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「……わーさいあくー……」
 わざとらしくポツリと呟いて見るものの、しんと静まった空間は昨夜と微塵も変動してはいなかった。
 何時の間に眠ってしまったのかすら憶えてはいないものの、異様に目覚めがよく身体中に冷や汗を掻いているような気さえするのは、今見ていた夢の内容が内容なだけに、なのかもしれない。
 夢の中で何をしていたわけではない、ただ、この部屋に健悟が居た。何を話していたのかまでは憶えていないが、確かに、彼はこのベッドで横になっていた。
 今は勿論独りの狭い空間だけれども、俺は、昨日、何をした?
 寝ている健悟に勝手にキスをして、逃げて帰った。最低だ、最低、マジで。
 夢は寝る前に考えていた三十分の出来事が反映されると聴いたことがある。若しくは、自分の願望なのだと。
「…………」
 どちらにしろ、これだけ目覚めが良いものならば、ずっと其方の世界に居たかったとすら思う。そして、此れほどまでに後味が悪いならば、起きる事さえしたくなかった、と。
 たとえ起きて数分でも思い出さなければ良いのに、勝手に頭を支配する人物。
 これから二度と逢わなくなるのに、たかが数日離れただけで涙脆くさせる人物。
「……マジかー」
 自嘲混じりに目尻を擦れば、思いもよらぬ水滴を感じて、ぐいっと強く擦り蹴散らすことしか出来ない。
 漸く目を配った窓からは麗らかな日差しが漏れていて、頼んでもいないのにうざったいほどの晴天だと、悟ることが出来た。
 今までは健悟の日課だった換気を行い、今までは習慣も何も無かった朝のメールを確認する。
 受信ボックスには変わらず健悟からのメールが入っていて、律儀に送られるメールに返信しなければと思うけれども、既に気まずくて返信すら出来ないということが本心だった。
 もう少し考えよう、あと少し考えよう、そう思っている内に気まずくなり逆に逢い辛くなっていく。
 事情が変わったのは此方のみなのだから、きっとそう思っているのも此方のみ。もしかしたら此方がこんなに考えているだけで、たかが田舎の餓鬼如き健悟にとっては何でも無い事なのかもしれない。
 それでも、積み重なる挙動を不審だとはきっと感じていることだろう。
 悟られたくない。
 バレたくない。
 そうは思っても、全てを見透かすような瞳に、勝てた例はなかった。
「つーか、こんなことで迷うとか、おれ、……もー、ダッセェなぁ……」
 折りたたみ式の携帯を閉じ、ベッドの下にあるクッションへと投げ付ける。

 ――健悟と出逢う前に、もっとちゃんと、恋愛してくればよかった。

 そうすれば、きっとこういうときどうすれば善いかなんて目に見えて分かる筈なのに。
 人生で何人も好きになる人の内の一人だと、そう簡単に片付ける事の出来る筈なのに。
 理想は所詮理想の侭で、大多数の内の一人だと片付ける事は難しい。
 今こうして自分の部屋に居るだけでむずむずとした変な衝動が湧き上がってくるというのに、今の自分では健悟を嫌いになることは、到底出来そうになかった。
「サッカーしよーっつってたっけ……」
 枕元にある時計を見れば正午を差していて、夏休みといえどもきっと何度も睦が起こしに来ていたことだろう。
 ――うだうだ考えるよか、なんかしてりゃ紛れっかな。
 未だ頭から離れぬ残像に決別するように、例の如く鍵も閉めずに家の外に出る、と。
「あ」
「あ」
 庭にある小さな畑のその先、駐車場から少し手前にこれから逢おうとしている人物が立っていて、二人共が全く同じ口の容を創っていた。
「びっくりしたー、蓮ちゃんすごいタイミング。丁度今そっち行こうとしてたんだよ」
「俺もびっくり、おまえ羽生たち呼んだ?」
「ん。学校やっぱダメらしー。そこらでテキトーにやろ」
「おー」
 予想通りの事項に蓮が頷く。すると乗ってきた自転車を敷地内に停めていた武人がサドルに跨り、蓮を見ながら首を傾げてきた。
「乗る?」
 しかし、その場所に立てば嫌でも思い出してしまう想い出が出来てしまった今、蓮はチャリっと手中にある鍵を鳴らすことで返事の代わりとする。
 家を出発し通る道といえば、車も殆ど通らず、信号の整備すら整っていない田舎の畦道だ。そこを通り抜け、蓮の家から十分程ペダルを漕げ続ければ、慣れた空き地に辿り着く。
 育ち放題となっている雑草を自転車で越えれば、その先は村の子供達のために大人が整備してくれたのか簡易的なグラウンドとなっており、その中心で何時もの二人の姿を見つけることができた。
「おせぇ」
「おっそーい!」
 自転車を停めて空き地へと入れば既に宗像と羽生はサッカーをしていて、暑くなったのだろうか着ていた上着も脱いでいるようだった。
「俺らの方が家遠いんだから仕方無いでしょ。ねぇ?」
「んー」
 蓮は武人からの問いに曖昧にしか応えない。誰一人ビーチサンダルを履いていない会合の外れに、羽織っていたパーカーを投げ捨ててから、手足を動かしたり首を廻したりしている。
 そして、トントンと爪先をスニーカーに馴染ませながら放つ台詞は、幾度目かも分からない既にお決まりの言葉だった。
「負けたチームコンビニな」
 蓮の呟いた台詞に全員が返事ともとれない緩い言葉を放ち、自然対面するように別れている。
 チーム戦となれば組む相手は既に決まっていて、中学校が同じだった蓮と武人、羽生と宗像となる流れは話し合うことなく自然なものだった。
「ついでにお昼も奢ってもらおっかぁ」
 落ちてきた言葉に緩い笑みを浮かべた蓮は、目の前に居る羽生を見上げ、厭らしく口角を上げながら囁く。
「有り金きっちり無くしてやんよおめーら」
「やっだぁー後で泣く蓮ちゃん見たくないよーおれぇ〜」
「じゃ負けて」
「ヤーダっ!」
 羽生の叫びを合図に宗像がボールを蹴れば、次の瞬間からは、無益に広い空き地で縦横無尽に四人が駆け巡る図と化していた。
 そこでは、まるで小学生のように身体中に砂を散らす傍ら、指示と怒号が飛び交っている。ゴールと称された壁に点を入れ、入れられ、形勢逆転の状態が幾度も続いていく。
 そして、幾度もボールが往復した後、また宗像がボールを壁に吸い込ませた。当然のように両手を上げた羽生が宗像の元へと飛んで行く。
 それを見た蓮が息切れしながらも動きを止めれば、たった数分でも頭から離れさせることが出来ていた人物が、またもや、ふわりと脳内に戻ってくる。
 たった一瞬の隙に紛れ込んでくる映像。小さな舌打ちを一回、脳内に蘇った笑みを蹴散らすように、蓮は、また球体を追い掛けていく。

 やることなんて、何もない。
 決められた事だって何もない。

 他愛無いゲームに変わらない遊び、話すことなんて小さい田舎の噂話。
 健悟の居る世界を思えば、中身のない毎日というものは、きっとこういうことをいうのかもしれない。

 此処数日は出逢わなかった懐かしい感情に直面したと同時に、逆転をしていた筈の蓮達のゴールへと羽生がボールを叩き付けていた。
「……、戻っちったなー……」
 膝に手を付いた蓮が喉から搾り出すような声を出せば、その後ろ、ぽんっと軽く背を叩いてくる人物は言わずもがな一人しか思い浮かばない。
「なーに言ってんの。まだまだこれからっしょー」
 勝負の点数差を示しているだろう幼馴染に、蓮は片方の口角を上げながら背に乗る手を叩く。
「これの話じゃねぇーよ」
「んじゃなに?」
 訝しむような視線を受ければ、思ったままに紡いでしまった言葉を取り消すように、蓮はもごもごと口を動かした。
「…………コレの話デス」
「ほー」
「…………」
 目を細めて振り撒かれた笑顔には集中しろと書いてあり、蓮は三角形を模った目に応えるべく、急いで羽生の元へと走りサッカーボールを奪っていた。
「ちょっ、蓮ちゃん卑怯!」
「るせぇ、勝負に卑怯も糞もあっか!」
 いつの間にか変化していた日常が、元に戻っただけ。
 続く筈だった道が一度逸れ、また元の道へと戻っただけ。
 健悟が来る前のように戻っただけだと自分に言い聞かせながら、今は右足を動かすことだけに集中していたかった。



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