「シてい?」
こてんと首を傾げたのはわざと、温もりを抱き締めながらその腰付近で己の右手と左手の指先を組み合わせ、上目で覗き込んだ。
「……わざわざ聞くのがオヤジくせーんだっつの……」
「……ふーん」
そんなこと言っちゃうの、と眼を細めれば蓮は少し怯んだ表情を見せたけれど、後悔するくらいなら言わなきゃ良いのに、と思う心は止まらない。
「オヤジくさいついでにもうひとつ」
「、?」
嫌味たらしく肯定すれば蓮は一気に訝しむような表情を見せた、決して短くはない付き合いだからこそ、蓮にとってはこの先に宜しくない展開が待ち受けていることに気付いたのだろう。
何年経っても不思議と飽きる気配すらない身体を名残惜しみながら太腿の上から下ろす、突然離れたことに蓮は困惑していたけれど、手だけはしっかりと握ったまま立ち上がらせて寝室へと歩みを進めた。
寝室に向かっていると覚った蓮が若干肩に強張りを見せたけれど、そこは卑怯な大人宜しく殴られた箇所が痛むふりをすれば蓮はそれが嘘だと分かりながらも仕方なくついてきてくれているようだった。
扉を開けて足を踏み入れる、けれども本当の目的はベッドの上にはなくて、直接ベッドまで足を運ばない健悟の姿を、蓮は眉間に皺を寄せながら見つめていた。
健悟が歩みを止めた先に在るのは今日撮影現場に持っていった鞄と、現場から持って帰った紙袋。腰を曲げてそれを取り、振り向いて渡す相手と言えば、当然該当者はひとりしか存在しなかった。
「ん。」
「?」
未だにぎゅっと握られている健悟の左手、それをようやく外した蓮は、突然渡された紙袋に顔を歪めながらもそれを受け取った。紙袋の中身と言えば、上から見える部分にはまるで中身を隠すように黒いタオルが敷いてあって何が入っているのかが一切見えない造りになっている。
なんだ、と湧き出るのは当然の如く好奇心、蓮がタオルを剥ぎ取り中を覗き込む、と―――。
「……なっ、!」
思わずあげた声を飲み込むこともせず、蓮は「なんだよ、これっ」と続けた。
焦燥に駆られる声はたしかに健悟に届いたけれど、健悟は蓮の疑念も払拭するかのようにその眉間に寄った皺を右手の人差し指でぐりぐりと押し付けていた。
「睨まないー」
「だって、おま、……これっ……」
明らかに顔にふざけるなと罵倒の言葉が貼ってある姿は想定済み、蓮に渡したということは勿論それを使用するのは蓮本人で、その事実が分かっているからこそ蓮は唇を震わせて健悟に抗議しようとしていた。
「似合うと思うよ?」
「似合ってたまるかアホッ、こんな……おま、セーラー服って……!」
言った途端にこの先のことが想像できたらしい蓮は、ぐっと黙って手中の塊に目を向けた。
濃紺を基調とするスカートに細く施されているプリーツ、長袖らしい白の上着は袖と大きな襟にも濃紺の色が乗っていて、申し訳程度に隙間に挟まっている赤い布は、所詮はよく見るスカーフというやつなのだろう。
中学のころは学ランとセーラー服という一般的な組み合わせの学校だったけれども、こんな風に解体されているセーラー服を見るのは利佳が部屋に捨てておいた時以来だ。中学時代に女子と至るという経験すらなかったために、まさかこんな形でそれに触れる機会が来るとは思ってもみなかった。
蓮が嫌悪を露わに見つめる先は紛れもないセーラー服、所詮はAVで何度も見てきたそれをまさか自分が渡されることになるとは思わず、しかも健悟から渡されるという展開を予測することすらできず、蓮はただただ放心しながら固まってしまった。
「さっきの写真。いっぱいあったじゃん?」
「―――」
そんな蓮に声を掛け覚醒させたのは勿論健悟、利佳に渡すためでもあったブロマイドの中で健悟は両の手では足りないほどの女装をしており、それを蓮に思い出させるように言葉を紡いでいく。
「本当はそれも着させられる予定だったんだけど、俺が身長ありすぎてさすがにギャグにしかなんなかったんだよねー。まぁ、持ってきた奴もこれは冗談で持ってきてたっぽいけど」
和服とかチャイナとかは逆にタッパある方が似合うんだけどね、と柔らかく微笑む健悟に邪気は見当たらず、蓮は二の句も告げぬままに呆然とその様子を眺めていた。
けれどもそんな蓮がついつい言葉を発し口を挟んでしまうのは、健悟の分厚い唇から信じられない言葉が聴こえてきたからである。
「だからちょっと、俺にって持ってきた奴をそのまま蓮用にリサイズしてもらって――」
「――……はっ!?」
「ん?」
「………………」
でれでれとした締まり顔を休めず得意気に話す健悟を、蓮はたった一言で遮った。
目元を震わせるのは所詮ドン引きしているからで、たったいま、健悟から発せられた言葉がまったく信じられなかったからでもある。
「……え? は? なにいってんのおまえ」
「? だから、蓮のサイズに服を直して貰って――」
「……はああぁあっ!?」
健悟の発する平坦な口調とは一転、蓮は紙袋を落としそうになる衝動を必死で堪えて大口を開けた。
眉を顰めながら詰め寄る先はもちろん健悟で、ずいっと近づけば上目遣いになってしまう自分を嫌悪しつつも問い質していく。
「誰に、バカおまえ誰に頼んでんだよっ!」
「え、スタイリスト。専属の、金本さん……って前に言わなかった?」
「言ったけど……ちっげぇよ! なんつって!」
「使うっつって」
「……なにに!?」
「え。ナニに?」
「―――………」
ぴたり、蓮は悪びれなく言った健悟を見て一瞬だけ動きを止めてから、ぶんと拳を健悟の腕にお見舞いした。
「いった!」
「……なに言ってんの? なぁおまえ何言ってんの? おまえ自分誰だと思ってんの? 芸能人よ? なに勝手にバカみてぇなこと言っちゃってんの? あ?」
「ちっが、大丈夫だから、そいつは知ってるし、蓮のこと」
「…………はあ!? おっまえ……マジ、ばっかじゃねえの……!」
「大丈夫大丈夫、落ち着いてって」
おちつけるか……! と蓮が健悟を蹴ろうとするもひょいと避けられ、余計に頭に血が上ってしまう。
ふざけるなと蓮が右手を振り上げればその腕すら余裕めいて捕まえられてしまって、蓮は唇を噛み締めながらその顔を睨みつけた。
「だから、……ね?」
「……ね、ってなんだよ」
おねだりするような表情は極たまに健悟が見せるもの、テレビ越しでは決して見られない表情に蓮が喉を詰まらせると、健悟は宥めるようにゆっくりと蓮の持っている紙袋を指差した。
「ん、」
「あ゛?」
「分かってるんでしょ、……着て?」
「ああ? 着るはずねぇだろ、アホか」
自分の顔の価値を分かっていて蓮を覗き込んできた健悟を一蹴すると、その瞬間健悟の目元がすっと細まりまるで犬猫ならば余裕で視線だけで討伐しそうな冷たい双眸を預けてくる。
「…………」
「、」
その瞳の強さに蓮が軽く怯むと、健悟は唇を尖らせて、さらに言葉を進めていく。
「……ふーん、おとといきのうきょう、俺がどんだけ心配したかとかそんなん良いんだ、仕事終わって蓮に逢うためにソッコー帰ってきたのに蓮も居なくて連絡もなくて、電話もシカトだし声も聴けないしすっげーさみしーとか思いながらひとりで寝て仕事行った俺のことなんて関係ないんだ」
「……っ」
健悟が一息で言い切り咎めるような視線を向ければ蓮は途端に罪悪感を募らせるような表情をするものだから、健悟は堪え切れず蓮の右手首を引っ張って自分の半身へと触れさせた。
「つか、こっちももう限界なんですけど」
「―――」
わざとぐいっと押し付けるように蓮の手を引けば、再び熱を感じたらしい蓮が顔を顰めたけれど、その事実をも無視するように健悟は続ける。
「蓮が着ないんなら、なんかもーめちゃくちゃにしちゃう自信あるんだけど、いーのね?」
「…………っ、」
こてん、と健悟が首を傾げる姿は可愛いという表現には程遠く、まるで捕食者のそれを思わせる態度に蓮は一歩後ずさって拒否の念を示した。
「蓮の明日の予定は?」
「…………やだ、武人ん家行く」
「許すはずないでしょって、だから」
「…………」
武人という言葉を出した瞬間、余計に手首を握る手に力が込められる。ぎりぎりと痛むそこは逃がさないとでも言っているようで、掴まれた両手首から伝う熱の違いに蓮はぐっと唇を噛み締めた。
「月曜は午後だけだったよね?」
「知ってんじゃねぇかよ……」
「当たり前」
得意気に答える健悟の様子は全くもって無駄な知識だと罵ってやりたかったけれど、それができなかったのは、綺麗な灰色の双眸を細めた健悟が耳元へとその唇を近づけてきたからである。
「着なかったら、……本当に足腰立たせなくしちゃうよ?」
「っ、」
まるで息を吹き込むように、舐めるでもなく噛むでもなく、ただ耳元で囁かれると言うそれだけの行為に背中に鳥肌が這う。
「着るだけ、なんもしないから。ね?」
「…………うそつけてめぇ」
「うん、それはちょっと嘘だけど」
「……っ」
「れーん、おねがい」
「………………」
そして、覗き込むように上目遣いで告げられて、自分の顔の価値を分かっていて行われている行為だと此方も理解しているはずなのに、未だ指先に与えられた健悟の半身による熱と、その麗美としか言えない風貌に顔を逸らしてしまった、此方の惨敗だった。
「……………………めっちゃ似合ってもなんもすんなよ、テメー……」
「―――うん」
盛大な溜息を吐き出しながら言えば、ちゅ、と軽いキスを額に落とされて、ようやく押し付けられていた健悟の下半身の熱が去った。それでも未だ隆起していることは変わらず見て取れて今にも爆発してしまいそうなそこと同じく、これから着衣するという未知の領域と、何をどうするのかが全く定かではない現実に此方の頭が爆発してしまいそうだった。
「……じゃ、もう出てけお前」
ぎろりと睨めどもまったく効果のないらしい、はあい、と上機嫌に返事をした健悟がぎゅっと蓮の頭を胸元に押し付けて後頭部に小さなリップ音を残すものだから、突然の行為にぞわりと肌が粟立ってしまった。
「楽しみにしてる」
強く抱えられた身体の耳元で健悟が恥ずかしげもなくそんなことを言うものだから、蓮の反応と言えば顔を赤らめて、その顔を俯き隠すようにしながらげしげしと踵で健悟の脛を蹴ることしかできなかった。
「ったいって、ちょっと、」
「うるせぇ、痛くしてんだよ」
絶対的に楽しそうにしているだろう健悟の顔を直視できぬまま蓮が答えると、それでも楽しそうに無邪気な声を上げた健悟がゆっくりと寝室の扉からその背を消した。
扉をバタンと閉めてからにやにやと微笑むのは健悟だけで、扉に耳をつければ中から聞こえてくる悲痛にも似た呟きが楽しくて、蓮にバレないようにくつくつと笑ってあげた。
想像するだけで頭を抱えたくなる蓮のセーラー服、服を貰った時点で軽く勃起してしまいそうな気配はあったけれど、本当に蓮が着てくれると知って、胸の鼓動が治まるところを知らないように蠢き続けている。




(―――めちゃくちゃにとか、するはずないのに。俺がどんだけ優しく扱ってるか、まだ分かってないんだ)




すきだなぁ、と脈絡のないことを想っては、扉の中から聞こえる戸惑いに耳を澄ませて今すぐにでも扉を開けてしまいたかった。





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