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 携帯持った?地図持った?飲み物これ持ってきな?他には何がいるの?

 ―――仕事が午後からだった健悟からの入念な質問責めを「持った持った」の一言で適当にあしらった自分を今最高に恨むべきかもしれない、と想いながら蓮は一人、入学式会場の最寄駅付近で背筋に雫を伝わせていた。
「―――……」
 アナログにも蓮が両手でぎゅうと握り締めているものは、健悟が昨晩プリントアウトしてくれた会場までの地図。それを眺めながら突っ立っている場所といえば会場の最寄駅にある改札を抜けて十分弱ほど歩いた場所で、ぴっしりと折り目がついたピカピカのスーツに身を包みながら右に左にと首だけを百八十度何度も動かしては絶望しているのみだった。
「、っべぇー………………」
 チッと思わず舌打ちをしてしまった理由といえばただひとつ、今日行われる大学の入学式の場所が書かれている地図が情けなくも全く読めずに、あれこれと地図自体をぐるぐると回しているからに他ならない。最寄駅から徒歩数分、駅員に教えられた通りに歩いていた筈なのだが目的の建物は愚か通り道にあるべきはずの建築物すら見当たらない、加えて付近に人も居ないこの状況は―――。
「……迷っ、た、よな、完全に……」
 だからこそ、はぁ、と出てくるのは深く濃い溜息のみ。
 携帯電話で会場を検索しても所詮は機械音痴には詳細場所に辿り着くまでの取り扱い方も分からず、頼みの綱と健悟に電話を掛けても一切繋がることはなかった。諦めきれずに四回もかけてしまったけれど、それでも出ないということはもう完全にドラマの撮影に入ってしまったのだろう。
「マジかよっ……!」
 あ゛−!と頭を抱えたところで近くに交番も見つからず、駅まで戻って再び職員に尋ねて来た方がはやいのだろうかと苦虫を噛み潰した、―――その瞬間。
「――――入学式?」
「……は?」
 蓮の後ろ側から一言、透き通った声が聞こえてきた。

「スーツ。入学式デショ?」

 そして蓮が迷いなく振り向けば、トントン、と自分の服装を指差すように己の右肩を叩く青年がすぐ後ろに立っていた。
「、」
 恰好こそ蓮と同じく黒のスーツで上下を決めているけれど、蓮が視線を下から上にあげるにつれて段々とその眉間に皺が寄って行く。
 それもそのはず、顔を見れば営業用の真嶋健悟に負けじとも劣らぬ整った顔があり、その髪型があまりにもスーツには不釣り合いな色をしていたからだ。
 男の天辺には、ナニイロとも形容し難い幾つかの色がバランス良く敷き詰められている。明るい茶色がベースの髪型、それに流れるようにトップから白や金、濃い茶色のメッシュが混じっていて、所詮はテレビでしか見たことも無い歌舞伎町のホスト顔負けの風貌としか言いようがなかった。
 鎖骨につきそうなほどに長い襟足とそれに反するようなゆるく盛り上がったトップ、右側だけふわふわのパーマがあてられてアシンメトリーとなっている髪型がある場所といえば蓮よりも随分上の位置で、健悟と比べても数センチしか変わらないだろう長身の持ち主だということを知る。
 七三に分かれている前髪は耳に近付くにつれて段々と長くなっていて、極め付けとでも言えるのは、その先にある、見ているだけで痛々しいほどに拡張されたピアスの穴だ。拡張されきったそれは耳に幾つもあいていて、それぞれにゴツめのピアスが嵌められているようだった。
 口元に光る口ピアスも相俟って明らかに不真面目すぎる風貌に蓮が固まったのは、所詮、見るからに東京人であるその風貌に負けてあんぐりと口を開けてしまったからに他ならなかった。
 突然話しかけられたことに驚いた蓮が、マジこわい、むり、マジイケメン、こえぇ、と巧く機能しない思考回路の中でぐるぐると繰り返していると、その明らかにギャル男としか言えないような男は蓮の地図を遠慮なく覗き込んでは「ふーん」と意味深に呟いた。
「これってジョー大のでしょ? 俺も行くから一緒行く?」
「……………………や、大丈夫っス。行けます」
 若干の間が開いてしまったのは間近で覗き込まれた肌が余りにも綺麗だったから。毎日健悟を見ているが故に整った顔には慣れているはずなのに、耐性が一気に消えてしまったと思う位にはどきまぎと堅い返答をしてしまった。
「あっそ?地図見て初見じゃ絶対無理だと思うけど、がんばってネ」
 平然と無謀なことを言い放った青年は楽しそうに右手を振っていて、シルバーピアスが光る口元でにやりと楽しそうに微笑んでいる。
「ちなみに式まであと十四分でーす。」
「なっ、」
 ふざけた口調で言い放った青年は蓮が歩いていこうとしている道から九十度逸れて横道へと入って行き、何事も無かったかのように去って行こうとする。
 だからこそ、読めない地図と余裕めいた背中を三度見比べた蓮は最後に時計を見て、本当に時間がないと焦ったからこそ、地図を鞄に投げ捨てることを決意した。
「最初っから来ればいーのに」
「…………」
 整った横顔からはくすりと笑った気配が伝わったけれど、明らかに怪しすぎる風貌に着いていくことを躊躇っただなんて本音は、ごくんと飲みこんでおくことにした。
「こっち近道なんだよねぇ〜。道知ってれば早いけど初見はきっちーよ。道どっかで間違えたのかもネ」
「……マジっすか、どうりで人居ねェわけだわ……」
 派手な男が脚を進めていく場所は地図に載っているかも定かではない細道で、初見の人間ならばまず来ないような場所だった。
「ここ右。」
「えっ?」
 完全に地図から逸れたと思ったのは男が見知らぬ会社の駐車場を堂々と横切って行ったとき、建物の中に居るサラリーマンがホストのような青年を奇異の目で見ていることが明確に伝わってきたときだった。
「ね?分かんないっショ?」
 東京の道に詳しいのか得意気に振り向いた男からは、一瞬、ふわりと風に乗って香水のかおりが届けられる。
「、……あ」
「ん?」
 それは健悟が使っている香水とまったく同じ匂いであり、思わず立ち止まってしまった自分が恥ずかしくなってくる。こんな全国発売されている香水のひとりひとりに過剰反応していたらキリがない、だからこそ、今はあいつは関係ないと忘れるように小さく首を振った。
「……や、なんでもないっス」
 こんなやり取りを、何度も健悟ともした気がする。
 そういえば健悟が初めて田舎の家に来た際にもこんな風に”東京人”に怯えていた。もう何も怖がる必要はないどころか、変に引け目を感じる必要もない、たかが容姿で区別するなとあの時覚ったはずだったのに。
 黙々と進んでいく青年のペースは然程速いわけでもなかったけれど、それでも五分前に会場に到着できたのは偏に彼の御蔭としか言いようがなかった。一人だったら、一日目から確実に遅刻をしていたと言い切ってもなんら問題はないだろう。
 会場に着いたその先は、入場の門まで案内してくれた後、友人を見つけたのか彼は電話を片手にまた別の方向へと向かっていくようだった。
「じゃ、またネ」
「……あ、ありがとっ」
「ん。」
 使えない携帯電話をぎゅうと握り締めながら蓮が言うと、青年は、出し惜しみしない綺麗な笑顔で微笑んではひらひらと右手をあげて蓮から遠ざかって行く。
 見た目とは一転して断然イイオトコだった事実に驚きながらも、チャラいのにめちゃくちゃ良いヤツだったと、東京人も捨てたもんじゃないと、大学生活一日目にして好感触を抱きながら会場へと進んで行った。




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あきゅろす。
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