スタッフらしき人に呼ばれた健悟を見てどこに居れば良いのか分からないと思案顔をした蓮、その姿を視界に入れた健悟が、蓮の腕を軽く引っ張ることに戸惑いは生まれなかった。
 スタジオを見に来てほしいと思ったのはなにも楽屋の中だけではない、メインはここから、実際に撮影しているところをも目に焼き付けて欲しかったからだ。
「真嶋さん入られまーす!」
 スタッフの声に続くように優雅に歩く健悟はすっかり芸能人を演じていて、蓮はきょろきょろと周りを見渡しながらスタジオへと脚を踏み入れる。
「―――おはようございます」
「おはようございます!」
 息をするように軽く健悟が挨拶すると、それには熱を持った多数の声が返ってきた。男女問わぬ熱を孕んだそれに、人気があるのは雑誌やテレビの向こう側だけではない、と蓮が体感するのは初めての経験だった。
「……なにキンチョーしてんの?」
 溢れ返る人の数は蓮の想像以上で、撮影の規模に圧倒されたのか、すっかり萎縮してしまっている蓮を健悟がぷぷっと笑い付ける。そしてぼそりと呟いたのはその金色に埋もれる耳元、周囲には聴こえないだろう小声に蓮が反応すると、蓮は余裕を孕むその顔をキッと睨みつけた。
「! し、してねェよっ」
 はっきりと否定したというのに未だにやにやと笑む健悟はその言葉を信じてはおらず、蓮がまた頬を膨らませてしまうことも無理はない。
 むくれる蓮の頬を健悟は片手でぶにゅりと潰すと、蓮の赤い唇から空気が盛大に漏れた音がする。からかう健悟に再び蓮が眉をしかめたその瞬間、スタッフが健悟を丁寧に呼び付けるものだから、蓮ははやく行けと健悟を後ろから押してあげることしかできなかった。
「れん、ちゃんとそこに居るんだよ?」
 そこ、と言いながら健悟が指すのは蓮の立つ場所、扉から近い位置に蓮を立たせては、此処から勝手に動くなと、そういうことなんだろう。
 言われなくても見知らぬスタジオを動き回るつもりなど微塵もない蓮が、こくん、と首を縦に揺らすと、健悟は少しだけ笑んで、イイコ、と蓮の頭をくしゃりと撫でてから光の中へと歩いて行った。
 カメラマンらしき人物に近寄った後、健悟が自分自身の服や撮影場所を指差しているのは撮影前の簡単な打ち合わせなのだろう。あまりにも真剣な瞳に蓮が驚くも、少しだけ遠くに居る“真嶋健悟”には届いていないらしい、撮影用にと置いてある高価そうなソファに触りながらあれこれとカメラマンに発案しているようだった。
「……ウチとは大違い、だな……」
 久しぶりに見た仕事モードは誰が見ても格好良いと言わざるを得ないもので、遠くに居ながらも呼吸から変わってしまった雰囲気を知る。健悟が声を響かせる度にスタジオ自体の雰囲気も変わっていき、真摯に向き合う健悟に感化されるようにきびきびと動いているようだった。
 たかがそこに居るだけ、ただ少し話すだけ、それだけで他人を引き寄せてしまう健悟のそれは生まれ持った才能と称しても何ら語弊はないのだろう。そういうものを持っていることにびっくりしつつも、さすがだな、と感嘆してしまうことも無理はない。
 健悟が撮影用のソファに座って暫くすると、スタジオにはカメラマンの声とフラッシュの光音だけが響き始めた。一秒毎に、一瞬毎に表情を変える健悟を遠く眺めていると、一年半前の短い夏を思い出す。この距離、この人だかり、この羨むような眼差しを一身に集めている健悟を見ると、母校の体育館がはからずしも思い出された。
 あのとき、黄色い歓声を上げ続ける周囲に圧倒されながらも人だかりの隙間から見付けた健悟は、此方になど目もくれず、凛と背を伸ばしながらカメラの前に立っていた。堂々とした出で立ちを思い出せばそれだけであの時の想い出に耽ってしまいそうだったけれど、あのときと決定的に違うことがヒトツだけ存在した。
「――――」
「―――……ッ、」
 スタジオの端と端、誰もが視線を送っているその中心から蓮の居る壁際まで、明らかに色を含んだ視線が送られてきていることだ。
 カメラから少しだけ視線を外した位置、健悟が流し目をしてもさりげなく誤魔化せる位置に自分が立たされていたということを知ったのは、現に色気ありすぎる健悟の視線を受け取ってからだ。
 普段過ごしていれば絶対に遭遇しないだろう壮絶な色気、絶対的なそれにくらくらしてしまいそうになるのは惚れた欲目という小さな問題ではない、先程からミスを連発しているスタッフの顔が赤いのも気のせいではないのだろう。ソファの上、もたれ掛かるように倒れる健悟が少しだけ口を開いたときに、蓮の名を紡いだ気配があったのは気のせいなのだろうか。
 その突き刺すような視線から逃れるようにバッと健悟から目を逸らしたのは、所詮、健悟が格好良すぎたと、そんな馬鹿みたいなことを心から思ってしまったからだ。
 蓮がそろそろと視線を戻せば帽子で顔を隠しながらも口角が上がりきっている口元が見えて、その貴重な笑みには、どうしたのだろうと、カメラマンだけでなく自分の仕事をしていたスタッフまでもがざわついたほどだった。
 だからこそ蓮が、からかったなこのやろう、と拳を握ることも無理はなく、チッと舌打ちをしながら右足でつい貧乏揺すりをしてしまった、―――その瞬間。
「―――あ、そこの」
「?」
 そこの、という三文字で伝わった情報といえばどうやら近くで声がしているというそれだけだ。おれ?と眉を顰めながら蓮が顔を上げると、そこには綺麗な衣装に包まれた青年が蓮を見下ろしていた。
「……俺?」
 周囲に誰も居ないからこそ蓮が訝しむように顎に人差し指をあてると、男は他に誰が居るのだとでもいうような表情で扉の向こうを指差した。
「ね、ちょっとコーラ買ってきて?」
「……は?」
 煌びやかな衣装に包まながらも外見だけは明らかに年下だろう男、高校生ほどだろう人間に顎で使われることが心外だと言わんばかりに蓮は迷うことなく拒否をする。
「やだよ。財布ないし場所分かんねぇし」
 言えば男は不思議そうな顔をした後に視線を下げて、“GUEST”と印刷されたプラカードを見ては漸くなにかを納得したようだった。
「? あー……観覧ね……」
 見誤った、とでもいうように気まずそうな顔をした男はがりがりと頭を掻いて面倒臭そうな顔で呟く。
「仲北くーん」
「、ハーイ!」
 けれども次の瞬間、呼ばれた名に反応した男―――仲北(なかきた)は、呼んでいるスタッフに右手をあげて自己を認識させるかの如く大きな声で返事をしていた。
「あー、じゃあそこ右でたとこにあっから、俺コーラね」
「あぁ!? ちょっと……」
 そして手に持っていた財布を蓮に預けた途端に背を向けて、撮影に戻っていくだろう背中はやけに焦っている様子だった。ぽかんとしたまま蓮が視線だけでそれを追えば、カメラの目の前、健悟と同じフィールドに立ったところでピシャリと歩みを止めて礼をしている姿が見えた。
「…………」
 健悟に礼をしているということは、あいつの知り合いか後輩か、どちらにせよきちんと教育しとけと思いつつ、健悟の知り合いだというそれだけで少しだけ許してしまう自分が憎い。
 人に財布ごと渡すだなんて不用心にも程がある、そう思いながらも自分自身喉が渇きを訴えていることも事実で、コーラという単語を聞いただけで喉が鳴る勢いだ、今だけお金を借りてあとで返せばいいかと思い至るまでに然程時間はかからなかった。
 健悟が撮影していると分かりつつ扉から出ていけば、確かにスタジオを出たすぐ傍に自動販売機があった。
 コーラ二本を片手にスタジオに戻るにも全く時間はかからない、手にしたコーラをごくごくと飲みながらぼんやりと撮影を見つめていると、遠目だというのに嫌というほど視界に入ってくるたった一人の人物がいる。真っ先に視界に入るその人物に対しての好奇心が惚れた欲目でないことなど明白で、輝くフラッシュの中、クッションを抱きしめたり身体に揺れるアクセサリーを銜えたり、普段は見ないだろう姿に視線を奪われている事実は否めない。
 物理上カメラに近い位置に居るのは仲北だというのに、後ろから感じる圧倒的な存在感が滲み出てくることへの得もいわれぬ優越感に浸ってしまった。
 仕事をするのも忘れて真嶋健悟に見惚れている女性スタッフを見ても、先程感じた健悟への羨ましさは沸き上がらない。
 彼女の視界に居る健悟は自分のもの、誰よりも自分が彼を知っている、もちろん自分もまた健悟のものだと、……そういうことだ。
「………………おれの、……なんだよなぁ……」
 あんなにも凄いヤツが、とこっそりと感嘆の溜息を吐き出すことは何度目のことだろうか。ごくりと飲み込めばしゅわしゅわと喉で弾ける炭酸が気持ち良く、体育館から健悟を見ていたときと何の進歩も無いと思う。夏の暑い最中全身スーツに覆われていた健悟と、ズボンも腕も捲りながらその姿を見ていた自分。あのころよりも断然距離が近付いた今だからこそ、熱いライトの中心で汗もかかずに頑張る健悟に、この冷えた炭酸を分けてあげようと然程口も付けずに蓋を締めた。
「はやく来いよ、……バーカ」
 ぽつり呟きながら健悟を見つめる蓮の耳は赤く、普段と違う健悟の様子に若干の戸惑いと恍惚を含んでいるようだった。




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