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* * *



 こんこん、と扉を叩くは不自然に停められた高級車の窓ガラス、中が見えない真っ暗なそれは誰もが知っている芸能人が潜んでいることを隠すためのものに他ならず、叩いた瞬間に内側から素早く開けられる扉を越えれば随分と情けない顔がそこにあることに、つい笑みすら浮かんでしまう。
「おまたせ」
「、れえーんんーっ!」
 全身で飛び付いてくる健悟はそのまま車を出てきそうな勢いで、べしっとその綺麗な顔を掌で押し退けながら車内へと入っていく。
「んー!んーー!」
「ごめん、泉さん」
「いいよ、今日の分は終わってたから」
 呆れるようにエンジンをかける泉さんに苦笑する傍ら、蓮を横抱きにしながらその肩に黒色の偽髪を押し付けては、めそめそとしな垂れかかってくる無視できないでかい図体がある。
「……なにおまえ、どうしたの?」
「…………ん゛ー」
 話し掛けても渋い声でより一層抱き着いてくる健悟は明らかに不調と言っているようなもので、BGMに消されることのない溜息が訴えているのは体調不良か心労か、どちらにせよ宜しくない選択肢に蓮は鬘を避けるように頬に手を伸ばして、ぐいと健悟の顔をあげさせた。
「なんだよ、体調悪いのか?仕事で失敗でもした?なんかあった?」
 先程一気に酒を流されて胸中が気持ち悪いとは雖も、それ以上に弱っているらしい恋人の姿を見れば己のことも忘れて問い掛けることしかできない。
「………………」
「、ほんと、なんだよ?どうした?」
 諭すような優しい口調に甘えるのは健悟ただひとりで、役得とばかりに蓮に抱き着くも、蓮は困ったように眉を寄せて心配そうに健悟の顔を覗き込んでいた。
「……蓮くん。優しくすると損するよ」
「え?」
 けれどもそこに釘を差したのは真っ直ぐ前を見ながら運転する泉で、ちらりとフロントミラーで蓮に視線を預けながら、明らかに溜息を吐き始めた。
「?」
 どういうこと、と蓮が尋ねるよりはやく、ぎゅう、と全身を締め付けるように健悟が抱き着いてくる。
「………………しぬ」
「は?」
 そしてそんな風に物騒なことを言うものだから、それほどまでに体調でも崩してしまったのだろうかと心底心配した―――途端。
「………………だって……蓮と四日も逢えないとか……しぬ………………」
 はぁぁぁあああぁぁ……と深く大きな溜息を吐きながら蓮の匂いを嗅ぐ健悟は、すんすんと鼻を鳴らしながら蓮の胸元へと近づいて来た。
「………………あァ?」
 微塵も体調が悪い気配はなく、寧ろ元気に頬を染めて蓮に近寄る健悟は元気が有り余っているようでもあり、ただ単純に心労によっての困憊だと気付くまでに時間は掛からなかった。
 尚も引っ付いてくる健悟をギリギリのところで引き剥がして事情を問い詰めれば、蓮の頬を愛しそうに両手でぶにっと押しながら、四日も逢えないだなんて、と涙を浮かべ言ってくるものだから、蓮が吐き出すものといえば文句よりも呆れた溜息の方が先だった。
「おんまえなぁ…………」
 ハッと鼻で笑ってしまうことも仕方がない、前を見れば泉も勝手にやってろと言わんばかりに知らん顔をしていて、成程体調不良ならば真っ先に被害を被るマネージャーが一番心配しているに決まっていたと今更ながらに納得してしまった。
「あのなぁ、今迄一か月逢ってないとか余裕であっただろうが。あほか」
くだらねえ、と一蹴してもなお強く抱き着いてくる健悟を突き放すも、案の定それほどまでにたかが四日という日時に負けたのか、自分は悪くないとばかりに一気に蓮を捲し立て始めた。
「だって……最近はなかったじゃん!毎日ずっと一緒だったじゃん!家帰ったらすぐ蓮が居てさ、おかえりって言ってくれて、ご飯も一緒食べて、お風呂だって一緒入ってさ、もちろん寝るときだって、ちゅーだって……毎日…………もう、すっげえ笑顔で可愛かったんだからッ……!!」
 何を思い出すのか至福のような表情で噛み締めるように叫ぶ健悟に引き気味になるのは当人だけではない、毎日毎日聞き飽きたと頭を抱えた泉に心底罪悪感を抱いてしまう。
「……あのさぁ、どう考えてもそんな記憶ねぇんだけど」
 健悟が帰ってくるのは深夜すぎ、夕食を待っているなんて甲斐性もない自分は適当にご飯を食べてテレビを見ながらぐだぐだ過ごしていただけだ、間違ってもそんな風にわざわざ強調したオカエリをあげたことが無ければ一緒にお風呂に入った記憶すらない。
「おまえの脳内補完どうなってんだよ」
「、った」
 べしん、と健悟の鬘を叩いたのはあまりにも健悟が泣きそうな顔をするから、それほどまでにいやなのだろうと思った。
「えぇー……だってさぁー……もぉ……急すぎだよー、ちゃんと最初から言ってよーーーー」
 ぐりぐりと額を蓮の肩に押し付けて甘えてくる様子を泉は慣れたように流していたけれど、本当に、外では絶対に見せることがない姿なのだろうと思う。
 もちろん、最初から言っていたからといって、状況が変わるとは思えないけれど。
「……あーもう、…………はぁ……」
「なぁにへこんでんの、おまえ」
 ふっと笑えばむっとしたように睨んで来る顔、ほんとにこいつはおれのことがすきだな、と実感すればするほどに、酔っているからだろうか、弱弱しくへこむその姿を見ては身体の底から不思議な感情がじんわりと巡り行く。

「…………なにおまえ、かわいいね?」

 ぼそり、呟いた台詞に大きな反応を見せたのは泉で、今が赤信号で良かったと言わんばかりにオーバーリアクションで後ろを振り向く。
「……蓮くん、酔ってるでしょ……」
「酔ってない〜〜」
 今度はお返しとでも言うように、うりゃっと奇声をあげながら健悟の頭に顔を埋める蓮、自分から両腕を健悟の首に廻す仕草など素面の状態で泉の前で見せることなど決してない、それを拒むことなく受け入れる健悟だからこそ広い後部座席の狭いスペースで抱き合う二人に泉はすっかり呆れて、ぎゃあぎゃあと騒ぐ後ろの声をかき消すかの如くBGMの音量をぐいっとあげる。
「……酔ってるって言ってるようなもんだわ」
 いい加減にしてよ、と溜息を吐く泉は再び車を発進させて、使い物にならない芸能人がひとりと話も出来ない酔っ払いを一人、部屋まで送り届けてようやく一日の仕事を終えたのだった。




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