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* * *



「ふぃ〜〜つかれたァ〜〜〜」
「おまえテンションあがりすぎ、びっくりしたっつーの」
「え〜っ、先にやってきたのイガたちじゃん〜!」
 風呂上がりだというのにまた疲れそうな議論を繰り広げながら歩く場所は男子部屋に続く長い廊下のど真ん中、長らく進んで行けばその途中で明るく黄色い声が届いたものだから、蓮は思わず恭祐よりもそちらの声の主の方へと首を傾けてしまった。
「お」
「んー?」
 その視線の先に映るは蓮たちと同じく風呂上がりの女の子たち、わあわあと騒ぐ威勢は変わらないものの、唯一違うところといえばスッピンが恥ずかしいのか両手で顔を隠しながら駆けていくその様子、恥じらいを忘れぬその姿を蓮がぽおっと眺めていると、恭祐が意識を取り戻せとでもいうように肩を叩いてくる。
「、おお」
「おおじゃなくて」
「かわいくね?俺ああいう恥ずかしがってんのわりとツボ」
「そりゃ嫌いな男はいないでしょ〜」
 そんなにガン見する男も居ないけどぉ、とバカにするように付け加えた恭祐の裏膝をげしっと蹴って黙らせる。
「もぉー、イガすぐ殴る〜。どのこー?」
「んー……真ん中?」
「えー」
「えーってなんだコラ」
 指を指すのは分かりやすい黒髪のストレート、傷みとは無縁なさらさらの髪の毛に惹かれてしまう。
 そんな好みを口にした翌日に、その通りの鬘をかぶって「どうぞ」なんて髪の毛を差し出してきたバカを思い出す。なつかし、と過去の記憶を辿り寄せていると、いつの間にか女子たちと擦れ違うほどの距離に近づいていて、ふと恭祐と目があった一人の女の子がぴたりと歩みを止めてきた。
「あっ」
「?」
「あはは。陣内くん、髪の毛ぺた〜ってしてるよー。かわい〜」
 くすくすと笑われながら毛先に指を絡められたのは、もちろん名前を呼ばれた恭祐、さすがに風呂上がりまでは髪をセットしていない恭祐は普段よりも随分大人しく見えて、同時に近付き易い風貌にもなっていた。
 セットをせずとも何色も混じり合っている髪型はそれだけで充分すぎるほど地で男前をいっていて、ほんとだ〜、と寄ってくる女子が増えることで狭い廊下に小さな群れができつつある。そして、この機会を逃さぬとばかりに飲み会を提案した男子によって場が盛り上がり、提案者の部屋へとそのまま移動する流れとなっていく。
 段々と増えてくる人だかりを見て、蓮が、めんどくせぇなぁとこっそり思っていると、―――ふと、隣から、まるでその胸中を見透かしたかのように小さな声が降ってきた。
「めんどくさぁー……」
「―――」
 うーん、と唇を尖らせながら長考しているかのような様子は紛れもない隣に居た恭祐からで、ぼりぼりと頭を掻きながら面倒くさそうに周囲を見る表情は酷く予想外のものだった。
「イーガ。イガはこっちぃー」
「、ちょ」
 こっそりと蓮の腕を引いた恭祐はさり気なく廊下から一本外れた細い道へと入りこんで、誰にも気づかれぬうちにと雑踏の中を逃げ出して部屋へと戻ろうとしていた。
 見かけを裏切って大人数が好きではないのか、躊躇いも見せずに集団を離れた恭祐の行為が余りにも意外で、蓮は引っ張られる腕を振り払ってから、恭祐の隣りへと肩を並べる。
「んだよ?」
「なにが?」
「や、いきなり外れっし。なんかあったんじゃねえの?」
「えー、なんもないけどー?」
「―――」
 ねえのかよ、と口元を引き攣らせる蓮の分かりやすいこと、その様子を見た恭祐は手早く自分の部屋へと入ってから、冷蔵庫でキンキンに冷やしておいたビールをふたつ取りだした。
「え〜、だってめんどくさいじゃん〜風呂上がりなのに香水ぷんぷんさせてさぁ、やなかんじ〜」
「?」
 香水、と言われて初めて心当たりの浮かんだことは、風呂上がりにふわりと香った優しいにおい、てっきりシャンプーの香りだと思っていただけに信じられなかったけれども、「ちなみに近くで見たら化粧し直してたよね、あれ」と吐き捨てた恭祐には、「マジでか」と目を見開くことしかできなかった。
 ほい、と渡されたビールは恭祐が先程コンビニで豪快に買い込んだもの、惜しみなく渡してくる恭祐は同様におつまみのパッケージをどんどんとあけていて、他の部屋ではなくこの部屋で酒盛りをしようとしていることが分かった。
「意外だな……女の子好きそうなのに」
 返事をせずともつまみを食べれば了承したとも同じこと、恭祐の座るテーブルの目の前に、よいしょ、っと腰を落ち着かせれば、恭祐は貝ヒモをつまみながら平然と蓮に語りかけてくる。
「えぇー、好きだけどぉー。バカっぽい子は嫌いなの〜」
「バカって」
 偏差値に従えば頭は良いだろ、と蓮が付け加えれども、恭祐は「そういう意味じゃないのー」と曖昧に笑うだけだった。
 蓮も蓮とて、健悟や羽生の兄にスパルタ宜しく勉強を教えて貰わなければ今確実にここには居ないと言い切れるような大学だ、何の不満があるんだろうと恭祐を見ていると、恭祐はその話題は終わりとでも言うようにニッと笑ってから、ビールだけでは飽き足らず床に転がせていたウイスキーを掴み引き寄せた。
「まぁねぇ、買ってきたお酒もいっぱいあるしぃ……」
 そして、にやりと笑ってからは、ガツン、蓮の飲み方も気にすることなく次々と酒を出して来て、酷く楽しそうに目を細めながら微笑みかけてきた。
「ねね、語っちゃうー??」
 まるで音符を飛ばすかのような語尾は単純に恭祐が酒好きだと物語っているようで、並べられたお酒の数々はこのまま付き合っても一晩では飲みきれないだろう量ばかりがテーブルの上を占拠している。
「はぁー?別に語ることとかねーし」
「あるじゃんー!ちょうあるじゃんーっ!」
 うりうりーっと箸の先っぽで唇を押されてからは、痛いと蓮が叫んでもただ恭祐は笑うだけ、一日目の就寝時間にはまだ余裕もあって、これだけの量の酒を見せつけられれば、付き合わないわけにはいかないだろう。
 考えてみたら、友達とも呼べる男と二人きりで酒を飲む機会は初めてで、何も意識することなく膨らんでいく話は酷く楽しいものだった。



* * *



「―――いやでもマジで、ちゃんと付き合ってんのいまのヤツくれぇだし……」

 ―――そして、お酒も入って一時間近く経ったころ、中学のときに付き合っていた子の話や好みのタイプ、好きなシチュエーションとAV女優、何フェチなのかまで散々喋り尽くしたそのあとで、今は漸く現在における彼女の話に発展しているところだった。
 既に売り切れになった缶ビールは十本近く床に転がっていて、蓮も恭祐もテーブルに片肘をつきながらカラカラと氷の揺れるウイスキーを口に運んでいる。
「やっぱ写メ見たいぃ〜!写メ写メ〜〜!」
「だっから、だめ!」
「あー、ブスなんだ、はいはいーもーーー」
「ちっげぇよバカ、逆だアホ」
「……うわまたノロケたぁー」
「おめーがしつこいからだっつの」
 視界が潤むほどに酔ってもなお、携帯電話の中に居る人物像だけは悟られてはいけないとは心得ていて、頑なに恭祐からの攻撃をかわし続ける。
 こんなにも堂々と惚気と指摘されるほど健悟に関して話したことはなく、唯一よく話すであろう幼馴染ですら、何か勘ぐられているのではないかと深い話をしたことはなかったからだ。それはきっと、相手を知っているからこそだけれど。
「んー……」
「んだよ?」
 くい、とまた一口お酒をすすめた恭祐はまるで何かを考えるように顎に手をやっていて、蓮が好奇心も隠さずに質問すれば、「訊きたい?」とだけ言われてしまった。主語のないそれでも蓮が「ききてえ」と返すと、恭祐はにやりと笑ってから、ちょいちょいとテーブル越しに蓮に手まねきをする。
「?」
「イガの良い話いっぱい聞いたからー、俺もイイコト教えちゃう〜」
 にへっと笑った恭祐はテーブルから身を乗り出して、蓮の頭をわざとらしく掴んだ後、その耳元にできる限り近付いてきた。
「??」
 酔っているとはいえ中々に見ない光景に蓮が視線だけで恭祐を捉えようと顔を捻っている、と―――次の瞬間、普段の恭祐とは違った、柔らかい声音が蓮の耳を支配する。

「―――――――――」
「…………は?」

 聴こえた声は異国語で、予想だにしていなかったネイティブな発音に何も内容が頭に入って来なかった。耳元で喋られていた構図を無視して恭祐に向き直ると、当の本人は驚く蓮を見て酷く楽しそうに微笑んでから、すうと息を吸って次の言葉を紡いでくる。
「I had been in the United States since I was little. I skipped a few grades and graduated from a high school there.」
「、………………は?」
 躊躇わずに話される言語が異なることに蓮が眉根を寄せて、「や、訳」とそれだけを紡げば、ようやく蓮の知っている恭祐が帰って来たらしい、カラカラとグラスの氷を揺らしながら、蓮に馴染みのある言葉に変換してくれた。
「“オレちっちゃいころからアメリカ居てね、あっちでいっぱい勉強終えてんの”」
 田舎育ちの蓮には到底理解できそうもないスケールの大きな話に同調できることもなく、マジで、と小さく紡ぐのが今の蓮にできる精一杯のことだった。だって、普通に英語話せるヤツ、初めて見た。
「んで――――」
 けれども、本当に言いたかったのは此処からだとでも言うように恭祐は右の口角を上げて、心底楽しそうに蓮に向けて笑って見せた。


「……実は、2コ下なんスよ、―――センパイ?」
「――――」


「―――……はぁっ!!!?」
 がた、と蓮がテーブルについていた肘を滑らせてしまったのは、微塵も想像していなかった台詞を目の前の恭祐が吐いたから、目を見開き驚く蓮の様子をからからと笑いつける恭祐はしてやったとでも言いたそうに蓮の表情を笑いつけていて、くくくっと目を細めながら更に酒を流し込んでいく。
「別に隠してたわけじゃないんだけどねぇ、言うタイミングなかったし〜」
 やっと言えたわ、とすっきりしている恭祐の隣りで、自分の年齢からマイナス2をした蓮は、マジで、と思ってしまった心の従うがまま、その行き着いた年齢をそのまま口に出す。
「じゅっ……―――16歳っ!?」
「ハーイ」
 酷く驚いている蓮の傍ら恭祐はなんでもないようにカラカラと笑っていて、余裕ぶって右手を上げる風貌は、正直実年齢よりもぐっと大人びて思えた。それこそ、初めて会った日に見たスーツが誰よりも似合っていたくらいには。
「、マジかよ……」
 けれどもよくよく思い返してみればその分だけ思い当たる言動もあって、しつこい子供のような振舞いだったり、感情を隠しもしない分かりやすい所作を持っていたり、心のどこかに引っかかっていた恭祐の幼さは本当に年齢をそのまま表していたのだと知り、世の中分かんねえなぁ、とただただ目を見開くことしかできなかった。



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