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「たけひとー」
 健悟が運転する車を降りて武人が居るであろう駅前まで迎えに行くと、案の定上京したての荷物をたくさん持った武人が蓮に気づき右手を軽く挙げてきた。
 その慣れた様にどこかほっとしてしまうのは、誰も知らない東京で、唯一の知り合いに出逢えたからということもあったのかもしれない。

 ―――昨夜の些細な攻防戦から約半日後、健悟が自宅付近の駅まで駆り出されたのは言うまでもない、蓮の幼馴染が上京してくるからに他ならなかった。
 高校を出てからはそのまま実家の酒屋を継いだ宗像と地元の美容専門学校へと進んだ羽生、唯一東京に出てきた武人も蓮とは学校も学部も違っていたけれど、他に知り合いも居ないからこそ、蓮がほぼ無理矢理健悟の家の近くに物件を定めたことは安易に推測が出来る。
 言ってしまえば蓮は東京で武人を待っていた状態、大学に行ったからといって縁が切れるわけではないと健悟に話したとき、彼が憎々しげな様子で盛大に舌打ちしていたさまを一生忘れることはないだろう。
「―――おつかれさん」
「ん」
「……てめぇ」
 高々数日ぶりの再会だというのにどこか懐かしい心地で蓮が駈け寄るも、その直後、武人は当たり前のように自分の荷物を差し出してきた。それは上京するにあたり蓮が色々と約束事を破ってしまった謂れがあるからこそであり、蓮は仕方なしに溜息ひとつでそれを受け取ることしかできない。
 一気に荷物が軽くなった武人と蓮が向かう先は、健悟の乗る車、彼の都合上駅から少し離れた場所に停車させているそれだった。人込みを避けるためにあえて遠く離れたそれに向かうまでは、此処までどうやって来ただとか何時間掛かっただとか、引越しの業者の時間などを訊いていれば重い荷物のことなどすっかり忘れ、いつも通りの時間が過ぎて行った。
 そしてそのまま歩いて十分ほど、蓮が指差したのは明らかに浮いた車ひとつで、住宅街には似合わぬ黒塗りの車の窓ガラスをコンコンとノックする、と―――。
「…………」
 それに反応した健悟が車内から降りてきて、武人と蓮という久しぶりのツーショットを見ては、武人を上から下まで眺めてあからさまな警戒心を剥き出しにしているようだった。
「……ドーモ」
 健悟が首だけを下げる会釈をすると、それに片眉をあげた武人が健悟を指差しながらこそりと蓮の耳元で囁く。
「……ちょっと。このひとこんな感じ悪かった?」
「…………」
 呆れたように武人が聞いたのはあまりにも抱いていた印象と異なっていたため、蓮から聞いていたような柔らかで甘ったるいそれが微塵も感じられなかったからだ。
「……あー、おいって」
「って」
 それに対して蓮が健悟の頭をポカンと叩くと、人間らしく背を丸めた健悟がヒリヒリするらしい頭を撫でながら拗ねるように自分の車に寄り掛かる。
「ちょっとさぁ、アンタあんときのことちゃんと言った? 俺感謝される謂れはあってもガン飛ばされるそれねーよ?」
「……あー、な」
 武人がこそこそと伝えてくる言い分は的を射ていて、たしかに、と蓮が溜息をつくけれど、健悟の言いたいことも分かるとでもいうように蓮は困ったように首を下げた。
「あー……まぁ、気にすんな。おまえなんも悪くねーし、っつかわりーのこっちだから」
 そして、ポン、と武人の肩を叩けば武人は意味が分からないと困惑気味の表情をつくったけれど、蓮はそれすらも見透かしたようにこっそりと言葉を続ける。
「……多分おめーとの距離はかれねぇだけだから。仕事以外の人付き合い苦手なの、コイツ。……わりーな」
 小さな声で今度は蓮が耳打ちしたことに健悟は片眉を上げたけれど、武人は蓮からの言葉に半ば呆れながら返事をする。
「……べっつにー」
 ハハ、と渇いた笑いを付け足したそれは所詮惚気かよという嘲笑混じりのもので、武人のもとを離れ健悟を宥める蓮を見ては、随分と仲良くなったなぁとふと思う。
 遠目から二人並んだ姿を見るのは実に久しぶりのことで、なるほど、と武人が一人頷く。端から見ればただの友達にしか見えないだろうけれど、背景を知っている此方からすれば、微かに赤みがかる頬も蕩けてしまいそうに幸せ混じりの表情も、何かが違うと思わせるには十分すぎる出来事だったからだ。
「武人。荷物乗せろよ」
「……ん。お邪魔しゃーす」
 あてられたら堪んねぇなあ、と頭をガリガリと掻きながら後部座席へと乗り込むと、ぽすん、と尻が沈む感触がして、もしかして、と若干の焦燥と共にキョロキョロと辺りを見渡す。
 先程外で見たフォルムとこの座り心地、革張りの室内を見れば到底辿り着けないクラスの車だということが分かり、相当儲けてんなぁ、とエンジンをふかす男を見て思った。
「……カッケー、Audi quattroっスか?」
「―――知ってんだ?」
 少し驚いたような視線は運転席から、蓮同様興味はないとおもっていた、と言わんばかりの視線に武人は心外だと顔を顰める。
「正確にはAudi A8 L W12 quattroね」
「詳しいわけじゃないっすけど……自車校の合宿行ったときに死ぬほどパンフ見てたんすよ、つか蓮ちゃんも見てたじゃん」
「え、これ載ってた?」
「載ってたしー。一生買えねーし乗れねーっつってたしー」
「、ゲ」
 まるで蛙のような鳴き声をあげた蓮がバッと一瞬にして視線を変えた場所は助手席の下で、「マジかよ……」と小さく呟いた声が聞こえた。
 そのあからさまな反応を見れば、武人の位置からは見えないその場所が汚れていて、汚したのは蓮だということは容易に想像がつく。
「うわー……」
 良い車だとは思っていたけれど、とでも言いたげに困ったような声を出した蓮は分かりやすくテンションが下がっていて、おまえどんだけ汚したんだよ、と突っ込む気にもなれない。
 「馬鹿……」と武人が小さく呟くと、その瞬間運転席からにゅっと左手が伸びてきて、その手の主ははぐしゃぐしゃと蓮の髪の毛を掻き混ぜながら苦笑した。
「あー、だから良いってば。気にしないの、んな高い車じゃないし」
「、」
 あたかも平然と言い切る健悟に武人は目を丸くしたけれど、健悟は大丈夫大丈夫と繰り返しながら蓮を宥めるのみ。
「(マジで言ってんのッ……! 二千万ですけど! 修理洗浄だけでいくらかかるんだよ! 俺だったらブッ殺すぞ!!!)」
 わなわなと震える武人の声は届くことなく、蓮は罪悪感からちらちらと汚れを見ては困ったように眉を顰めているようだった。
 そんな車に乗っているという自覚もないらしい蓮を見て背中に汗を流した武人は、もしかして、とぽつり呟く。
「、……蓮ちゃん……まさかこの車運転したりしてないよね?」
「? え、一昨日したけど、ウチからコッチ来んのに」
「…………おまっ!!!」
 バッカじゃねえの!!! と武人が叫ぶと、蓮はその罵声に驚いたように目をくりんと丸くした。なぜ怒られたのか分からないとでもいうように小さく驚きの声をあげると、その隣、蓮の少し後ろ側に寄った健悟は蓮に見えない位置で人差し指を一本唇へとあてている。
「、」
 まるで小さな子供に言い聞かせるように、シーッ、と内緒を告げるモーションはこの狭い空間で武人にのみ届いていて、その愛おしむような柔らかなそれには、流石の武人もぐっと自分の言葉を飲み込んでしまうほか術はなかった。
「……なんでも、ない……」
 ……だめだこりゃ、完全に甘やかされてる。
 そう心中でひとり呟いた武人は更に深い溜息を付け加えていて、金より大事だとでもいうような健悟の態度にただただ呆れることしかできなかった。
 限度があるだろうよ、と右掌を額に乗せながら、とんでもねぇヤツに引っ掛かったとでも言いたげに深く沈むシートにふわりと身を預ける。
「家どっちだっけ?」
「…………次の信号右です」
「了解」
 蓮に浴びせる視線とは一転して強い眼光がフロントミラー越しに喰ってくることに、態度が違いすぎだろうと溜息をつくのは最早慣れたもので、武人は不躾な視線に耐えたけれど、次の瞬間、―――助手席に座る蓮がくるりと後ろを振り向いたことで事態は一変したようだった。
「バカちげーよその次だろ、ほらあの店の前通ったじゃん」
「、え? あ、ほんとだ」
 蓮が指差すケーキ屋は確かに下見の際に通った記憶はあって、これから長らく住むであろう土地の土地勘もないことを改めて気付かされた。
 曲がる前に気付いて良かったと武人が道を訂正しようとした、瞬間―――。
「…………えー、なんで蓮も知ってるわけー?」
 目を細めてドン引きしているような声が運転席から届いたものだから、一瞬にしてその負の気配を察知した武人は、このバカ言ってなかったのかよ、と小さく舌打ちを繰り出すことしかできなかった。



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