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「…………」
「……健悟?」
 怒りに任せているだけではなく、どこか弱っているようにも見える表情に、蓮は掠れた声で名を呼んだ。
 そう、見えるだけ? 気のせい?
 訝しみながら問えば、次の瞬間には、はっと気付いたような表情が返される。そしてその表情すら隠すように、上乗せしてきたのはどこか怒気を孕んでいるような言い方だった。
「……蓮こそ、隠すってことは、なに。俺に言えないこと? 良いよ、言いたい事あんなら、……言ってよ」
「…………」
 半ば懇願にも似た口調だった気がする。話題を逸らされ、誤魔化されたことに気付かない程馬鹿ではない。
 言えたらどんだけ楽なんだよ、と蓮が恨みがましく見つめれば、その視線の意を知らない健悟はただ無言で蓮を見つめ返すのみだった。

 ――んなこといってるくせに、俺が言ったら困るんだ。
 聞かなきゃ良かったって顔するんだろ。
 気持ち悪いなんて言われたら、立ち直れる気がしねぇ。

 そんな言葉、凶器でしかない。

「……なんも、ねぇ」
 言って、蓮はふいと目を逸らした。突如として視界に入ってきたベッドを見て、自分が余りにも不自然な表情の変え方をしたことに漸く気付く。
「気付いてるのに、逸らさないで」
「……」
 溜息雑じりにいわれれば主語が無くとも視線のことだと悟り、唇を尖らせながらもゆっくりと顔の方向を戻した。
「蓮」
「……んだよ」
 射抜くような目を見つめ返せば、目線が絡み合った中で、久しぶりに名前を呼ばれたような気がした。
 しかし、次にその唇が紡いだ言葉、は。
「彼女、できたの?」
「、はぁ?」
「ずっと帰ってきてないじゃん、最近。……彼女の家にずっとお泊りですかって訊いてんの」
「…………感じわるっ。何そのイヤミな感じ」
 自重気味に笑った健悟に釣られて、自分の頬がぴくりと反応を見せたことが分かる。
 ――おまえがいう?おれに?
 俺に彼女がいようといまいと、関係ないじゃん。
 久方ぶりに名前を呼ばれた気になれば降って来たのはそんな言葉かと苛立ちが募った。ギリギリの一線を図るような、分厚いガラスで隔てられているかのような会話に、腹底からもやもやと何かが積み上がってくることがわかる。
「……おまえこそ、どうなんだよ」
「なんでおれなの、今は蓮の話でしょ」
 微笑を浮かべながらの鸚鵡返しには揶揄の色が見え、かっと胸が熱くなった。普段から話を逸らすことが得意なこの男、今までは職業病かと思って聞いていたが、先日の台所でのシーンが頭に浮かんでくるだけに、話を流してしまうことはできなかった。
 いつもならば話の流れに乗るものの、今日だけは胸の痞えに妥協が出来ず、蓮は若干口調を強めて話を進める。
「いいから。どうなんだよ」
 目元に強い光を携えて言った蓮の言葉には、一呼吸を置いた後に健悟が答える。
「なんもないって」
 何故蓮から言及されるのかも分からず、溜息を交えながらの答えだった。
 むしろ現段階では悪化の一路でしかないこの現状を伝えれば、蓮はどんな顔をするのだろう、と思いながら。
「…………、」
 しかし、蓮が溜息に隠された真意を受け取る事は出来ず、「何も無い」という言葉に嘘のみを見つけてしまった。
 先日台所で聞いた会話も、今現在健悟の中指に無い指輪も、分かり易いほどに証拠は揃っているのに、何故嘘を吐くんだろう。
 そういう職業だから?
 そんな報告すらできないほど、俺は信用されてなかった?

 ――いったい、なんだったんだ、こいつとの数日間は。

 利佳との会話の欠片にも触れる気が無いらしい健悟、どこまでが真実なのかも分からぬ健悟の言動に、蓮は目の奥に歪みを隠しながらも、それに触れないように話を続ける。どうしたら本当の事を言ってくれるんだろうと、半ば、試すような気持ちのままに。
「……健悟」
「ん?」
 名を呼び、蓮が見つめるのは健悟の左手。自身の持つものと全く同じピンキーリングのみが嵌まっている、健悟の左手だった。
 電灯の下で見た左手の中指には、長年の日焼けからか、まるでまだ存在を主張しているかのような白い線が在る。
「指輪。どうしたよ」
「指輪?」
「中指に、嵌めてたじゃん」
 さらりと言ったつもりではいるが、内心は心臓が口から出てくるのではないかと疑いそうな瞬間だった。
 なんでもないような振りをして、特に興味の無い振りをして、嫌が応にも自分の姉を思い出しながらの言葉を紡いでいた。
「ああ、これ。元の持ち主に戻したっていうか……まぁ、話すと長いし、別に今言うことじゃないでしょ」
 しかし、健悟から返ってきた言葉と云えば案の定早々に話題を切り上げるもので、指輪の真意を、誰に渡したかを話すことは無いという結論に至ったようだった。

 それこそが数日の付き合いで見えた、健悟の秘密の部分なのかもしれない。

「……ソーデスネー」
 蓮は棒読みのままの同意をしながら俯き、自身の爪先を見つめた。
 図らずしも唇が尖ってしまいながらも、なに女々しいこと聞いちゃってんの、という後悔と反省は忘れない。そして、嘘吐いた、秘密作った、と、己の都合で健悟をこっそりと責めることも。
 中指の指輪を外したのならば、自分の指輪も外せばいいのに。
 存在を主張する銀よりも今は無き日焼け跡の方にこそ目がいってしまい、見ては視界が歪みそうになる。
 
 だって、おれ、全部知ってるのに。

 ……全部、知ってるよ。




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