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 とろんとした目が見つめる先は紛れもなく自分の髪の毛であり、ぽうっとした顔で再び手を伸ばしてきた。さらさらと頭を撫でてくる小さな手は直接頭皮を刺激する、地頭を触られることはいつぶりだろうか。
 触り心地が気持ち良いのか何か感心したように頷きながら撫でてくる姿を見て、ようやくハッと自分を取り戻しながら蓮の手を遮る。
「やめろっつの……」
「だって、キレイ!」
「、」
 蓮の手を振り払った瞬間に聞こえた大きな声、その言葉が健悟の脳内に入るまでは多少の時間を費やした、それほどまでに、信じがたい言葉だったからだ。
「おれこんなの初めて見た……おれもこれが良い!!」
 ぎゅっと健悟の髪の毛を掴んだ蓮は、そのまま手を上に上げてはブチッと健悟の髪の毛を引き抜いた。
「いいいってえ!!」
 想定外の感触に健悟が頭を押さえた瞬間、蓮の手に握られた髪の毛が数本見えて、加減の知らない幼児が力任せに引き抜いたのかと頬がひくひくと痙攣してしまった。
「おまっ……なに……!」
「……りかにやってもらう」
「だめだっつの!」
 持っている数本の灰色を見ながらぼそりと呟いた蓮は、この色に自分も染めたいとでも言っているのだろうか。こんな小さな子が染色すれば頭皮にも悪いだろうし、子どもは自然なままに育つことが一番可愛いに決まってる。そう思った健悟が自分のことを棚に上げて否定すれば、お決まりのようにイヤダと舌を出されてしまった。
 なんでこんな餓鬼相手に、と思えども、その後もしつこいくらいに、きれいだと、すげぇきれいだと、繰り返し興奮めいた声で言われればたかが子供相手だというのに熱を隠すように腕を頬に当てることも、仕方のないことだと思う。
「っ、」
 ……だって、これは、自分のコンプレックスの集大成だ。
 仕事場でも学校でもたとえそれが家の付近のコンビニだとしても、物心ついた時からずっと黒を手放したことは無い。
 自分の記憶がない赤ん坊のころはともかく、自我が伴い始めた頃の最初の記憶といえば頭を黒に変えること、異端の色を隠すそれが親から唯一捧げられた芸能界に足を踏み入れる条件だった。物心ついたころには頭は重い枷を、小学校一年生になれば瞳にコンタクトレンズを入れていた。
 この世界に入る了承を親とは言えないながらも彼らが与えてくれたのは、黙認しているのは、自分たちとの関係が一切ばれないよう異端の色を隠すためでもある。
 万が一鬘が取れたとしてもカモフラージュできるように少しだけ黒のメッシュに染めているのはそのためだ、わざと染めたみたいに、わざと、こういう髪型だって思われるように。事務所の方針で黒にしているといえば何の疑問を持つ人もいない、ただ、地頭を銀色に染めていると思われてそれで話は終了する。
 けれども実際に生えてくるのは、紛れもない灰色の髪の毛、誤魔化そうとも、コンタクトレンズを入れようともこれだけは変わることは無い。自分という血筋だけは、変えられない。
 何処の国の血を引いているのかすら分からない灰色の髪だけれど、それをわざわざ消すことがないのは、髪の色を忘れたとき、本当に一人になってしまいそうだからだ。どこの誰かも知らないけれど、確実に誰かの血をひいて自分が存在している。そう思うだけでも、それは充分に大切なことに思えた。
「…………」
 日本人にとっては異端でしかないこの瞳の色は、散々詰られる対象でもあった。会話をすれども探るように訝しむようにみつめられたことは両手両足指数えても足りないくらいだ。
 眼ぇ合ったら目腐るとか言われたっけ、そう言った子が此方がドラマで主演をはれば真っ赤な顔でお菓子を渡してくるのだから現金もいいところだ。こんなにもすぐに掌を返す嘘だらけの世界はどうでもいい、虚無しか感じないそれがどうでもいいと、そう思っていた。
 他人なんてどうせ、そう、思っていたはずなのに。
「…………」
 たった数十分一緒に居た子供如きに隠していた感情の渦が引き出される羽目になるとは思わず、健悟は羨望の眼差しから眼を背けるようにぐちゃぐちゃと己の頭を掻いた。
 考えてみれば、この髪色を知っているのは事務所の近い位置に居る人間だけ、人と関わることが少ない自分には初めて掛けられた言葉だった気がする。それは、初めて誰かがこの色を認めてくれたと、そういうことだ。
 ビジネスを円滑に進めるため、人形のように隣に侍らせては自慢して満足するため、自己満足のために利用されてきたことが数えきれないほどにあるからこそ、営利目的以外で何もメリットを産まない褒め言葉を言われたのは、初めてだった気がする。
 キラキラと輝く瞳で、キレイだなんて、そんな純粋な感情から言われたことは、一度も無かった。
「………………」
 びっくり、した。
「……だめ」
「やだっ」
 再び制止の言葉を掛ける目的は、蓮が未だ握っている髪の毛への暴走を防ぐため。だめ、ともう一度言い聞かせながらその髪の毛を手から捨てさせると、やだやだと首を振ったけれど、手触りの良い黒髪を撫でれば勿体ないと、そのことしか頭には湧いてこなかった。
「蓮が大人になったらやりな。こんな綺麗な黒なんだから、勿体ないって。な?」
「……うー……」
 困惑したように眉を潜めながら告げれば、本当にダメだとは分かってくれたらしい、蓮はぎゅっと鬘を握りながらぷくりと頬を膨らませた。
「はい、そしてこれを俺に返す」
「あっ!」
 そして気を抜いただろう瞬間にその手から鬘を奪って、己の頭へとぼすんと被せる。繋ぎ合わせていたヘアピンがごそごそと移動しては違和感が生じるけれど、手慣れたようにパチンと止めて地毛を中へと突っ込めば蓮が不貞腐れるような顔をしたものだから、きっとすべて隠れてくれたのだろう。
 さっきまで泣いてたいのに、いまはぐずぐずといじけた様子。ころころと変わる表情が単純そのものだとぐずぐずの鼻を押してやったけれど、それは自分も一緒だったことを思い出した。そうだ、おれだって、さっきまでへこんでたくせに。
 現金なのは周りだけではないと、健悟は溜息を吐いてから小さな塊の鼻頭を押した。骨もないぶにぶにのそれを押せば本人はいやそうに眼を細めたけれど、それを小さく笑いつけて会話を紡ぐ。
「寒い?」
「ん゛ー……」
 鼻水がずるずると音を立てるものだから、自分の方が余程寒いと思いながらも蓮を引っ張って太腿の上へと乗せた。
「っしょ、……なにおまえ、あったけーなー」
 つか俺が寒い、と呟きながら小さな身体をぐいっと抱き込めば 正面からは随分と暖かい温もりがじんわりと拡がっていく。
「体温たけー」
「んんー、」
 ふはっと小さなく鼻で笑えばもぞもぞと動く塊が温もりを求めて抱き着いてくるものだから、対人にも慣れ家でもこうして甘えているのだろうかと思った。
「なあ。今見たの、内緒な」
「ないしょ、」
「そ。おれとおまえの、ひみつな?」
「ひみつ……しーっ!」
 腕の中にある小さな塊に話し掛ければ、ふひっと悪戯っぽく微笑んだ顔が崩れ、一本だけ立てた人差し指を薄い唇へと押し付けていた。
「…………」
 小さな手、ふにゃりと崩れる笑顔、あたたかい温もり、ぷにぷにの肌、ふわふわとした幼い香り。

 ――……こんな弟、欲しかったな。

 ふっと頭に浮かんだ思考が初めて家族という存在を求めた気がして、一瞬でも浮かんだ言葉に吃驚したのは他でもない自分自身だった。
 目の前にいる小さな子どもが恵まれた環境に居るからこそ、邪気のない無邪気さが見えたからこそ、そう思えたのかもしれないけれど。今現在自分がかかわる子供といえば共演する子役くらいで、生意気なそれらを見てもこんな感情を持ったことはなかったのに。
 弟が欲しいというよりも、こんな環境で育てば自分はどう変わっていたのだろうかと、この子を通してその家庭環境が羨ましく思えていたのかもしれない。
「……かーちゃんはやく来るといーな」
「んっ!」
 小さな頭をぽんぽんと叩けば扱いの分からない自分では壊してしまいそうで、ゆっくりと撫でることにした。
 すると頭を撫でられることが弱いのかものの数秒で目元をとろんと溶かしては腕の中で大人しくなるものだから、頭を撫でていない方の腕でぐらぐらと小さい身体を揺すってやった。
「おい、寝んなよー」
「……ねねぇしー」
 既に若干ゆっくりになっている口調を咎めるようにぐらぐらと身体を揺すれば、更に眉を顰めて嫌そうな顔をするものだから救われない。
「寝たら死ぬぞ、こらっ」
「う゛―っ」
 いくら東京のド真ん中といえどもこんな寒さの中で寝てしまえば風邪を引くどころの騒ぎではない、そう思って健悟は赤く染まった頬を弱くではあるがぺちぺちと叩きその身体を起こしていた。
 そして本当に嫌そうな顔をしながら、やめろ、と蓮が口にした時だった。
「れんっ!!!」
 公園の入り口、少し遠い位置だというのに鮮明に、女の子の声が耳に届いたのは。



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