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*  *  *



 少しだけ先にある薄い扉の奥には見慣れた湯気と騒がしいばかりの声音、扉を超えて脱衣所にまで響き渡る大きな水音には、心を落ち着かせろと望む方が無理な相談だった。

 ―――しかし。

「……うーわ」
「、?」
 蓮が服を脱ごうと腕をクロスした後、明らかに呼吸を置かれた二秒間、後に恭祐は呆れたように溜め息を吐いて、遠慮の欠片すら無く蓮の身体を上から下まで見定めてきた。
 隠しもしない不躾な視線を不審に思った蓮が「なに」と冷たい声をかけると、「……なにじゃなくない?」と逆に驚いたように目を見開かれてしまった。
「は?」
 全く心当たりのない蓮だったが、眉を顰めながら恭祐の視線の先を追えば答えは一目瞭然、視界に映る光景には思わず蓮本人ですら「うわっ!」と驚き、口元を引き攣らせながら反射的に自分のお腹に手を当ててしまったほどだった。
 胸元、腹、脇腹、助骨に沿うかのように咲き誇る赤は言わずもがな特定の行為を象徴していて、自分の身体だと言うのにまるで記憶がない。
「……うっわぁ……彼女サン激しくなぁーい?」
 じろじろと不躾な視線を送ってくる恭祐に言われて初めて思い出したのは朝のしおらしい健悟の表情、隠すこともできない現状に溜め息を吐きながら、湧き上がってくるのはふざけた芸能人への恨み言ただ一つだけだった。
「あんのやろう……」
 ―――ごめんって、こういうことか。
 朝の健悟の様子を思い出して、漸く合点がいった。
 先程の電話では散々嫌だ嫌だと騒いでいたけれど、この状況は想定範囲内だったのだろう、してやったと口端をつり上げる健悟が容易に想像できてしまい、つい軽い舌打ちが出てしまう。
「うーわ、うーわ、すっご、独占欲つっよー」
「……まぁまぁまぁ……」
 感心するような恭祐の様子に、良いじゃないか、忘れろよと流すように語りかける。ばっちり上から下まで見られたと分かり切っているからこそ、隠す気すらおきなかった。
 最悪だ、と思っても怒りのやり場が見つからない、健悟に繋がる唯一の携帯電話は部屋においてきてしまったからだ。
「え〜、ちょぉシット深いかんじ??」
「…………」
 にやにやとからかってくる恭祐の様子は何度目のことだろうか、大学生とは思えぬような無邪気な言質を無視すると、つんつんと剥き出しの脇腹を抓られてしまった。
 肉が少ないからこそ皮を引っ張られた痛みは鋭く、蓮が対抗して恭祐の足先を無言で踏みつけども、恭祐は至って変わらず良い遊び道具を見つけたと言わんばかりに次々と蓮をからかってくる。
「……くっそ、あんにゃろ……」
 けれども蓮にとっては、どれだけ恭祐から揶揄されようとも続く言葉は健悟への恨み言、確かに前日まで予定を忘れていた自分も悪いけれど、誰かに見せつけるように明らかな跡をつける意味が分からない、こんな趣味があるのかと疑われて恥ずかしいのはこっちの方だ、―――ふざけんな。
「ね〜ぇ〜、イガァー!」
「あ゛ー……チッ、見てわかんだろ、やべえよ、半端ねえの」
 はいはい、と宥めるよう言いながら恭祐の揶揄を受け流すも、健悟への憤りを抱えて靴下を脱げば、流石にここまでは予想外だった―――足の親指と人差し指の間にすら真っ赤なそれが息衝いていて、反射的に左足で右足を踏みつけそれを隠す。
「…………」
 ―――ヒく。
 これはひく。さすがにひく。おれでもひく。マジでひく。
 脱衣所の衣類棚に額から寄りかかり、仕事に勤しんでいるだろう芸能人に思いを馳せて深い溜め息を吐き出す。
 帰ったらマジで死ぬほど説教、あいつ最悪、マジでどうしてやろうか、とひたすら苛々していると、横からずいっと、またもや何か企んでいそうな顔が視界に入ってきた。
「………………んだよ」
「んー??」
 その不敵な笑みを見ればこの足元が見られてしまったことなど一目瞭然、なんだよ笑うなら笑えよと湿った視線を返すと、恭祐はふーん、と一人納得するように頷いたあと、「ホント仲良いんだねぇ?」とにやけ顔を隠さずに近づいてきた。
「じゃ、」
「は?」
 そして、にっこり、目前できれいな瞳が上弦の月のように弾みを見せた次の瞬間、―――がぶり、まるでどこぞの誰かのように、鎖骨と肩の間にガッツリと噛みつかれてしまった。
「、い゛ぃってえええ!!」
「―――」
 突然の痛みに叫んでしまうことも仕方がない、普通に歯を立てられただけでも痛いのに、あろうことか恭祐はまるで皮膚を破り肉に食い込みそうなほどに強く、歯先を捻じ込み押し付けてきたからだ。




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