バタンッ! と蓮がわざとらしく閉めたのは浴室に続く扉、脱衣所でひとりシンとした場所に立って耳を澄ませても、足跡ひとつ聞こえず、遠くで小さく健悟の話声が聞こえるのみだった。
「……追っても来ねえ」
あえて鍵を掛けていないというのに、追っても来ないふてぶてしさに、ちぇっと舌を鳴らす。
俺にも誰か紹介しろと的外れなことを思うと同時、俺も同じことをしてやろうかと、バカなことをこっそり思った。
「あー」
ぼりぼりと頭を掻きながら、このもやもやした気分を晴らすよう、気分転換に入浴剤でも入れようかとしゃがみ込む。
「なににすっかなー」
ぱちん、と付けた電気は洗面台内部のもの。
洗面台の下の広すぎる収納のスペースには電気までもが設置してあり、心から無駄な装備だと思うことは何度目だろうか。この家は本当に、無駄なところに金をかけすぎている。
「、んー……」
手を伸ばしてごそごそとお目当ての箱を探せば、いつもよりも少しだけ奥まった位置に置いてある。
「……っしょ、とれた」
差し入れで入浴剤をよく貰うからこそ、定期的に入浴剤ボックスの中に収納しているのだろう。
相変わらず見かけによらずマメなやつだな、と蓮は呆れるけれど、こうしてこっそり蓮が使うからこそストックを置いていくことに、一度たりとも気付くことはなかった。
「うーん……」
ゆず、桜、檜、オリゴメール、ゲルマニウム、クナイプ、ダイエットの入浴剤、泡の出る入浴剤、音楽を奏でる入浴剤……、いっそ此処に置いていない種類は何なのかと聞きたくなるようなラインナップに、間接的とはいえ改めて本当に人気があるんだろうなあと今更思う。
「これにしよ」
健悟がおススメしてきた高価そうな入浴剤はよくわからない、良い匂いのしそうな森の香りのバブだけを取り出して、またもや奥へと置いておく。
「だる……」
棚の配置が健悟的に決まっているらしく、取り出してはわざわざ奥に置かなくてはならないのが面倒くさい。
今度手前に置いてもらえるよう言ってみよ、と思ったところで、ふと、いつもとは違う物体が目に入ってきた。
「………………って、ん?」
入浴剤が入るべき収納場所の奥の奥、その少し左にいったところに、見たこともない白い箱が置いてあるのを発見した。
上には段ボールが積んであり、周りに置かれている収納物に隠されるように置かれているそれは、厳重にガムテープで密封されていて、とても丁寧に置かれているようだった。
「? なんだこれ」
好奇心で段ボールを避けて手にもってみると、やけに軽い。
「かるっ」
箱を取るために奥まで伸ばしていた手を戻し、曲がり切った背筋を伸ばしてからそれを振ると、カランカランと小さな音がした。
「……おと?」
まったく心当たりのない白い箱に、もしかしてへそくりだったらどうしようと一瞬思ったけれど、本当に金のある人物は家になんて置いておけないか、と一蹴した。ただでさえ金銭感覚の可笑しい健悟は、絶対にこんなところに隠しておかない。
「、あ」
そしてふと頭に思い浮かんだのは、エロDVDや、エロ本なのでは、という疑惑だった。
「……あのバカ、隠すくらいなら俺に貸せっつってんのに」
考えてみればこの家では一本も一冊もそれらの類を見たことなく、こんなところに隠していたのかと口端が上がってしまった。
ばかめ、見つけてやったぜ、といっそわくわくしてきた胸に任せれば、健悟がどんな趣味をしているのかも同時に気にもなってくる。
「いーや、開けちゃえっ」
一瞬勝手に良いのかと葛藤はしたものの、湧き上がる好奇心には勝てることなく、蓮はにやにやと笑みを浮かべる口元を自重できぬまま、べりべりとガムテープを剥がしてしまった。

―――……しかし。

「、」
ぱかっと蓋を開けたその瞬間、声を無くしてしまった。
「…………え、」
白い箱の中に入っていたのは、ピンク、赤、黒、ピンク。明らかに女性という言葉の似あう代物が箱から登場することは想定外で、蓮は蓋をあけたまま、ぴたりとその場で停止してしまった。
いくらぱちぱちと瞬きをしても現実は変わらない、ファンデーション、アイシャドウ、アイラインにアイブロウ、チークやノーズシャドーまで完璧に揃っているそれはどこからどう見ても化粧道具の一式で、こんなにもこの家に似つかわしくないものが何故此処にあるのだろうかと疑うことしかできない。
「は……、」
ひく、と引き攣る口角を従えながら必死で冷静に頭を働かせるけれど、あまりにも想像していなかったことにまったく頭が働いてくれなかった。
使いかけのアイシャドウは明らかに最近使ったような粉が散っていて、そう遠くない過去に確実に誰かがこれを使っていたことを知る。
チープな化粧道具ではなく蓮でも知っているブランドの高級品で、一般人には到底手の出せない値段のそれらは、健悟と同じ業界の人の私物かもしれない、と思うには十分な要素だった。

「、…………」

元カノとか、女の人とか、だれも、この家には来たことが無いって言ってたくせに。
……そのくせ、なんでこんなにフルセットで揃ってんだよ。
元カノ? だれ、まだ続いてんの? 俺が此処に来てるのに、まだ、ほかの誰かが此処に居るってこと? 遊びに来てんの?
 ……どういうこと、なんだよ。

蓮が明らかに眉を顰めて白い箱を睨みつけても当然現実は変わらない、よくよく見れば化粧品だけでなく明らかに値が張りそうなネックレスやピアスまで添えてあり、一体これはなんなんだと、繰り返し現実を疑うことしかできなかった。
立っていた蓮がすとんと座ってしまったのは身体中の力が抜けてしまったからで、よく白い箱の中身を落とさなかったと自分でも誉めてやりたいくらいだった。どくどくと煩い心臓は何を表しているのかも分からず、信じられない気持ちでただ箱を見つめていた。
そして、ずっとぼうっと見つめていたせいで、透明なケースに入った写真のようなものを発見することが遅れてしまったらしい。端だけ見える写真は空の青だけが映っており、見える数センチの部分に人影はなかった。だからこそ蓮は一瞬だけ手を伸ばしたのだけれど、好奇心だけで伸ばしていた手は、冷静な思考によってピタッと止められてしまった。

――だって、これを見て、もし、健悟と一緒に女の人が写ってたら?

頭に過った過程をぐるぐると反芻しては、こういう時、どうしたら良いのかが分からない、ということが答えだった。

なんでこんなの持ってんの、なんでこんなところに隠してんの、……つーか、これ、――誰のなの。

聞きたいことばかりが脳内を駆け巡ると、ふと、忘れていた音が廊下に響いた。
いつもとなにひとつ変わらぬトーンで、トントントンと、電話を終えたらしい健悟が廊下を歩いて此方にやってきたのだ。
「、」
健悟が来たことに気付いた蓮が焦って鍵を閉めると、その数秒後かに脱衣所の扉は叩かれた。
「れーんー」
「、」
甘ったるく自分の名を呼ぶ声が今はなんだか遠い気がして、蓮は唇を噛みしめながら白い箱をぎゅっと握りしめる。
「れーんーちゃーん」
とんとんとん、と脱衣所を叩く音は止まないものの、此方が執拗に無視の姿勢を徹すればつまらなそうに溜息を吐いた健悟は思っていたよりもあっさりと扉を叩く手を緩めた。
「……なんだ、おふろ入っちゃったか」
ちぇーっ、とわざとらしく甘えたように言うセリフはまるでいつもと何も変わらず、本当に何も変わっていない気になってしまう。けれども確実に存在した白い箱には未だ動揺が隠せず、どうしていいのかが分からない。


「――っ、」


だって、これは、もしかして、……もしかしなくとも、…………浮気と、いうやつなのだろうか。






結局は見なかった振りをしてガムテープでぐるぐる巻きにした白い箱だけれど、それでも、お風呂に入っている間もとうとう頭から離れることはなかった。
見たいけれど見たくない写真のことばかりが頭に引っかかって、ピンク色の高級な化粧品のことばかりが脳内に蘇っては、ぐるぐると脳内を過ぎ行く想像に苦しめられている。
烏の行水の如く上がったお風呂、再び脱衣所に戻ってきたときにようやく、置きっぱなしにしていた入浴剤を見つけて、そんなことはすっかり忘れていた自分を知る。たった数分で、ものすごく心臓が痛くなった気がする。きりきりと痛むということはこのことを言うのだろうか、今は扉が閉まっている洗面台の下の秘密が気になって、正直動くことすら儘ならない状態だった。
義務的にガシガシとタオルで頭を拭き、結論が出ないとわかっていながらも、どうしようと、それだけを脳内で繰り返す。
そんなことをしていた、ら。
「終わったー?」
リビングからぱたぱたと近づいてきた健悟の顔が見れずに、びくっと肩を震わせてしまった。
それでも、ずっと扉を閉じたままにはしておけないとだろうと鍵をあけたけれど、正直、健悟の顔も見れず俯いてしまうことも仕方がないことだろう。
「…………」
「?」
健悟の怪訝そうな表情は俯いている蓮には届くことなく、蓮は狭い視界の中で視線を右往左往させていた。
「あ、おれ乾かしてあげよっか?」
けれども、健悟が何の気なしに蓮のタオルに手を伸ばし、ドライヤーを持ってこようとした、――その瞬間。
「、や、」
「―――」
つい、その手を跳ね除けてしまった。
ようやく上げた顔で映る視界には目を開く健悟が居たけれど、今は何も巧い言い訳もできそうにない自分を覚りながら、再びタオルで顔を隠すようにガシガシと髪の毛を掻き毟った。
「……あー……、や、寝る、し、……先」
ぼそぼそと言えば、お風呂に上がる前後で明らかにテンションが違うことに気付いた健悟が腕を掴んできたけれど、ぎゅっとタオルを握り締めては口を開かずに離せと告げていた。
「、蓮?」
上ずったような声が頭上から届く。
「え、まさか怒ってんの? ……ただの確認だし、冗談だよ?」
健悟が何の話をしているのかと考えたのは一瞬、先程の電話のことかと思い当たり、今はそれ以上に聞きたい問題が心に棲みついてしまったことを知る。
健悟にとっては期待していたはずの蓮の反応があまりにも見当違いなことに動揺を隠せなかった。風呂を上がったあとに拗ねているだろう彼を甘やかし、どろどろに可愛がってあげようと思っていたというのに、この様子は何なのだろうか。まるで本気で拒むかのような態度には焦りしか募らず、余りにも儚げなそれには思わず引き止めてしまったほどだった。
 その健悟の焦燥が伝わったのか、蓮は俯きながらも誤魔化すように顔に笑みを浮かべて、ぼそぼそと呟く。
「……わーってるっつの、ちげーから、ほんと」
ガシガシとタオルで頭を掻いているのは健悟から表情を隠すため、何も纏まらない頭で健悟に問い質しても無駄だとわかっていたからこそ、誤解だと信じたいと思いながら、言葉を続けていく。
「つか乾かすのめんどくせぇだけだし、……んでもねーって」
おまえも風呂入れよ、と、トンと健悟の肩を拳で軽く叩いてから、寝室へと続く廊下を歩いていく。
「……先寝てるわ」
おやすみの挨拶もせずに寝室に行く蓮を健悟は明らかに眉を顰めて見ていたけれど、両者共にそれ以上言葉が続くことはなかった。
風呂から上がったらしい健悟は結局、夜中に蓮のベッドに潜り込んで行ったものの、わざとらしい狸根入りをされたことで、自分が何をしたのだろうかと一人振り返ることしかできなかった。
蓮を抱きしめて眠ることにはもう慣れつつあるというのに、この温もりがいつもよりも遠い気がして、抑えきれない靄が生じ始めている気がして、両者共々が靄を抱えながら無理やり眠りに就いていた。



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