30


* * *



「つっかれたあ……」
 蓮が肩を押さえながら首を鳴らす場所は軽井沢にある合宿所の玄関先、四日分の荷物は予想以上に重く、溜息過多で道中を歩いていたというのに、漸く休めると到着した合宿所では、説明会があるからと部屋に荷物を預ける暇なく大広間へと案内されてしまった。
 休憩時間も挟まずに開催されるのはこの合宿の目的や意義、真面目一徹のアジェンダには欠伸しか出ず、声高にしゃべり続ける教師が段々とぼやけてきて、駄目だ、寝る、と蓮が頭を下げてしまう。そして、こくり、蓮が首を揺らしたとき、隣からこそっとルーズリーフが渡された。
「、?」
 合宿中の班どころか部屋割りまで一緒な恭祐はさも当然のように蓮の隣に座っていて、明らかに眠ってしまいそうな蓮に向けて真っ白な紙を渡してきたのだった。
 所詮暇つぶしのそこに恭祐が直線を書き足していくことで、段々と九路の升目へと形を変えていく。先に真ん中へと大きな丸を書き足した恭祐の示すところは三目並べでしかなく、軽い暇潰しのそれに無言でのれば、思いの外勝負のつかないそれに夢中になり真っ白い紙が幾つもの網掛けで埋め尽くされてしまった。
 引き続き教師の声が聴こえ続ける中、互角の戦いの終結といえば恭祐から出た飽きたの一言で、ぐちゃぐちゃに埋め尽くされた紙の端に、壇上で延々と説明している学科担任の似顔絵を描き始めてからはまた新たな暇潰しができたと目的が移行していったようだった。
 そのあともこそこそと続くクラスの女子の噂話、誰の胸がでかいとか、デニムから半ケツ見えてるだとか、大学生とにしては低レベルなネタでこっそり騒ぎながら、蓮も恭祐も何度も何度も笑いを堪えていた。
 思いの外笑いのツボや沸点が一緒な恭祐には親近感しかわかず、そのノリの良さには仲良くなれそうだとぼんやり思う。
 笑いを堪える行為しかしていなかった説明会はふざけきったまま終わりを告げて、部屋に荷物を預けてからは休憩時間となるようだ。言わずもがな同室の恭祐と部屋になだれ込めば、見晴らしの良い窓からはまるで蓮の実家のように澄んだ緑ばかりが広がっていた。健悟の好きそうな景色だ、そんなことを考えながらひとりぼうっと見入っていると、後ろからにゅっと伸びてきた腕が蓮の足へと絡まってきた。背筋を震わせた後に視点を変えれば、景色などどうでも良いといった様子の恭祐が寝転がりながら、ふざけて蓮の足を掴んでいるようだった。
「いぃぃがぁぁぁ〜、喉渇いたぁ、のどぉ……」
 ねーえぇー、と言いながらぐらぐら足首を揺らしてくる恭祐は既に冷蔵庫のチェックを終えているのだろう、気分転換含め、合宿所の外に買いに行きたいとそのオーラが物語っていた。
「あー、行くか?来る途中コンビニあったよな?」
 出ちゃダメとか言われてないし、と付け足すように蓮が笑えば、恭祐は即座に了承の意を見せる。
「行く〜!」
 単独行動をするなと言われた記憶はあっても合宿所から出るなと言われた記憶はない、揚げ足をとるような思考回路に蓋をしてこそこそと出掛けるも、周囲は規則に従順なのか誰一人として外に出ている者は居ないようだった。
 財布と携帯だけをポケットにつめこみ歩く場所は春の新緑に包まれた歩道、然程整備されていない車道は想像を具現化したかのように車の通りも悪く、ぱらぱらと擦れ違う人たちは単に景色を楽しむ観光客ばかりのようだった。ここ数日東京の騒音に慣れてしまった耳には懐かしくも心地いい木の葉の音、お土産話として健悟に語るだろう緑いっぱいの光景は、きっと存分に羨ましがるだろう彼の様子が容易に想像できてしまった。
「イガー、コンビニあったよ〜」
「……おー」
 周囲に気をとられていた蓮とは違い恭祐は目的物を発見し、指を挿しながら近寄って行く。
 コンビニの慣れたマークはすべて見慣れぬ緑色に染まっていて、観光地ならではの珍しい光景に少しだけ眼を見開いてしまった。
 けれども外観は外観、そんなものは関係ないとばかりに一目散に入店する恭祐の眼に留まることはなかったらしい、四日分の買い溜めなのだろうか、甘ったるい炭酸の入った飲み物を数本籠に入れたあと、「あ」と小さく口を開いてから、お酒のコーナーへと移動していった。
 恭祐が「夜飲もうよー」と口走ったが最後、蓮が返事を返す間もなく、まるでどこぞの芸能人のように値段も見ずにポンポンと籠に入れて行くものだから、余りの適当さと金遣いの荒さに、蓮は口元をひきつらせる事しか出来なかった。
 酒もツマミもあれもこれもと見境無く手を伸ばす様子は健悟に酷似していて、ふとそう思った瞬間、連絡がぱたりと途切れてしまった芸能人を思い出す。
 電話もメールも繋がらなくなってしまって早数時間、たかが数時間で片付けるには彼の行動パターンを知りすぎている自分がいて、理不尽な愚痴と我が儘を言っては泉を困らせていそうだと頭を抱えることしかできない。
「……後で電話してみっか」
 蓮がぽそりと呟いたのは昨日の健悟の様子を思い出し心配してしまったから、独りで生きていけているのだろうかと、一ヶ月前には到底することもなかった疑問がふと沸いてくる。それと同時に、一ヶ月前以上にもっとずっと健悟のことを考えている自分を自覚してしまい、なんだかなあと、一人照れながら頭を掻くことしかできなかった。




* * *





 実際に健悟に電話したのは夕食後の休憩時間、誰にも見つからぬようにと集会場を抜け廊下を抜け、自分の部屋でひとりきりになったことを確認してからのことだった。
 ワンコール鳴らないうちに繋がった電話に対して本当に仕事をしているのかと心配になりつつも、すぐに繋がった電話の奥にある嬉しそうな声音には、こちらの心まで素直にぽかぽかと照らされたような気さえする。
「れん!」
「おー、お疲れサン。元気?」
 かけた瞬間に繋がった電話は言わずもがなこちらの連絡を待っていたような早さで、繋がった瞬間、焦ったように呼ばれた自分の名前に、ついぷっと吹き出してまう。
「れーんー、元気じゃないよー、もうっ!」
「はいはい、って、……あー、つかまただめだ、電波ねぇわ」
 案の定時間が経てばまた電波が悪くなり独特の機械音を孕む電話、蓮が部屋中を移動して電波を探しながら話を続けていると、電話口からは心配するような声が降ってくる。
「れん?なんかガサガサ音してるけど、なに、どうかした?」
「ちげ、電波わりぃだけ。多分これ繋がったの奇跡だわ、ここマジ電波ねぇ。これから携帯つながんねぇかもしんねぇから、先言っとくな」
「えーー!」
 案の定イヤだと叫びだした健悟に、いま仕事中じゃねえのかよ、との懸念が蓮の頭を過ぎったが、どうやら周りには人も泉もいないらしい、逢いたいだのついていけば良かっただの好き勝手騒ぐ健悟の声音を拾っては、意外と元気そうだと口には出せぬ感情を喉に通した。
 その後も途切れそうな電波の中、今日の撮影はなにをしているのか、誰と一緒に仕事しているのか、昨日のあれで体は大丈夫だったのかと脈略なく聞いてくる健悟の様子はいつもどおりで、逆にこっちが逢いたくなってくると、口にすれば今すぐ車を走らせ実現されそうなことを思う。
「―――あ、つかそろそろ風呂の時間だわ」
 畳に座り込んだまま相槌を打ったり自分の近況報告をしたりしていれば時間などあっという間に過ぎていって、時計を見れば夜の八時を過ぎていた。
 だからこそつい口から出てしまった言葉だったというのに、電話元からは、―――ゴツン、まるで携帯を落としたかのような鈍い音が響く。
「、いてっ!」
 耳元をつく機械音に蓮が眉を潜めるも、電話の奥ではそれどころではないらしい、わなわなと空気を震わすような吐息が聞こえてから、ゆっくりと、健悟の声が耳に届いた。
「……!? ふっ……はぁあ!?」
「……は?」
 文字にならぬ健悟の声に電波のせいかと必死に聞き取り訊き返すも、決してそうではないらしい、蓮の声を聴いた途端に際限なく喋りだす健悟に、蓮の耳元にはきんきんと叫び声が届いて来た。
「風呂? 風呂ってなに? 風呂の時間って……え? は? 部屋にないの? は!!?」
「あ゛ぁ? ……っるせ……ねぇよ、合宿所だぞ。大浴場に決まってんだろうが」
 あほか、と蓮が吐き捨てた瞬間に更に煩くなる耳元、言わなきゃ良かったと蓮が後悔しても時既に遅し、ぎゃあぎゃあと喚く声にいっそ電話を切ってやろうかと蓮が頭を抱え溜め息を吐いた―――その瞬間。
「イガぁー、居るー? お風呂行こ〜っ!」
「―――」
 タイミング良く襖を開けたのは他でもない恭祐で、班長会議が終わったのだろう、はやく疲れを取りたいとでも言う様子で部屋の中へとあがってきた。
「お疲れ。ちっと待ってて」
 鞄の中からスウェットを取り出す恭祐は今すぐにでも入浴所まで駆けていきそうで、蓮は慌てて静止する。
「―――ってことだから。そろそろ切るぞ」
「ちょっ……! ちょちょちょ! 待って! レン!!」
「あ?」
「蓮っ、……お願い! お願いだから! 4日間フロ入んないで! マジで! 帰ったら俺がいっぱい洗ったげるからっ!!!」
「―――…………」
 語尾を強める特徴的な話し方、あまりにも必死な喋り方は小さな携帯電話を両手で握り締める健悟が容易に想像できてしまうほどだった。
「ハッ、何言ってんだよバーカ。じゃあまたな、入って来る」
「ちょっ―――」
 けれどもここは家ではない、ここに来てまで健悟に振り回されてなるものかと、蓮は軽く受け流すように笑ってから、誤魔化すように電話を切った。
「わり、待たせた」
「んーん」
 そして、ぱたん、電話を閉じながら恭祐に近寄ると、ふるふると横に首を振った後、ニヤリ、口角を上げてからかうように目を細められてしまった。
「仲良いですことぉ〜」
「……うるせぇんだよ、電話出ねえと」
 チッ、とつい舌打ちがでてしまったのは昨日の飲み会で散々からかってきたあの眼と酷似していたから。
 だからこそ話題を引きずらぬうちにと、いこうぜ、と恭祐の肩を叩く。そして最低限の用意だけを握りしめ、揶揄に染まる恭祐の視線の先から一目散に逃げてやった。





30/60ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!