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「俺寝るけど?」
「あー、寝る寝る。つか寝たい」
 髪を乾かした蓮が武人の部屋に入ると、武人はベッドの上で携帯を弄っていて、どうやら蓮が戻ってくるのを暇つぶしがてら待っていてくれたようだった。
「布団は?」
「いー。詰めて」
 ぱちりと電気を消してから、蓮は当たり前のようにベッドに上る。そして殆ど意味を為していない程度に掛けていた武人のタオルケットを奪ったのちに、おやすみと小さく呟いた。背を向けて寝転ぶ蓮の態度に、何も聞かないで欲しいと言う気持ちが伝わったのか、何か悟っているだろうに聞いて来ない幼馴染に感謝をしながら目を閉じていく。
 数分もすれば隣からは寝息が聞こえてきた。先程まで寝ていたからだろうか、随分寝付きの良い幼馴染に感心して、蓮はひとり、ぞわぞわと押し上げてくる感情を整理する。
 眠りにつこうにも、目を閉じようとも、罪悪感が消えない。
 眠れない。
 数時間も前に噛まれた鎖骨なんて最早痛くもないはずなのに、じんじん、じんじんと、そこからの熱が消えない気さえしていたからだ。
 電気も消えた真っ暗な室内だからこそ何の確認もできないが、先程風呂場で見かけたときには、確かにくっきりと鎖骨に歯型がついていた。右手でそっと触れると、へこんでいる皮膚の感触もある。
 顎にかかる柔らかな髪の感触を思い出す、そうだ、さっきまで、確かに健悟が此処に口をつけていた。
 ぬるりと咥内を懐柔してきた舌の感触を思い出せば、 少しだけ腰が重くなってしまった。
「っ、」
 ヒドイコトをされた筈なのに、そんな風には思えない。
 気紛れにくれた指輪と、たまたまおいていった香水と、言い訳も下手な自分に対しての制裁の歯型。
 ――……うれしいなんて、思っちゃいけないのかな。
 真意の見えない健悟の、残してくれた確かなもの。確かに健悟が俺を見てくれたっていう、確固たる証拠。それだけで、当分は死ぬほど泣けてきそうだった。

 目を閉じて夢の世界に誘われて、自分が何の夢を見るのかなんて、想像せずとも分かりきっている答えだった。
 風呂から上がった今は残り香すら消えてしまい、唯一、あの香水だけは持って家を出れば良かったと、小さな後悔に苛まれていた。



「……あちいってば、あっち寄れって」
 寝返りも打てないベッドでもぞもぞと隣の物体を蹴り付けると、生意気にも逆に押し返されて床に転げ落ちてしまいそうになった。
「っぶねーだろバカこの」
「だって俺だってあちーもん、つか蓮ちゃんが朝寒いって寄ってきたんじゃんー」
「……っせぇなぁ、今はあちぃんだよ」
 まだ冴えない視界で壁の時計を見れば、時刻は十時二十五分。窓を開けっぱなしにしていた早朝は部屋に冷たい風が入り僅かな寒ささえ感じたものの、すっかり日も昇り、日辺りの良好なこの部屋には余計に温度が増している気がした。
「じゃ蓮ちゃん床で寝なよ」
「いーやぁだ、身体バッキバキんなる」
「どうせ明日も暇なんだからいーでしょー」
「…………」
「ちょ、蹴んないでよ狭いんだからっ」
 本気で面倒臭そうに体を捩った武人は、同時にタオルケットも全て奪ってしまい、まるで何も無かったかのようにすやすやと眠りの世界に脚を踏み入れようとしている。
「……てめぇ、全部とってんじゃねぇよ」
「んー……」
「おいこら、返せって」
「……あー、っさい、押し入れあっから……とってきなよ……」
「取って来いっておまえな……」
 わざわざ下に降りる手間と腹を下す可能性を天秤に掛ければ、あくまで可能性でしかない後者に余裕で軍配が上がり、蓮は舌打ちをしてから膝を丸めた。
 すっかり寝息の聞こえてくる武人を背にし、窓から射し込む光をぼんやりと眺めながら、ふと思う。
 ――そういえば、健悟と一緒に寝たときは、と。
 いくらベッドが狭いといえども朝にタオルケットが掛かってないなんて、絶対に無かった。
 そんな些細なところにも、気を遣ってくれていたのだろうか。
 そんなことする、義理もないのに。
「…………、」

 ……ひでぇこと、言ったよな。

 離れたいって。もう良いって。東京に、帰れば良いって。
 まさにいま自分が言われたくない言葉ばかりだ。思ったことをそのまま口に出したような我侭な単語に辟易する。

 嫌われろ、嫌われればいい、嫌われれば楽なのに。
 そう、思ってたのに。

 全然、楽じゃねえじゃん。





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あきゅろす。
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