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「こいつっていうのがもうないわ……つか、だいたいありえないのよねー、あたしと健悟がくっつくっていう発想が。絶対無い。地球上にこいつだけが残ってもずぅーえーったいナイっ。あんたの趣味も分かんないっ!」
「(…………こっちが願い下げだっつーの……)」
 ぼそりと呟いた言葉は風上にいた利佳には届かず、蓮は少しだけホッとしたように利佳を見た。
「したら利佳、やっぱあの人と、別れてなかったんだ……」
「だからさぁ、だーれが別れたって言ったよ。だぁー・れぇ・がっ」
「う、す、すんませんっした……!」
 丸く作られた拳骨で頭をぐりぐりと抉られるものだから、蓮は本当に痛そうに空中を泳いでは健悟に助けろと腕を伸ばした。
 正義宜しく使命感に駆られた健悟が利佳の両手を離すと、そうすることが分かっていたとでもいうように、溜息を吐きながら脚を組んだ。
「……んで? なにか言うことあんじゃないの、あたしに」
 ぎろ、と睨まれたそれは漫画の効果音宛らで、健悟は目を逸らしながらもワザとらしく蓮の肩に手を置き抱き寄せた。
「……えーっと、このたびは……」
「―――だから、引っ付くな。そこ」
「え、」
 ぺしっと良い音をさせて蓮の肩に乗った健悟の手を振り払う、でれでれとした健悟の表情が目については、悶々と宜しくない感情ばかりが込み上げてきた。
「チッ」
 思わず出た舌打ちには愚弟が肩身狭そうな顔をするものだから、咎めたいわけではないと言おうとしたけれど、そうするよりも先に健悟が蓮の頭を撫でたことで一気に表情が和らいでしまったのを見て、ずんと、余計な声を掛ける気持ちも萎れてしまった。
「はぁ……まどろっこしいんだよだいたい。蓮も蓮で何が良いんだか……」
「……!」
 ったく、と細い脚で蓮の脹脛を蹴り付けたところで微塵もダメージを与えられていないらしい、蹴られた本人よりも後ろに立っている男の眉間に皺が寄っては、不機嫌そうに蓮の首に腕を廻した。
「おまえねぇ、黙って聞いてりゃさっきっから……!」
「……へぇ、いいの? 手紙っていう手がまだあるケド」
「―――……!」
 けれども、利佳が手紙という二文字を発した途端に健悟の表情が一変しては、蓮の首に巻きついた手を苦笑しながらするすると手放した。
「……手紙?」
 ぽつり、蓮が呟けば利佳がにやりと笑い、健悟は蓮の両耳を押さえつけて、良いよ聞かなくて、と狼狽える。
 明らかに狼狽えた健悟に対して表情を弾ませた利佳は、健悟が掴んでいた両手を離して微笑みながら蓮へと語りかけていく。
「そ、あんたのことがどーだこーだって説得してきてるバッカみたいな手紙。見たい? 十年分なんだから、すっごいいっぱいあるわよ」
「は……? なっ、なにそれ見てぇ! ちょー見てぇっ!!」
「ヤメて下さいマジでホントにマジでッッ!!!」
 活き活きと利佳に詰め寄る蓮の項をガッと掴んだ健悟を、蓮は振り払うようにして利佳へと詰め寄った。
 けれどもその本人は、心配そうに見ている健悟を見ながら楽しそうに口角を上げて、山ほど送付されていた手紙の数々を思い出す。
「……そーねぇー、弱みはとっておくものだからねー」
「ちょ、見てぇ、後でね、マジ後で見してよ」
「だぁーめ」
 自分から言ったくせに、と唇を尖らせた弟の頬を抓って、縋りつくそれをどこか楽しそうに跳ね除ける。
「探しても無駄だよー」
「(……てことは利佳の部屋……?)」
 ううん、と蓮が首を傾げても十年間も気付かなかった事実にそう簡単に出会えるはずもないことは承知していた。利佳のことだ、いっそもう一室部屋を借りてそこに手紙を送ってもらったり、利佳の彼氏の部屋にでも届けるようにと誤魔化していても何の不思議もない。
「なんでおまえが持ってんだよ……」
 けれども蓮が顎に手を置いて考えるその横、耳まで真っ赤にした健悟は頭を抱えながら顔を覆っている。
 珍しいその姿を下から覗き込めば、掌の隙間から見える赤い頬に、見るなとでも言うように上から頭を押さえつけられた。いて、と忠実に頭を下げて利佳を見たのは一瞬、利佳をパッと見たときに、ふとした疑問がわいて来たからだ。
「……ていうかなんで俺に渡さねえんだよ!」
 は、っと気付いたことは真っ先に気付かなければならないことだろう、自分に関わることだろうに全くもって知らなかったことばかりだ。その手紙を読む権利は誰でもない、俺自身にあるはずなのに。
 そう思った蓮が利佳を睨むと、目の前の顔は一転して呆れたように溜息を吐いて、バカバカしいとでも言うように首を振った。
「周りから着実に固めてくタイプだったんでしょう、……あたしは絆されなかったけど」
「……あたし、“は”?」
 どこか怒りを孕みながら言う言葉に違和感を覚えて繰り返すと、やっと気づいたかとでもいうように得意気な顔が目の前から帰って来た。まさか、と思いながら上を見ると、微かに冷や汗でも流していそうな苦笑とともに、えへ、と誤魔化したように微笑んだ健悟も居た。
「―――……ええっ!!!」
 思わず木椅子から立ち上がってしまうも現状は変わらない、蓮の言葉に訊く耳持たず、煩いとでも言いたげに顔を歪めた利佳は、健悟に目配せをして座らせるように指示をした。例にもれず健悟が蓮の両肩を掴み、落ち着いてとでも言うように苦笑しながらもう一度木椅子に戻したものの、後ろから見ても脱力したような肩の位置と湾曲を描く背には掛ける言葉も無くし誤魔化すように微笑むことしかできなかった。
「あのさぁ。だから分かってたんだって、あたしたち全員。こうなることは。あんた自身が何も分かってない小一ん時からみんな覚悟だけはしてたんだから、今更なの。」
「なっ……!」
 最初は絶対やだって思ってたけど、と納得いかなそうな顔で目を逸らす利佳はしっかりと唇を尖らせていて、知らぬうちに起こっていたらしい先程聞いた過去の話が原因であることは容易に見当がついた。
 今は良いのかと問えば、一度眉を顰めてから良いわけないでしょとでも言うように鼻先をぐりぐりと抓まれる。
「って、いたい、った!!」
 蓮がやだやだと首を振って利佳の手から免れようとすると、利佳は二度とそんな愚問を口にするなとでも言いたげな表情で、風にそよぐ金髪をぺしりと叩いた。
「……あーあ、良かったわね、長男が元気で」
 ついに来るべき日が来てしまったと、どこか遠い表情をしながら利佳は精一杯ともとれる祝福の言葉を口にした。
「えっ……」
 なぜそこで兄が関係するのだと、無い頭を搾ってぼんやり考えれば、この実家を継ぐための人選、跡継ぎを産む人物が健在で良かったとストレートに言われていることに気が付いた。
 ただ好きだと口にしただけで、それから先の事なんて二の次だった。
 現実的なそれが一瞬にして襲い来るような
 しかも、利佳の言葉を想いだせば、段々と冷静になってくる。あたし“は”、騙されなかった、と。あたしたち全員、―――と。
「…………ええええぇええっっ!!」
 ガタンッ! 今度は、先程反射的に立ち上がってしまった時とは比較にもならない反応の大きさを見せてしまった。
 よもや自分の感情を知る随分と前からそのような蓄積が根底としてあったとは思いもしなかった。忠孝、 睦、龍二、利佳―――……全員に。




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