じゃばじゃばと音を奏でる浴槽内では健悟が移動を進めていて、近いと言われようとも実力行使で蓮の目の前まで場所を移動させた。伸ばしていた蓮の膝を無理矢理立てて曲げさせて、その両膝を割るようにして身体を進める。すっぽりと蓮の足の間に入ってしまうかのような体勢に驚く様子を見せたのは蓮のみで、先ほどのトーンとは違い、若干上擦った声で「近い近い」と連呼される声が浴室に響いた。
 体勢を立ち直そうとも健悟に膝を押さえられているせいでそうもできず、蓮から上気した顔で目を逸らされて漸く、一緒に風呂に入るという意味を意識されたのだと悟った。遅いよ、と言ってしまいたい言葉をのみ込んで、健悟は口角を上げながら脇にあった蓮の膝へと肘を乗せる。
「……ちょっとぉー」
 今度唇を尖らせるのは蓮の番で、膝を閉じたいのにそうもいかないせいか目線を斜め下に預けている。熱さのせいか照れのせいか赤い顔には我慢が出来ず、つい身を乗り出してしまうこともきっと、仕方のないことだ。
 気付けば健悟は自分で意識するよりも先に蓮の顔の横へと手を置いていて、ちゅ、と赤い頬の上に唇を押し当てていた。
 驚いたのか此方を振り向いた蓮に今度はちゃんと唇にキスを落とせば、きっと睨まれてからバシャンとお湯を顔にかけられてしまった。
「わ、」
 健悟がぶるぶると顔を振ればお湯は飛んで行ったけれど、照れ隠しなのかぼかぼかと頭を叩かれて、ごめんと心もなく謝ることしかできなかった。
「なんか、かわいかったから」
 ふっと笑って健悟が言えば、透明なお湯の中、ありとあらゆるところが丸見えな蓮の顔があからさまに真っ赤になった。
 その様子だけで充分だと満足した健悟は髪上げながらふっと笑い、先ほどから縁に置いたままだった入浴剤を指差す。
「入浴剤。入れよっか?」
「……入れ、る」
 おずおずと入浴剤に手を伸ばす様子は明らかに警戒を意味していて、大丈夫だよとは口にすることなく髪の毛をぐしゃぐしゃにしてあげた。
「バブ?」
「……ばぶ。さくら。」
「また季節はずれな」
「……おまえがせかすからだろ」
先ほどの出来事を思い出してはじとっとした目で睨まれたけれど、目の前にあった膝をこちょこちょと擽れば大袈裟に身体を揺らして逃げられた。
 ようやく落ち着いたと思った頃には入浴剤のじゅわじゅわとした音が浴室内を支配していて、ぽちゃんぽちゃんと落ちる滴の傍ら、蓮はどんどん小さくなる入浴剤をじっと眺めていた。そして入浴剤がふたつ溶けてようやくお湯に色がついたところで、ようやく警戒心も共に水に溶かしたのか、ぱっと蓮が顔を上げた。
「あ、つか次泡風呂してーんだけど」
 思ったままに話しているらしい蓮の記憶の中には、先ほど収納棚の中にあった泡風呂セットがあったけれど、健悟にとっては「次」という言葉の魅力に抗えず何も言葉を発することができなかった。
「ちっちぇーころからずっと憧れてんだよね、あのもふもふしたやつ。ちょー気持ち良さそうじゃね?」
 もふもふって! と健悟が口にすることはなかったけれど、今にも可愛いと抱き締めてしまいそうな身体とむずむずと蠢いてしまいそうな唇を必死で押さえた。
「俺やったことねえんだよね、家族多いから泡ヘタレるし温泉で泡風呂とかできねぇし……。でもここなら出来そうじゃね? さっきあったよな? な?」 
 な、と言われれば断る術も持たず、わくわくしている様子が余りにも可愛くて掻き抱いて愛でてしまいたい衝動を必死で堪えて少し上の空で返事をする。
「あったあった、あれ楽しいもんねぇ、今度蓮も一緒にやろーね」
 しかし、笑顔を振り撒いた瞬間に目の前の緩んだ顔はぴたっと止まり、一瞬にして眉を歪め忌々しそうな表情を見せた。
 健悟が「え、」と思ったのは一瞬で、ハッと呆れたように鼻で笑う声が聞こえて初めて自分の失態に気付いた。
「……も、って。誰とやったんすかァー」
「…………あ、」
「……お盛んですねー」
 そう言いながらも少しずつ足で健悟を押してくる蓮は安易に離れろと言っている様で、慌ててその足を掴んで動きを止めさせる。
「えーー! も、ほんと、めっちゃ昔のことだってば……!」 
「へー」 
 それでも疑いの止まらないその表情には容疑を否認しても事実は変わらないことを知り、急いで話題を変えてみる。
「……あー、蓮、髪。髪洗ってあげる、俺超うまいから、ほんとに」
 指をわきわきさせながら蓮を促せば、ガツっと水中で尻を蹴られたあとにまたじとっとした視線を向けられた。
「……なんで巧いって分かるんですかー誰に言われたんですかー」
「……れーんー!」
 やさぐれたように呟いた蓮の肩をゆさゆさと振って、ほぼ無理矢理上がらせてから急いで椅子を用意して座らせた。
 怠慢な動きをする蓮の肩を揉みながら落ち着かせて、背中に走る冷や汗は悟られないようにシャワーの温度を調節する。
「はい、ほら、洗ってあげるから!!」
「んー」
 掠れたように聞こえる小さな声を聞いてから、ゆっくりと背中からシャワーをかけてあげればその背が一瞬だけぶるっと震えた。
「目ぎゅーして?」
「ん」
 後ろ髪にだけシャワーをあて、わしゃわしゃと後頭部を弄りながら言えば、こくんと一度頷かれた。
「良い?」
「ん」
 風呂場に小さく反響した返事を聞いてようやく、後頭部から全体にお湯をかけ始める。段々と濡れて行く髪の毛と、従順に首を下げ健悟に全てを任せる蓮を見て、彼に何かを「やってあげる」ということが自分はこの上なく好きらしい、と健悟は改めて思った。
 自分に沁み付いているといっても過言ではないサロンのシャンプーを蓮に施して、浴室が香りに包まれれば表情を見ずとも分かるほどにとろんとしているだろう蓮が居る。
「きもちー?」
「……んー」
 健悟が聞けば、蓮からは掠れて眠たそうな声が小さく聞こえた。いつもサロンで自分がやられていることを模倣して、しゃかしゃかと毛根に刺激を与えるように、優しく髪を梳くように、手の動きを繰り返した。
 ぽちゃん、ぽちゃん、と不定期に落ちる水の音、静かな浴室で髪を擦る音だけが響く耳の周り、健悟が髪を洗うのがうまいと言っていたことは冗談では無かったとようやく知り、ぼうっとすればその瞬間にも一瞬で寝てしまいそうになる。
 このままではまずいと蓮が後ろ手でボディータオルを取り、少しだけ濡らしてからボディーソープのポンプをぎゅっぎゅっと押した。蓮の掌の上に乗っているボディーソープが詰まるところ精液に見えたのは健悟のみで、突然見えた映像が違うものと分かりながらも目を見張り、蓮の頭で動かしていた手が一瞬止まってしまった。
「?」
 動きの止まったことに気付いた蓮が振り向けば、健悟は目線を左右に泳がせながら、誤魔化すように口を開く。
「つかなんで洗ってんの、俺洗ってあげるのに……!」
 むしろ洗わせて、と今すぐにでも手を這わせたい衝動に支配されると、蓮は呆れたように眉を顰めた。
「はぁ? さすがに普通こっちくらいは自分で洗うし」
「…………普通って……え、え? ちょ、え? ……おっまえまさかと思うけどいつも頭洗ってもらってんの?」
「?」
 なにが悪いんだ、とでも言うかのようにきょとんとした蓮の瞳を見て、つい浴室に過剰に響くほどに叫んでしまった。
「自分で洗えよ!」
「、え、うん」
 それに少しだけ怯んだ蓮がシャワーを頭に当てて泡を流そうとするものだから、そうではないと急いでシャワーノズルを取り返す。
「今じゃなくて!!! 俺以外!!」
「……はぁ? だって洗ってくれるっつーんだもんいーじゃん、人にやって貰う方が気持ち良いし」
 気持ち良い、と唇を尖らせた蓮を見て、健悟の頭に上っていたはずの血がサーっと下がっていく音がした。
「……だめ。ぜったいだめ。そんなこと言ったら次みんなで温泉行くとき俺もついてくからね」
「は、やだし」
 ふざけんな、と腹を殴られれば地味に傷付いたけれど、そんなことすら実行してしまいたいくらい、誰にも触らせたくないのに、何故分かってくれないんだろう。



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