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「、つか」
「んー?」
ハッと意識を取り戻した蓮の視界に入ったのは、どばどばと微塵も躊躇うことなくグラスに酒を注ぎ続ける恭祐の姿、先程聞いた年齢にはそぐわぬ飲みっぷりに、今更ながら急いで茶色のボトルを取り上げる。
「てめっ、未成年どころじゃねえじゃねえか!!!」
「あー。おれが買ったのに〜」
「よく買えたなあんな堂々と!!アホが!!」
恭祐と同じ十六の頃から飲んでいた自分を棚に上げるように蓮が叱咤するけれども、恭祐は一向に怯むことなくテーブル越しに蓮の腕からウイスキーを取り返していく。
「まぁまぁ、イガぁ、レクレーション一日目よ?まあまあ、……まあまあ」
小さく頷きながら、責任感や何かに燃えているらしい蓮を宥めるように金の髪が垂れる肩をポンポンと叩いて、そして―――。
「――――俺も、これ、忘れるからサ?」
そう言いながら恭祐の人差し指が向いている先はふたりが座る机の真下、言わずもがな蓮の爪先―――親指と人差し指の間に咲く花を指差しながら、まるで目には見えない剣で的確に弱点を突いてくるかのようにわざとらしく笑ってきた。
「……………………頼むから、……それは忘れろ……」
散々見られた赤い痕を思い出しダメージを受けるのは他でもない蓮の方、恭祐の視線から逃げるようにそのきれいな顔に優しく平手打ちをして、己の視界から逸らすことしかできなかった。
「あー…………くっそ、―――……で?……マジで?」
ガシガシと髪の毛を掻きながらも渋々恭祐に従った蓮は探るように恭祐へ問い掛ける。机の向かい側に居る恭祐を見上げる蓮の本心といえば未だ疑心に満ちていて、恭祐は懲りないなあと言わんばかりに鞄から己の財布をとりだした。
「マジマジ〜、あ、ほら。学生証〜〜」
そして、おもむろに取り出したそれには正真正銘蓮よりも二つほど若い生年月日が記されていて、大学生と名乗るにはアンバランスすぎる顔写真を眺めながら不思議な気持ちが募って行った。
「…………うーわ、ひくわー…………」
「えーっ!」
理不尽な蓮の言い分に恭祐はぷりぷりと怒りながら学生証を自身の財布へとしまい直し、それと同時に説明するように口を開く。
「まぁでも、おれ学部と修士あわして5年で一貫だし、ちょーっとカリキュラムとかも違うしねぇー。一緒に居たらまぁいずれバレるんだけどぉー、……あはっ、でもちょっとイガのその顔、おもしろかった」
「てっめぇ……!」
いくら今現在眉を顰められたとしても、恭祐の頭に浮かぶのは先程のような目を丸くした蓮ばかり、正直すぎる反応にくすくすと恭祐が笑っていると、蓮は自棄とでもいうように酒を呷って、テーブルの下から恭祐の膝を蹴りつけてやった。
「つかなんで飛び級、おまえそんな優秀…………には、見えねえけど?」
「ちょっとぉー」
こら!と続く恭祐の軽い怒りに無視をして、蓮が訝しげに上から下まで視線を配っていると、恭祐は観念したかのように小さな溜め息を吐きながらぽつりぽつりと言葉を続けていく。
「まぁはやいうちにちゃんと社会出たいだけなんだけどね〜。高校行ってー大学行ってー院行ってーとかちょう長いしぃ〜でも知りたいこともちょういっぱいあるし〜」
「……おまえマジ言い方と中身比例してねぇよ」
「えぇ〜〜」
あまりの懸隔に蓮が頭を抱えながらそう言うと、恭祐はそんなことないと言わんばかりに大袈裟な反応を見せてから、唇を尖らせていた。
「だってそーデショ?おれ最終的に、親父の会社継がなきゃだしぃー」
「うーわ坊っちゃん発言きたー」
「あは、そうそう、坊っちゃんですから〜」
「なんの会社やってんだっけ?」
「んー、化粧品とかアパレルとかいろいろやってる〜。あ、あれ、おれとイガが最初に逢ったあの旅館とか。マジちょーいろいろー」
「は?」
「あれネ、おれがちっさいころ親父んもらって、ずっと試験的に運用させられてたとこなんだよねー」
「…………………………」
「もうちょぉおおーーームボー、なんも知るはずないしーマジでしぬかとおもったしぃー」
イガに逢ったときがちょーど放り出されたときでさー、ととんでもないことを平然と言い切る恭祐に、蓮があんぐりと口を開けて思い出すのは十年前に泊まったあの旅館、細部まで覚えているわけではないけれど、とにかくあの当時には、見たこともないくらい豪華で広かったような記憶だけが残っている。
「…………」
「?イガー?」
おーい、と蓮の目の前で手のひらを振る恭祐の影にハッとして蓮がようやく正気を取り戻す。
「…………え、マジで?」
「?なんで俺が嘘つくの?」
先程までの温度とは一変、脳裏に浮かぶ大きな旅館に身震いしながら低い声でこそりと聞けば、恭祐はからりと笑って、見透かすように続けていく。
「つかまぁ実際おれに渡したとか言っても当然動かしてたの親父だったんだけどー。んなガキになんも分かるはずないしー。ガキんころから経営者としての自覚を〜とかさぁ、分かるはずなくないー?ありえなくないー?」
「…………いや、ありえねえっつーか……想像すらできねぇわ」
「あー。イガさぁ、あれだね?証拠ないと延々と疑うタイプっしょ?」
「…………」
恭祐が持っていたさきいかで蓮の方向を差しながらそう言うと、蓮は大いに心当たりのあるような顔をしながらうっと背筋を仰け反らせた。……だって、あのとき、昔散々あった健悟とくっつくときも、そういえばそうだった 。
「ほら。こーれ」
呆れたような恭祐が携帯電話で見せてきたのはほぼ横ばいに近い棒グラフ、横の目盛りは日付、縦の目盛りは客数と記載されていて、土日に棒グラフが突き抜けているそれは、言わずもがな旅館に宿泊している客数を表しているのだろう。
グラフのすぐ下をよく見れば今もなおまるでリアルタイムに動く株価のように数字が変動していく様子も窺える。日本未発売といっていた恭祐の携帯電話に様々な細工が施されていることに気付いたのはまじまじと携帯電話を見つめたこの時で、旅館のリソースがぜんぶ携帯で見れるように管理されていると、オフライン回線でデータベースと繋がっているから電波がなくても云々と、よくわからない会話を展開されて眉を顰めてしまうことも仕方のないことだった。
恭祐の異国語のような説明を聞きながら、それでも物珍しそうにまじまじとその携帯電話を見ていると、ようやくひとつ、蓮にも分かる単語を発見することができた。
「……株式会社陣内、って…………………………は?」
けれども、その単語をなぞる指が止まってしまったのは余りにも見慣れた言葉を見かけたせい、テレビを見ない蓮でも知っている日本有数の企業名をこんなところで見ることになるとは思わず、つい目を丸くして手を止めてしまったからだ。
「――――」
今迄自分の過ごしていた場所からは随分と遠く離れていた企業名だったというのに、今では目の前の男の苗字にしか見えず、目の前でにこりと微笑む男はこの状況を酷く楽しんでいるかのように口角を上げていた。
「………………おまえが……社長……」
ぽそり、思わずつぶやいてしまったのはくらりと眩暈にも似たふらつきを感じたから、これはきっと一気飲みした酒のせいではない、目の前の男に関してたかが数分では整理しきれない情報ばかりがふよふよと蓮の頭に浮いていたからに違いない。
「あーっ!イガ疑ってるー!!」
「疑ってねえよ、……ただその会社、マジでこれから大丈夫なのかと思っただけで…………」
「ちょっとおー!!」
「…………」
からからと気前よく笑う恭祐は何を考えているのかいつでもふざけているようにしか見えなくて、社長という職を受け継ぐことが凄いとか凄くないとかそのまえに、まずは大丈夫なのかと、こいつも会社も本当に大丈夫なのかと余計な心配だけが表面に出てしまう。
目にした企業名は蓮が生まれる前から日本に馴染んでいる名前、恭祐の云う通り美容業界やファッション業界に強いその企業は当然海外展開も果たしていて、専属のファッションモデルが何人も居るのだといつか健悟に聞いた記憶がある。
どこか小さい成金企業の息子だと思っていた目の前の男は、所詮は骨の髄からお坊ちゃんだったということだ。
見た目だけでは決して分かることのない恭祐の地位は意外性だけを潜めていて、羨むよりも感動するよりも、まずは心配してしまうほかなかった。
「もーっ、大丈夫だよー、おれがちょっと傾けただけで倒れる会社じゃないしぃ〜ていうかおれが失敗するとかまずないだろうしぃ〜」
ぷくうとわざとらしく頬を膨らませた恭祐を見てふと思い出したことはクラスメイトが言っていた「麻布にあるデカい家」という曖昧なキーワード、もしかしたら自分が想像している百倍ほども大きいのかもしれないという予感がひしひしと迫ってきて、蓮は苦笑いしながら言葉を続けていく。
「……うーわもうあめぇあめぇ、てめーの発言が根拠なさ過ぎて甘すぎて笑えてくるわ」
大体親父が良くてもお前とはちがうだろ、と続けようとした本心といえば誰にも頼らず自分の力だけで生きている男を知っているからだ。
しかし蓮が言葉を続けようとしたときに、じとっとした視線が直接的に恭祐から届けられたためについ口ごもってしまった。
「……イーガァー、おれこれでも、日本の高認満点だったんだからね〜」
「ああ?高認?なんだそれ」
「こうとうがっこうそつぎょうていどにんていしけん〜。日本じゃまだまだ少ないし、おれだけだったんだからぁ〜もうちょっと褒めてくれても良いとおもいマース」
はーい、って唇を尖らせながら片手を上げる恭祐はひどく子供じみていたけれど、恭祐の言わんとしていることの凄さがわかったからこそ、蓮はそれを聞いた途端ピタリと動きを止めていた。
「?イガー??」
「……………………なにそれ、おまえすごくね……?」
少し肩を落としながら、まるでドン引きするように眉を顰める蓮は今更恭祐の台詞を理解したようで、信じられないとばかりに首を傾げているようだった。
「えぇー、いまさらー?」
「…………は?なにおまえ、じゃあれか、おまっ……金あんし頭良いし英語しゃべれんし、見た目……そんなで…………あー……、あれだ、運動できねぇだろ、おまえ」
漸く穴を発見したと確信した蓮がにやっと口角を上げながら酒を呷れば、恭祐はそれ以上に楽しそうに微笑みながら突然自分のスウェットを捲り上げた。
「あは。ざんねーん、さっき見たでしょー?」
上のスウェットを捲ることで晒されたのは先程の大浴場でも嫌と言うほど見せ付けられた割れた腹筋、分かりやすく綺麗な体躯をしている恭祐は普段から運動がすきだというように、いまここで腹筋してあげよっか?とからかうように笑いつけている。
「………………ばっ、……ばーか!!!!!」
「えーー!」
だからこそ精一杯の悪口を発した蓮はよくも自分の右手に持っている酒を恭祐に浴びせなかったと自分でも感心するほどで、全力の力をもってして睨みつけてもなお当の本人は飄々とした笑顔を崩さなかった。
「なんっだおまえ!むかつくわ!すっげえむかつく!ずりい!!!」
「うん、よく言われる〜」
「……うっぜぇえええ!!!」
バンバンと蓮が左手で叩いたのは未だつまみが乱雑している机の上、柿の種が袋から溢れて零れるのも厭わずに叫ぶけれども、恭祐といえば年下のくせにまるで蓮を宥めるようにふわふわと笑っているだけだった。
「……もういーわ、聞くわ、おまえの欠点教えて、欠点」
諦めるかのような溜息を吐きながら投げやりに蓮が聞くと、予想外にも片眉を上げつつ真面目に考えてくれているようだった。
「えー、欠点かぁー……几帳面とかー?変なとこ潔癖とかー?」
指折り数えて頭を悩ます姿は漸く絞りだしているとでも言いたげで、所詮は欠点になりえないような欠点にむすっとしながら蓮が睨みつける。
「……んなもん欠点でもなんでもねーわバーカバーカ」
まるでいつも一緒に居る相手にも言えるような二つの特徴を欠点だと感じたことは一度も無い、蓮が散らかしていたままの服がいつの間にか綺麗に畳まれているときでさえ、健悟は自分が好きでやってるだけだと微笑んでいるだけだったからだ。
そんなものを欠点にすれば自分自身の粗が目立って仕方がないと、蓮は机の下から恭祐の脚をガシガシと蹴り付ける。
「恭祐ー、……ほか」
「えー、あとなんだろう……それこそ、なんでもソツなくこなしすぎてかわいくないとかぁ?」
「……おまえそんなに自分持ち上げて楽しい?それこそ欠点じゃねえの?あ?」
「あは、うっそー」
冗談冗談、と言いながら蓮の蹴りを交わす恭祐はとても楽しそうで、その嘘のない笑顔からも人当たりの良さが伝わってくるようだった。
随分と恵まれているだろう男に若干の羨ましさを覚えてしまうことは仕方がない、こんな感情を持て余すのは健悟が実家に来た時以来のことだ。あの時もそうだったと、何か似ている部分が二人にはある気がするとぼんやり思えば思うほど、金持ちというのはそれだけで似てくるのだろうかと思ったけれど、―――正直、ふたりが似ているからこそ安心してすぐに仲良くなれたということもあったのだろう。
「……もういーわおまえ、黙れバーカ」
「えー、うそうそ〜。ちゃんとあるあるー、欠点」
「んだよっ、言ってみろ」
またしょーもないことだろうが、と片頬を膨らませて蓮が言えば、そこからシンと空いた時間が数秒、その後真面目な顔をしながら考え込んだ恭祐は―――。

「―――おれねぇ、……人を好きになったこと、ないの」
「――――」

そう、静かに言い放った。





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