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 蚊帳の外から抜け出してしまいそうだった理性を寸でのところで抑えて、利佳は口を開く。
「さっき、あの馬鹿のこと一生好きとか言ってたじゃん。……それってマジなわけ?」
 鼻を啜った瞬間に予想外にズっと音がして、誤魔化すように健悟の煙草を取り返した。その所作さえも見ぬ振りをした健悟は自身のライターで火を点けてやり、再び大事そうにライターを仕舞い込む。
「今の所はね」
 曖昧な答えに不満そうな顔をした利佳を笑い、揺るがない本心を告げていく。
「ていうか俺としては、この十年がこれから先何回も繰り返されていくだけって認識になるのかも。蓮以外に好きになったことないし、他の誰かとどうこうとか想像したこともなかったしね」
 未だ想像できないとでも言うように空を見る健悟に、じゃあ言えよ、と言いたかったけれど、寸でのところで停止しているのは愚弟も一緒だと更に苛々が募った。本当に好きなら衝動で言ってしまいそうなものを、まだ理性が勝っている現状に、じゃあもう止めればいいのに、とすら言ってしまいたかった。
「……もう、今のあんたら中途半端すぎて苛々するわ」
「俺も」
 利佳が溜息がてら煙を吐き出すと、白を吹き掛けられた健悟も苦笑を返した。嫌味たらしい白を受け入れた後、ケホ、と一度だけ堰をした姿を見て、利佳は小さな声で言葉を紡ぐ。
「でも、今すぐじゃなくても全然良いから、あいつとちゃんと話はして欲しい。……これは、あたしの勝手な意見だけど」
「ありがと。そう言われるだけで充分。心強い」
 ふっと笑った健悟の表情は穏やかで、己の意図するものとは違う表情に鳥肌さえ出てしまった。
「…………ちがうの、あんたはムカつくの、あんたはムカつくし嫌いなんだけど……ああもう、言わない。絶対言わないっ、ていうかもー、なんであたしがあんたらのために泣かなきゃなんないのよ、超ムカつくマジで」
 応援したくない気持ちも応援したい気持ちも同じ位にあるけれど、今まで愚弟があんなにも嬉しそうな顔をするのは見た事が無かった。それこそが本当の答えの気がして、結局は動いてしまう自分が居ることも否めなかった。
「俺は嬉しいけど」
「うるさいっ」
 気持ちを鎮めるまで煙を肺に送り込めば、その間健悟はじっと何かを考えているようだった。ここ数日で増えたその表情はまさか決別を意味していたとは思わず、告白を決意していた表情に見えていたのは自分だけだったのだろうか。
「でももしあんたがあいつに何か聞こうとしてるんならさ、多分今のあいつに何言っても口割んないよ。なんもないっつってそれで終わり」
「おまえが言うならそうなんだろうね」
「……まぁ、あたしの見てる蓮とあんたの見てる蓮は違うし、なんの保証もないことだけど」
「――それって……」
 少しだけ期待の孕んだ目からは逃げるように目を逸らした。充分お互いがお互いしか見えずに、恥ずかしげもなく特別だの言っていたくせに、本当は自分自身が一番現状を受け入れ切れてはいないのではないだろうか。
「……だいたい男なら嫌われんの覚悟で当たりゃーいーのよ、こっちが追い詰めりゃあっちだって本心見せんでしょ」
「ばっか。んなんできたらそーしてる。嫌われたくねぇから動けねぇの」
「……この際だから言っとくけど、あんた恋愛向いてないよ。経験値どこ置いてきたのよ、たかがオトコ一人に芸能人も形無しでさ、良いザマだわ」
 鼻を鳴らしながら煙を吐くと、予想もしなかった苦々しい顔で視線を逸らされてしまった。
「こういうメンタル的な意味ではレベルゼロだよ、仕方ねえじゃん」
「…………はつこい、」
「うるさい」
 初めて目の前の男から脛を蹴られた。照れたように煙草を出す所作は予想外で、言葉にするとむずむずとした粟立ちが背筋を走っていく。
「うーわ……とりあえず、あたしからは以上」
「……んな目で見んなよ。分かってるよ、何とかする。ていうかなんとかしたいし、おれも」
「……頑張って」
 それしか言えずに、利佳はまだ長い赤を灰皿へと押し付けた。
 後退の一路を辿りつつある不安定な様子には説得を重ねても無駄かもしれないと、宣言通りの些細な失望を交えながらキッチンを後にした。
「なんとか、したい、けどさぁ……」
 だからこそ、がり、と頭を掻いた健悟の独白を聞く者は誰も居ない。
“東京でも何でも勝手に帰れば良いだろ!!”
 耳を疑った一言を思い出しては、殴られた箇所が再び痛んだ気さえするのは何度目のことだろうか。絶対的に自分が悪いと分かってはいるけれども、蓮が目の前から消えていくという事実に堪えることすらできなかった。
 白を吐き出しても心の靄までは吐き出せず、聞けない愚問ばかりが頭に浮かんでは消えていく。
「……んなん、さすがの俺でもいてーっつーの……」
 彼のことに関して周りが見えなくなる自覚はあった。彼しか見えずに、手に入れたいと願った自覚は充分にある。けれどもそれは、気持ちが少しでも傾いていたと知っていたからだ。もしかしてはという期待があった。言葉にしなかったというそれだけで、過去の恋人たち以上に近付いていたという自覚もあった。
 けれども、今の蓮が分からない。

 そんなに俺と一緒に居るのが嫌になったの。
 そんなに簡単に、人の気持ちって変わっちゃうもんなの。
 数日前までは何も考えずに一緒に笑っていたのに、手が届く場所に居たのに、今はもう姿を見ることすら叶わない。

 たった数メートルの距離に居る張本人は、実は逢う前の方が余程近かったのかもしれないと、溜息を吐くことしかできなかった。




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