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「……蓮はよく俺のことウソツキって言ったけど、これは嘘でもなんでもないからね。俺は、十年間バカじゃねえのってくらいおまえのことだけ考えて生きてきたの。……俺から言わせれば、それを忘れた蓮のほうがよっぽど大嘘吐きなんだかんね」
 健悟が拗ねたように唇を尖らせて言えば、覚えていない記憶に随分と申し訳なさそうな顔をしながらも、言われた言葉に戸惑い焦っている蓮が視界に映った。
 赤くなる耳は蓮の心が動いた証拠、自分の言葉が蓮へと届いた証拠、彼を彩る一部になれたことが嬉しくて、健悟はふっと微笑んで、ずっと言いたかった言葉を、これだけは自信を持って言い切れる言葉を、蓮へと贈る。

「ほとんど俺の生きる意味よ? おまえは」

 聴こえは存分に重い言葉だけれども、その重さと自分の気持ちを比べても何の遜色もない、彼だけを想って生きてきたことは、自分が一番良く知っている。あれだけ非協力的な利佳が渋々ながらも応援してくれることが、何よりも証拠というものだ。
「それなのにさ、……嫌いになれるはずが無いでしょーよ」
「、って」
 うり、と健悟が親指と人差し指で蓮の鼻を抓んだのは所詮照れ隠しというもので、こんなに気持ちを吐露する予定ではなかったと、健悟は少しだけ顔を赤くしながら蓮の顔へと悪戯に手を近づけた。
 どう言葉を返したらいいのかが分からず戸惑った蓮が視線を右往左往させて返事を考えていると、泣きそうだった感情が身体を支配しては健悟に鼻を抓まれた状態でずび、と鼻を啜ってしまった。苦しそうに口で息をした蓮に笑った健悟は、記憶の中から昔を懐かしんだらしい、ふっと顔を和らげては再度蓮の鼻を引っ張った。
「今日はティッシュ持ってないよ、おれ」
「…………おぼえてねぇよ、……ばぁか」
 所詮は健悟の昔話、目の前の人物に鼻をかんでもらったらしい過去は遠い記憶を探っても辿り着かなくて蓮は口を尖らせた。けれど一方で、健悟は言えてすっきりしたのか満足そうにふっと微笑み、穏やかに口角を上げていた。
「…………」
 健悟の手を小さく振り払って鼻頭を人差し指で擦った蓮が暫し時間を要して考えるのは健悟の言葉。
 ―――嫌いになれるはずが、ない。
 自分が一番欲しかった言葉、得たかった確信を、こんな風に言葉にしてもらえたことが夢のようで、蓮は一向に落ち着きを取り戻さない心臓を右手でぎゅっと掻き抱きながら俯いた。俯き見える銀色の指輪にまた視界が潤んでは、自分が何も、一言も、喉に張り付いてばかりの言葉を吐き出してなかったことを思い出す。なにも、解決していなかったことを思い出した。
「……じゃあ、あれはなんだったんだよ、」
「なに?」
 ぼそり、小さく蓮が発した言葉にはすぐに反応が返ってきて、もう何も隠すことがないと言わんばかりの態度に蓮は微かに凌順しながら更に唇を広げた。お腹にぐっと力を込めて、喉を震わせ声を出す。
「…………だっておまえ言ってたじゃん、利佳にすきだって言ってた」
「……は?」
 長らく聞きたかったことをようやくと言えるほどの時間をかけて蓮が紡げば、健悟はその言葉が余程予想外だったのか、眉を顰めて疑問を顔に出してしまった。
 ぽかん、と開いた健悟の唇を見る蓮の双眸は明らかに不安に満ちているものの、その顔を覗いた健悟は、どくどくと、信じられない鼓動の煩さが頭に響いてきている事実に気付いていた。小さく紡がれた言葉には、なぜいきなり利佳が、と思うと同時に、なぜそんなことを気にするんだと、微塵も持っていなかった期待がようやく顔を出し始めてしまったからだ。
「まさか。絶対言ってない」
 首を大きく横に振った健悟が否定すると、蓮は俯いた顔を上げては強い双眸できっと睨みつけてくる。
「言った!」
「えー……?」
「……ぜってぇいった、考えろっ」
 蓮から憎々しげに吐かれた言葉に微塵の心当たりもなく、利佳に好きだと言う自分を想像しては鳥肌が立ってしまうレベルにまでは達している。そんな自分がまさか蓮に聞こえるところで、蓮に知れるところで、利佳にそんなことを言うなんて天地が引っ繰り返ってもありえない。自分が蓮を嫌いになることと同じくらいに、ありえない。脳内の密室でいくら考えても辿り着けない事実に、健悟は苦笑しながら蓮に問う。
「えー……ごめん、本当にわかんない。いつの話?」
「………………おまえがでてく、ちょっと、まえ」
 ぼそり、唇を尖らせながら拗ねるように言われた言葉、出ていく少し前と言えば蓮に避けられた記憶しかなく、そのせいだったのだろうか、とふと思っては再び考える。
「……ちょっと、まえ、って……?」
「…………」
 いつのことだろう、と健悟が首を傾げたとき、ひとつだけ、ある日を境に蓮の態度が豹変してしまったことを思い出した。
「……、―――…………あー、……え?」
「んだよ」
 ぱっと思い浮かんだ出来事を整理しては首を捻ると、目の前からは咎めるような視線ばかりが降ってくる。
 少し怒ったようなそれに心当たりはなく、健悟は、思い至った事実にまさかと頬を引き攣らせながら蓮の顔を覗きこんだ。
「……え、それいつ? ……まさか蓮が寝込むとか言った日じゃないよね?」
「…………、」
 恐る恐る訊けば、肯定の返事と取れるように蓮が静かに俯くものだから、健悟は灰色の双眸を大きくしてその姿を見つめることしかできなかった。
「…………!?」
 え、と健悟の唇から音が落ちることも仕方がない、利佳に好きだと、思ってもいない言葉を心の底から生み出せるはずはないけれど、それでも、あのとき、は―――。
「…………もうすぐ撮影が終わるから、その前に蓮に言うって言ったら、練習すれば、とは言われた、けど……」
「……は?」
 口元に手をあてた健悟がごにょごにょと尻すぼみに言えば、その瞬間、蓮は聞き間違いでもしたかのように訝しみながら健悟の顔を覗いた。
 空気が止まるということはまさにこの瞬間、今まで意識すらしなかった虫の音や近所の小学生の騒ぐ声がする。雀がピチチと鳴く音が響き、一瞬空けて蓮の反応に健悟の顔がぴきりと固まると、それと同時に、蓮もゆっくりと覚醒したようだった。
「…………」
「……―――はあっ!?」
 蓮から出た声は腹の底から出したかのように大きく、それ以上に大きな黒い双眸が受け入れ難い言葉を飲み込めずにいるようだと伝えていた。
 一瞬大きく声を荒げた蓮の顔はさあっと青褪めて、此処数日ぐるぐると廻っていた事実が一瞬で解れた気さえする。
 誤解してた、と愕然とすると同時に、健悟の言葉を租借すれば、今日、ついさっき、健悟が来るまえに、武人に練習でもしとけばよかった、と思った自分に巡り付く。
 武人相手に練習しようとしていたのは所詮は健悟への告白、何から話して、何を話して、どうやって気持ちを伝えれば良いのだろうかというその一点だった。その事実と今健悟が言った言葉がリンクしては、一瞬で、こんなに物事を考えるのは初めてかもしれない、というくらいには、頭の中がぐるぐると廻り思考を整理することに精一杯になってしまった。



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あきゅろす。
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