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 独り暮らしの経験が長いからか意外にも独り暮らしのコツを知っていたらしい健悟は引越し屋の前でこそほかの部屋に隠れていたものの、家具の設置方法や片付けなど未だ何もわからない武人と蓮に教えては頻りに感心されていた。
 腹が鳴った蓮の音にすかさず携帯電話を取りだした健悟は引越しそばならぬ引越し寿司を注文していて、気前よく奢っては、武人自身その様子に呆れながらも、色々と教えてくれる健悟を随分と見直しているようだった。
「まぁなんかあったりしたら、……あー、金ヤバかったりとか? べつにウチ来りゃメシくらい食わすし」
 怠そうに言う健悟は、腹が減ったと、美味いと言いながらぱくぱくと食を進める蓮とは正反対にもぐもぐとゆっくり食べていて、美味しそうに食べる蓮を見ては目尻を下げているようだった。
「その方がウチの子も寂しくないだろうしねぇー」
「……んだよその馬鹿にした言い方」
 蓮の口元についている米粒をぐいと拭いながら健悟が言えば、蓮はむっとしたように健悟を睨みつける。
「べっつにー。まぁ慣れない環境なんだから、あんま気負いしないで頼ってきて良いかんね、ってこと」
 蓮を子ども扱いしながらも言葉は武人へと向いていて、敵対しているからといって勿論嫌いなわけではない、真面目な話をするとすればいつでも頼れば良いと告げる健悟を蓮は随分と驚いたような表情で見つめていた。
「、ありがとうございます」
「イーエ」
 唯一の大人ですから、と保護者のように呟いた健悟は手のかかる子供をふたり一気に引き取ったような顔をしていて、寿司を口に運ぶ蓮を如何にも大事そうに柔らかな瞳で見つめているのだった。
 食事のあとにはまた少しの片付け、ある程度家らしくなったところで健悟が帰るよ、と告げるも、結局は明日も一緒に遊ぶらしい、二人はその場で明日の約束を取り付けているようだった。
「……なーんか、すげー意外だったんだけど」
「んー?」
 はぁ、と小さな溜息が聴こえたのは健悟の隣から、エスカレーターを降りながら、ぽつりと蓮が呟いた。
「おまえが、武人にあんなこと言うと思わなかった」
「あんなことって?」
「だから、いつでも家来れば良いだとか、頼って良いだとか」
 健悟が言っていた言葉を噛み砕きながら蓮が言うと、健悟はにやりからかうような声を出す。
「なぁに、惚れ直した?」
「あーー……、うん、見直した」
「こら」
 こつん、と笑いながら助手席のドアを開けた健悟は先に蓮を乗せて、そのドアの上に腕を乗せながらシートベルトを締める蓮を見ている。
「……まぁー、正直俺はヤだけど、蓮はその方が嬉しいんでしょ。俺が居ない時の方が多いだろうし、来てくれれば寂しくないだろうしね」
 あの部屋広いし、と溜息を吐きながら健悟が言うけれど、その裏には今まで健悟が住んでいて、寂しかったと、そう聞こえた気がした。
 自分には同じ思いをさせたくないということだろうか、健悟が居るとわかっている健悟の家に遊びに行っていたときとは確実にちがう、これからはあの家に住むのだと、そう自覚をすれば今更どきどきと心臓が煩くなった。
 確かに仕事も学校もあるけれど、それ以外はずっと一緒に過ごすことができるのだ。これからはずっと健悟と一緒、その言葉を噛み締めれば楽しくなる予感しかせず、彼が居ても居なくても、あの匂いを感じるだけで彼のために何かしているだろう自分が見えてしまった。
 助手席のドアをバタンと閉める健悟を車中からじっと見ていると、蓮が見ていることに気が付いたのかまるで雑誌に載っていそうな仕草で投げキスをされた。てめぇ、と小さく言いながら拳を握ってしまうくらいにはたかがそれだけでどきどきしてしまっている自分がいて、充分盲目的に見ているだろう自分を改めて知る。
 もう一年半も付き合っているのに、どれだけの月日が流れても気持ちの根底が何も変わることはない、何が良いのかなんて分からないけれど、確実に日を増す毎に好きになっていることだけは分かる。
 ―――一年半前に比べたら、目の前のこいつは、ちょっと余裕が出てきたのだろうか?
「蓮、どっか寄ってく?」
 運転席に乗り込んできた健悟はそのままシートベルトを締めて、エンジン音を鳴らしながら蓮に問うてきた。
 たかがそれだけの仕草だというのに何故日増しに格好よく見えてしまうのだろうか、日に日に格好良くなっていく彼が羨ましく、同時に悔しいとも感じる。
 追いつきたい、はやく追いつきたい、いつか追いつきたい。もっとこっちに夢中にさせたい、こっちを、―――見ろ。
「――――」
「、…………」
 そう思った瞬間、蓮は衝動的に健悟の耳を引っ張っていて、軽く自分のもとへと引き寄せてから昼間のお返しとだと上唇を噛んでやった。
 キスなんて可愛いものではないそれは前歯で健悟の唇を噛んでいて、驚いたその表情が見たかっただけだったために眼を開いたままで行われた。
 咄嗟のことに動きを止めてしまった健悟が意識を取り戻したのは蓮が離れてからで、蓮はもう一度シートベルトを締め直しながら俯き気味につぶやく。
「…………かえる」
 ぽつり、言った言葉は充分に健悟にも届いていて、運転席からは降参とでも言いたげに深い溜息だけが届いていた。
「……あ゛ー…………俺も、一気に帰りたくなった」
 幸せそうに左手で自分の唇をなぞる健悟はにやにやと頬を緩めていて、ふわりと微笑みながら蓮の頭をぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。
「うん。帰ろっか」
「……事故んなよ」
「もっちろん」
 自信満々に言い切った健悟の頭の中は酷く煩悩に紛れたものだったけれど、ひとつだけ、確信をもって言い切れる言葉があった。
「一人ならまだしも、蓮乗せて事故るとかゼッテーないわ」
 健悟が笑顔で強く言ったそれは何の裏付けもないものだというのに何故か信頼に値して、自分で仕掛けたにもかかわらず、またもや心臓が壊れてしまいそうだった。



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