあいつと高校生のうちに逢えてスゲーって思ってたのに。おまえそんなの全然欠点じゃねーじゃん、まだ十六なんだろ、十六」
「……えー、だってさぁ、…………どの子と居ても楽しくないんだよぉー?誰といたってさ、誰とシたってさ、気持ちーけど、なんだろぉ……こっちはぜんっぜんきもちくないんだよ?なんかオカシイなーって思わないー?」
 こっち、と言いながら胸を抑えた恭祐は本当に悩んでいるのだろうか、いつになく真面目に問い掛けてくる姿に新たな一面を見たと驚きながらも、乱れた話題に眉を顰めてしまうことも仕方のないことだった。
「……おっまえそれは、誰彼構わずヤってんのが悪ぃんだろうが」
「え〜、だってー、シててきもちかったら、一緒に居てもきもちーかなぁって、思うじゃーん」
「はあ?んだそれ、おまえ頭良いのにすげーバカだな」
「えー?」
「シてきもちーんじゃなくて、好きだからきもちーんだろ」
「―――」
 何の躊躇いも無く蓮がそう言い切ると、恭祐はまるでその発想などなかったとでも言うようにピタリと動きを止めて蓮を見つめる。
「おまえさぁ、んな根本的なとこ間違えてたら好きになれるもんもなれねーわ、俺そういうのスゲー嫌いだし」
「えー…………だってさぁ、だってさぁー……」
「そんな気持ちいとかなんとかは好きになってから言えよ、逆なんだよ、大体。好きで好きでちょーーー好きで、もうすっげえ、手も出せねぇくらい好きんなってから悩めっつーの、そんなこと」
 ふん、と鼻息荒く蓮が言い切った理由と言えば当然自身が経験した苦い記憶を呼び覚ましてしまったからに他ならない。
「…………ケーケンシャ?」
「……だったらなんだよ」
 探るように聞いてくる恭祐の視線を一蹴して、ふんと胸を張って答えれば恭祐はまるで酷く驚いたかのように眼を見開いて、蓮を上から下まで舐めまわした。
「えぇー……めっちゃ好きじゃん……」
「……だからそう言ってんじゃん」
 吃驚するように呟いた恭祐につい笑ってしまったのは、自分でも大概だと思っている自覚があったからだ。
 何度も言うな、と恭祐に繰り返しながら、勢いに任せて言い切った台詞の数々を思い出せば若干の恥ずかしさも伴い、絶対に健悟には聞かせてはいけない言葉ばかりだと一人勝手に自分の頬が赤いことを自覚した。
「イガさぁ、もしかしてその相手で脱チェリだったりすんのー?」
「……………………あたりめーじゃん」
 未だ童貞だけど、という言葉を数秒飲みこんだのは己の小さいプライドのせいに他ならない、脱童貞は果たせずとも特定の行為を初めてシたのは健悟だけなのだから、ニュアンス的に間違いではないだろうと無理矢理自分を宥めてやった。
「えー、いっぱい色んな人と遊んでみようとかさぁ、あっちの子もかわいいかもとかさぁ……そういうの全然思わないわけ〜?」
「はぁ?……おまえね、バカなの?おまえの周りみんなそうなわけ?」
 呆れるように言い放つ蓮に対して、返事とも言えるようにただ首を傾げているのは蓮からの言葉を肯定しているようなものなのだろう。
「ぜんっぜんわかんねぇな。だって別に、一生にひとり居れば充分じゃん」
 腕を組みながら至極当たり前のように普通に言い切れば、何の疑いも無く放たれたその一言に恭祐は驚いたかのように言葉を繰り返した。
「一生に、ひとり……」
「ん」
 ぽつりと小さく呟かれた言葉に蓮が頷くと、若干の沈黙のあと、恭祐は今迄のトーンとは異なるような小さな声で質問を投げてくる。
「……じゃあイガは今の彼女と結婚するの?卒業したら??」
「は?」
 ずいと机に寄り掛かりながら蓮に近付いてきた恭祐はきらきらとした眼をしながら興味を隠さずに訊いて来たけれど、「結婚」というキーワードなど事実考えたことがなかったと、蓮は小さく声を漏らしてしまった。
「あー…………」
 つい机上に眼を向け考え込んでしまったのはそのキーワードについてつい考え込んでしまったから、自分には、自分と健悟には縁がないだろうと思ったからこそ若干の戸惑いが生まれたけれど、なにも紙上の契りだけではない、一生を共に歩む覚悟を宿す言葉なのだろうと解釈すればそれだけですとんと胸に馴染んできた。
 死ぬまで一生隣に居る覚悟などとうに出来ている、だからこそ蓮は、再度恭祐を直視しながら誤魔化さずに言葉を続けていく。
「結婚とか、……んなんは実際分かんねぇけど……、つかでも、するとしたらあいつ以外無いだろうし。……いまからそうやって思えるくれーには、好きなんじゃね?俺も」
 一生に、ひとり。
 重く深いそのフレーズだというのに臆することなく呑み込めて、身体の芯から受け入れられるくらいには、この短い間で必要不可欠な存在になっているのだろうと改めて気づかされる。
「…………すげ」
「すごくねぇよ、ぜんぜん」
 蓮の決意にも似た表明を受けた恭祐から返された声といえば、いつもの彼から発されることはないような口調と声の小ささだった。
 それに気付いた蓮がふっと笑いながら首を振る理由といえば、口には出さない感情が胸の奥で渦巻いていたからだった。だって、実際に健悟の前に立ってみればいまこうして過ごしているかのような余裕なんて一瞬で吹き飛ばされる、健悟がメディアで取り上げられるたびに遠い場所に居る人間なのだという恐怖が勝り、恭祐ではないけれど、はやく、とにかくはやく自分が成長しなくてはと焦燥に似た感情を持てあますことがあるからだ。
 全然すごくなんてない、まだまだ未熟なばかりの恋愛だけれど、それでもきっと、「一生にひとり」そのフレーズに見合う相手は、たった一人しか思い浮かばなかった。
「……おまえならすぐ見つかるとかそんな無責任なこと言えねぇけど、まぁ大学ってまわりに人増えてくし? ……ひとりだけ、見つかると良いな」
「…………」
「そしたら俺、すっげー協力するわ!」
「……うん。ありがとー」
 へらっと笑った恭祐は今までよりも数段柔らかい表情で眼を細めていて、少しは胸の閊えが取れたのだろうか、人を出し抜くような悪戯性を帯びたいつもの笑みとは百八十度違っているからこそ、蓮はたまらないとばかりに自分の口元を軽く押さえながら恭祐をじっくりと眺めてしまった。
「……なにおまえ、かわいいっ……!」
 これが萌えってやつか、と頭でうっすら思いながら、不覚にもその笑顔にときめいてしまった自分を隠さずに恭祐の頭をわしゃわしゃと撫でてやる。
「おれだめなの、なんかそういう、ふわっと笑われるのに弱いんだって……!」
 今のはマジでかわいかった!と隠さず告げる蓮は、健悟とは随分異なるふわふわと髪の毛をよしよしと撫でていて、恭祐はその明らかな年下扱いにぷうと頬を膨らませて先程の笑顔を取り消してきた。
「えーなにそれー、男だから良いけどさー、女の子なら勘違いされちゃうよー?」
 気を付けてよぉー。彼女大事にしてー、と説教じみた論議をぶつけてくる恭祐に、してるしてる、と言いながら蓮は恭祐の頭を撫で続ける。男でも勘違いされてるけどな!とは、勿論言わぬがままに。
「―――あ」
「ん?」
 そして、ふと恭祐を見ながら気付いてしまった事実があると、蓮は分かりやすく口を開いていた。
「やば、おれ気付いちゃった……どうしよう、おれ年下の友達って初めてだ……」
「あれ、後輩とかいなかったの?」
「いねーよ、おれ帰宅部だし……」
 そういえば、と唇に手を置き考える蓮はゆっくりと地元の交友関係を考えてみたけれど、大体つるんでいたのは四人組、近所に年の近い学生も武人くらいだったからこそ、やはり思い当たる人物はひとりとて存在しなかった。
「えー、じゃあどうする?蓮センパイ、って呼んであげよっか?」
「…………」
 そう言いながら小首をかしげる恭祐はすっかりふざけたように笑っていたけれど、引き続き、きゅんと胸が騒いだ気がするのは蓮の気のせいではないはずだ。
「蓮セーンパイ」
「…………はい」
「ちょっとっ!」
 はいじゃないよ!と笑う恭祐につられて蓮もふき出したけれど、むずむずと落ち着かないような、どこか緊張するような初めての居心地の良さを感じているようだった。
「だって!マジおれ、下に兄弟とか居ないし、つか末っ子だし。……ちょっと新鮮で良いんだけど。どうしよ」
「なにフェチ、それ?」
「……そんなフェチねーし」
「えー、じゃあなにフェチなの、イガ」
「え?えー……うーん…………」
 いざ何フェチかと言われれば即答できず、つい健悟を思い出しながら暫し長考すると、恭祐はぶはっと笑って蓮をからかってくる。
「うわーうわーいま絶対彼女思い出しながら言ってた〜うわ〜〜」
「!!っせぇ!」
「えーいいなぁ〜、イガが別れたらおれ、イガの彼女と付き合おうー。そのときはちゃんと紹介してネー?」
「……てめぇ」
 えへ、と可愛くもないぶりっこをわざとらしくしてくる恭祐は悪気があるのかないのか、先程の蓮の助言を全て棄て去るようにオネダリしてくるものだから、蓮は思わず机の下で再び恭祐の脹脛を全力で蹴り付けてやる。
「さっき別れねぇって言ったばっかだしつーかそういう問題じゃねえって言っただろうが。あァ?」
「ったい!たい!ごめんってばぁ!」
 ぎゃあぎゃあと分かり易く騒ぐ恭祐はすぐに反省したと口先だけで告げていて、いじけながら机に肘をついて小さな顔を乗せていた。
「えー、もー、じゃあ良いよ〜おれイガと付き合う〜別れたら言ってぇ〜」
「ふざけてんじゃねえよ、バカ」
「ふざけてないもーん、ほんとだもぉーん」
「余計わりーわバカ、おれオトコ」
「えー。関係ないよ〜、おれがずっとアッチ居たのもあるけどぉー」
「…………(は?)」
「あ。でも付き合ったことはないんだけどネー」
「…………」
「楽しいんなら、つかドキドキさせてくれるなら?男の子でもぜんぜん良いのになぁ〜」
「…………」
 あーあ、と溜息を吐く恭祐は多大なるカミングアウトをしているという自覚は一切ないようで、やましいところがあるぶん明らかに顔を引き攣らせてしまった蓮は、恭祐が外国に住んでいたという過去を思い出し脳内処理の方向性を暫し考え続けていた。
 男と付き合ったことがないにしろ、まるで身体の関係はあったかのような含んだ言い方をされたけれども、あえて探れば此方のボロが出てしまいそうで拳を握って必死に耐えることしかできない。
 なんでも手に入るだろう男がこれだけ悩むなんて、きっと相当我慢していることなのだろう、軽く言ってるように聞こえるけれど過去に何があったのかそこまでは流石に聞くことはできなかった。
「……イーガ」
「あ?」
「これからよろしくねー、よねんかん、かな?」
「…………おー」
 けれども、これから四年間、きっと近い場所に居るだろう男の力になってやれたらいいと、オリエンテーション一日目の総括としてはそう感じたことが一番の収穫だったように思える。
「たまにはセンパイって呼んであげるネ」
「!」
 口元に手を寄せながらこそりと告げてくる恭祐に、一瞬ドキッとさせられたのは普段慣れていない呼び方がムズ痒かったのか、それとも無条件に先輩として頼られる嬉しさからなのだろうか。
「ほらやっぱぜったい年下フェチだよぉ〜!」
「……っせぇ、もういいから飲め、おめーも!」
 けらけらと笑う恭祐は蓮よりも随分上手に見えるけれども、当初の意見とは正反対、うって変わって酒を注ぐ蓮はまるで酒で誤魔化そうとしているようで、アルコールが回るほどに楽しくなり会話が段々と弾んでいくことが空気で分かる。
 今日一日色んな人と話したけれど、大学の女子と仲良くなるよりも断然恭祐と話している方が楽しいと思ってしまった。自分の知らないことをたくさん知っている恭祐は色々と少しずつズレている気がしたけれど、そこは先輩と言われた手前自分の方がお兄ちゃんなのだから、これからゆっくり直してやれればいいと、そんなことを思った。

 ―――そしていつか仲良くなって、健悟のことを告げられるようになったらきっと、…………死ぬほど驚かれるんだろうなぁ。





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