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「れぇん、ごめんって」
「…………」
 小さく笑いを噛み殺しながら狭いベッドの上を移動すると、所詮は三十センチメートルの距離なんてあっという間に縮まっていく、極力ベッドの端に寄る蓮には限界があるからこそ、その限界まで自分も近づいていけば良い、ただそれだけの話しだ。
 掌を沈み心地の悪い布団へと体重を預けて、ゆっくりと近づけばその度にギシリと音が鳴る。こんなベッドで致そうものならば下の階に居る利佳にまで聞こえてしまうのだろうか、と、初めてこの部屋で眠った時にも感じた疑問が再び脳裏に過ぎった。
「れーん、」
「―――」
 ベッドの端の端、ベッドから降りれば逃げ場はあるだろうにそうせずに端に寄っているだけ、……これはもう、あらゆるものを肯定のサインと受けってしまいたいくらいだ。
「…………汗かいてるー」
「……ったりめぇだろ、夏だぞ」
 それでも、そんな性急に事を成せるはずがない、健悟は己の煩悩をひた隠しにするように蓮の指へと自分のそれを近づけて、かちり、わざとらしく指輪の音と鳴らした。
「久しぶり、だね」
 カツンと短い金属音が鳴ったのは一瞬の出来事だったけれども、その瞬間だけでも時間に負けない嬉しさが腹底からじんわりと湧き上がってくる。
「…………」
「………………」
 久しぶりに触れた蓮の指、ごつごつとした男の指、離れている間も嵌りっぱなしだった指輪に、一本一本の隙間を縫って侵入していけば、柔らかくて温かな温もりがあった。
 離すまいとその手をぎゅっと握り締めれば躊躇わずに握り返されたものだから、先程の出来事は本当にあったことなのだと、夢でもなんでもない現実だと、そう改めて言われているような気がして、緩む頬を元に戻す方法が一つも見つけることが出来なかった。
「……つか、今更だけどなんか、何喋ってたんだっけって感じになるね。……ほんと、すげえ久しぶり」
「あー……、な。思った。」
 健悟の顔も見ずに俯きながら、繋いだ手を見ながら小さく言葉を発した蓮に、蓮らしくないなぁと思ってしまうことは仕方がない。緊張しているのだろうか、 ……そういえば、誰かとちゃんと付き合ったことはないって、言ってたっけ。
「……れーん、ていうか、とりあえずこっち来てよ」
「えっ、」
 ぐい、と蓮の腕を引くと、戸惑いがちな瞳が返って来たけれど、だめ、ぜんぜん、許さない。逃がさない。誰とも付き合ったことがないなら、俺が教えてあげればいい。それだけ、だ。
「ダメおれいま、すっごい蓮不足なの」
 おねがい、と口にはせずに指の隙間を一ミリたりともなくしてあげる、ぎゅっと握ったそれを自分側へと引っ張って、蓮が大好きだと知っている顔で、覗き込むように話しかけるのは、ごめん、……わざとです。
「……もーね、抱き締めたくてしょーがないんだけど。……だめ?」
 だって、これって、……付き合ってるんだよ、俺等。
 嬉しさの判断が鳥肌に変換されては背を逃げていく、これからは俺が、俺だけが、蓮に触れる。そう思ってしまったが最後、抑えていたはずの欲求ばかりがどんどんと加速していっては、絶えず蓮のカタチだけを求め続けてしまった。
 けれども、れーん、ともう一度その名を呼んだが最後、張本人は至極嫌そうに眉を顰めながらも、手を引かれたから仕方なく、そう言いたげな顔で重い膝をベッドからあげている。
「……付き合う前の方がくっ付いてたって許せないじゃん、そんなの」
「、ちょ、」
 健悟がぽつりと呟きながら嫉妬が向かう矛先は過去の自分自身、漸く、本当に漸く手に入れたこの位置だというのに、過去の自分なんかに負けてはいられない。
 そう思いながら蓮の手を引っ張っては、その身体を真正面から抱き締めようとした―――……けれどもそれに拒否の意を示したのは蓮で、慣れていないのか無駄な緊張を背負っているのか、「……まえはむり、」と小さく呟いては健悟に背を向けてこれが限界だとでも云うように背を凭れて来た。
「うっそぉ、何度真正面向いて抱き締めたと思ってんの、おまえ、ねぇー」
「……っせぇな、マジで」
 ちょっとー、と健悟が不満そうにしながら蓮の肩に顎を乗せると、蓮は小さく舌打ちをしながら逆方向を向いて、掌で顔を隠した。
「だっからなんで隠すんだっつの」
 手はこーこ、とわざとらしく言い聞かせた健悟が蓮の両手を右手で束ねて、蓮のお腹の上へと移動させた。健悟の股の間にすっぽりと入ってしまった蓮は己との体格差を恨みながらも、ここまで背に沿う相手も珍しいと、口にせずともその気持ちよさは肌で感じている事実は否めない。
 その証拠に、空いた手で健悟に髪の毛を撫でられれば、……それだけで力を抜いて、曲げた背を健悟へと預けることができたからだ。
「……あー……うっわ、なんかもう考えてみたらすっげー恥ずかしいんだけど」
 しにてぇ、と軽口を叩いた蓮ににやにやと頬を緩ませるのは健悟、ようやく手中に入って来た温もりに満足しているのか、満面の笑みを崩さぬままに蓮へと話し掛けていく。
「またまたぁ、自分から俺にちゅーしちゃうくらい好きなくせに何言ってんの?」
「……うるせぇよ、言わなきゃ良かったよふざけんなよ」
「あははっ」
 ごめんって、と耳元で吐息混じりに呟けば、それに鳥肌が立ったらしい蓮が健悟の手から抜け出して耳を擦った。
 蓮の一挙手一投足を自分の真下で見守れる、素直な言動はすっかり変わってしまったけれど、一瞬で変わり行く表情は幼いころから変わっていない。そう思えば思うほどに愛しさは増して行くようで、ようやく手に入れることができたと、長すぎた十年間を想いながらより一層強く蓮を抱きしめる。
「あー……、なぁんか久しぶりの感触」
「…………」
 肩に顎を埋めて匂いを嗅いで、ふわふわしている金色の髪の毛が頬を擽ればそれだけでいとも簡単に充足感は訪れる。
 蓮のお腹に腕を回して一ミリの隙間も許さず傍に引き寄せる、相変わらず決して堅いとは言えない腹筋に笑みが零れてしまいそうになったけれど、本人が一番気にしていることを知っているからこそ、こっそりと笑いを噛み殺した。久しぶりにぎゅうと抱きしめることで細胞の奥まで浸透し、忘れていた筈の記憶が戻ってくるような気さえする。蓮の体温、匂い、肌の感触、そして――。
「、れん、痩せた?」
 少しだけ薄くなったような腹と背は服の上からでは分からない、蓮の身体に沿いながら撫でていくことで、ようやく微妙な違いに気付くことができた。




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