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「あー……じゃあ、おねがい、いまだけ」
「…………」
 ごめん、と小さく呟きながら蓮の手を離して、その腕を手に取った。二の腕を引っ張って自分のもとに近づけても蓮からは文句も聞こえず、むしろ自分から少しだけ腰を上げて歩み寄ってくるものだから、これが自分の夢でないようにと、そう祈ることしかできない。
 まるで一般的な中学生のように頭の中が混乱する中、より距離が近づいた状態で、蓮の手が健悟の目元へと触れた。
「……隈、おまえ俺よりすげーべ、実は」
「、」
 ふっと馬鹿にしたように笑った蓮の顔を合図に、健悟の右手は自制を止めて、蓮の二の腕を引っ張った。金髪が収まる場所は健悟の肩、久しぶりに定位置に健悟が蓮のかおりを嗅げば、蓮は身を捩りながら自分の場所を探していた。
 健悟がふわりと背中に手を廻しても、やめろという制止の声は聞こえない。抜け出すように身を捩る仕草もない。ただ健悟に身を委ねるように、健悟の肩に顎を乗せた蓮に心臓が一層ざわついては、それと同時に例えようのない安堵が身体中を駆け抜ける。
「……なんかもーね、抱き枕ないと寝れなくなったみたい。……なっさけねぇ」
 情けないと自覚しながら、紛らわすように一層強く抱きしめれば、男にしては細すぎる腰がしなっては自分では見えない肩甲骨を叩かれた。
「……いたい」
「ごめん、」
 べつにいいけど、そう言いながら、ふっと笑った声が耳元に届けば、それだけで鳥肌が全身を駆け巡る。決して悪くない感情に唇を噛み締めれば、それと同時に、じわじわと胸の中に広がっていく温かい感情があった。
「……離れろって、言わないんだね」
「言わねぇよ」
 言う必要ねぇだろ、と蓮が呟いた瞬間、健悟からは大きな溜息が漏れた。
「……あー……、もういいや、なんでもいい、蓮だけ居ればいい……蓮、だいすき、ちょうすき、すんげーえすき」
「……なーんか、あんまり言われるとムカつくなぁ、それ」
「今まで言えなかったからいいんだっつーの、……やっと言えたんだから、もっと言わして」
「…………」
 より強くぎゅっと抱きしめられれば、普段は感じることもない右の位置に健悟の心臓の音が響いては、その速さが自分と同じくらいだということに安堵する。
 どんなに演技が巧い人でもきっと、心の動きの速さだけは、心音だけはきっと、欺けない。どくどくと強く脈打つ健悟の心臓を聴いては、嘘ではないのだと、本当にそう思っているのだろうと、ようやく信じることが出来てきた気がする。
 角度を変えて健悟の顔を覗き込めば決してテレビでは見せることのないだろう頬の色をしていた、甘く蕩けるような表情が蓮の心の中に侵入しては一瞬、ずくんと下腹部が重くなってしまったほどだ。
 背中に回っていた健悟の手が腰に落ち、額を蓮の肩にぐりぐりと埋める。親愛を行動で表しているらしいそれに蓮は躊躇いながらも銀の髪を撫でようとしたけれど、ふと、頭の中にぱっと浮かんだ出来事がある。
「―――……ストップ」
「え、」
 そして、頭の中に湧いた事項に蓮が意識を委ねると、それと同時に健悟の髪を引っ張っては己から離した。
 夏のせいか暑すぎる温もりが去れば少しだけ温度も下がって楽になったけれど、目の前にいる健悟の表情といえば此方が罪悪感に駆られそうなまでにしゅんとしているものだから、ついその頭を撫でてやりたくすらなってしまった。
 その欲求に負けないように蓮が一歩腰を健悟から離すと、健悟はその一歩分蓮に近寄って、蓮の手を握ってきた。
「ッ、禁止!」
「ええ!?」
 なんで! と感情のままに叫んだ健悟から眼を背ければ、健悟が頬を膨らませた様子はもう視界には入らない。
 頭に浮かぶは健悟と睦のやり取り、利佳に好きだと告げた唇がもうひとつ、懸念するだけの言葉を吐いていたことを思い出したからだ。
「……つか、そうだよ。かーちゃんと話してたあれ……なんなんだよ、」
 きっと睨みながら健悟を見ればようやく視線が絡まって、相変わらず力強い灰色は真っ直ぐに蓮だけを見つめている。
「まこっちゃんと話してたこと……?」
 ん? と首を少しだけ傾げた健悟は心当たりすらなさそうで、蓮は再び記憶の紐を解きながら健悟へと問い質す。

―――「そりゃそうだろ。俺の家東京なんだから。」
―――「蓮はいいの?」
―――「良いも何も質問の意味がわかんねぇよ」
―――「じゃあ、今度はちゃんと……って、蓮?」

「だから、あれだっつの……おまえが東京戻るとか、俺なんか、いらないみてぇな……」
 言いながら、ぐっと尻すぼみになってしまった言葉は否めない。この田舎から戻ると、自分なんていらないと、そう受け取れたあの言葉。あの言葉の本当の意味を聞きたいような聞きたくないような、一応の心構えをしながら蓮が問うた。けれども健悟は綺麗な双眸をくりんと丸めては蓮を凝視するのみで、きょとん、と首を傾げては疑問の声を口にした。
「………………は?」
 一体何を言っているのだと、そう疑っているかのように。




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あきゅろす。
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