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 蓮が屋上を出て教室へ向かう間にも校内は未だざわめきに包まれており、体育館から椅子を両手に抱えて移動している行列が多数ある。それに紛れるようにして蓮がクラスに入れば、まだ生徒たちがぽつぽつと到着している程度であり、椅子のある机ではその大半が映画の感想について鼻息荒く話し合っているようだった。
「……――目ぇ赤すぎ」
「、っせぇ」
 武人は既に蓮と自身の椅子を持って教室に到着しており、何事もなかったかのように自分の席で小さく笑っている。
「行くの?」
 帰るの、と訊かない時点で答えを知っているようで、蓮は決意を新たにしゃっきりとしていた眉を少しだけ顰めた。
「……おまえどんだけお見通しなんだよ、こえーよ」
「長い付き合いだからね」
 やっぱりとでも言いたげな武人に苦笑して、蓮は自分の鞄を机から取り上げる。

 いつ行くか。
 そんなことは、決まってる。

 今までの女々しくうじうじしていた日々を取り戻すかのように、本来の自分が身体の内側から芽を出し始めていることが分かる。人生の相方となるはずだった「面倒臭い」という単語にすら罰印を貼って、たとえどんなに大変だろうとも、今すぐにでやりたいことは、ひとつだけだった。
「……駄目だったら、マジ、……すげえ慰めろよ」
「了解。なんでも奢っちゃる」
 任せて〜、と軽く微笑んだ武人は緊張感の欠片もなくて、自分で嗾けただけにこうなる事実を予測しているようにも思えてしまった。
「ダメだったらそんときはまたちゃんとした女の子でも紹介したげるよ」
「いらねぇ、どうせ無理だって分かったし」
「……まさかのノロケとか」
「うっせ」
 呆れる武人を蓮は笑いつけて、じゃあ、と言葉を紡ごうとした。
 けれど、
「えーっ、なになに蓮ちゃん帰るの〜?」
 後ろからぱたぱたと近寄ってきた羽生によって、その言葉は空に消えてしまった。
「ん。帰る」
「具合悪いのか?」
 片眉を上げながら驚いたように言う宗像に首を振って、蓮は答える。
「ちげーけど、ちょっとやることあって。今帰んなきゃ一生やりそうにねーから、ちょっと行ってくる」
「ふーん」
 特に詳しい事情を聞くでもなく納得したらしい宗像の傍ら、羽生だけは唇を尖らせながら蓮が持っている鞄をぐらぐらと揺すって来た。
「えぇー……、……じゃ良くわかんないけど頑張ってねええ〜っ!」
「、って、おま、離せっつの!」
 揺らされている部分は鞄のみといえどもそれを伝わって身体に流れる衝撃ははかりきれず、大きく振動する手先のみならず肩まで揺さぶられてしまっていた。困る蓮を見て楽しんでいるらしい羽生は未だ奇行に走っていて、これから先の勝負にも似た出来事を考えて緊張していた自分とは正反対ともいえる様子だった。
 一向に離してくれない羽生をいっそ蹴り付けて距離を取ろうかと右足を上げた瞬間、余裕を含んだ声が蓮の上に落ちてくる。
「――じゃ、良く分かるから、頑張ってきな」
 羽生とは全くもって正反対となる静かな言葉を投げたのは勿論武人で、それを聞いた羽生は案の定即反応を示し、一転して顔色を変えてしまった。
「……ええぇーっ! なにそれなにそれっ、なんで俺だけ知らないの!?」
「うるせ、知らねぇって」
 騒ぎ立てながら宗像に詰め寄れば離れろと言わんばかりの表情をされ、わざとらしくも不満そうに頬を膨らませた羽生に、更に武人はにやにやと口角を上げ、まるで自慢する小学生のように言葉を投げる。
「ちがいますー。俺が知ってるだけですー」
「はぁっ、余計むっかつくんですけど!!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ蓮の周辺は、無論他のクラスメートとは以て非なる会話でしかない。周囲は映画の感想を絶え間無くぎゃあぎゃあと言いあっているのに、此方はこんなにもくだらないことで言い合っている。
 その可笑しさと平和さに蓮はぷっと小さく吹き出してから、羽生の腰をぽんぽんと叩いた。
「言うって、そのうち」
 そして、ゆっくりとそう告げる。
「おまえらには。」
 宗像と羽生を見ながら、蓮はしっかりと言い切った。興奮冷めやらぬ教室には不釣合いな冷静で決意の篭もった一言だったけれど、蓮は周りなど関係ないとばかりに胸中を見つめ直している。
 たとえ健悟に伝えた結果、拒否されたとしても、ぐちゃぐちゃに傷付いたとしても、此処にこいつらがいる事実は変わらない。健悟のかわりだなんて失礼なことは爪の先程も思わないけれど、違う位置で大切な存在には変わりない。
「………………」
 たぶん、きっと、健悟のことは一生好きだと思う。
 こんなこと誰にも言えないけれど、今だけの熱ではなく、この感情はこの先ずっとついて回るのだと思う。
 だけど、もしこの先健悟のことが忘れられなくても、こいつらと一緒に、ゆっくりと大人になっていくのも良いのかもしれない。
 今自分がやろうとしていることは、望みに賭けるというよりは、吹っ切れなくて諦めに行くことの方が近いからだ。万が一の可能性で利佳を裏切って、自分勝手としか言えない行動を取ってくる。
 最低な行動を、それでも選んだ最悪な自分が居る。
 それでも、誰に嫌われても、此処には必ずこいつらが居ると思うからこそ、踏み出そうと思えた。
 そこまでは、ぜったい、言わないけど。
「まー、あんがと、行ってくるわ」
 蓮はもう一度羽生の腰をぽんと叩いてから、溢れ出そうな笑いを噛み締めながら言った。
「? えー、なにがぁ?」
「いいから。ほら、シバセン来たって」
 すると今度は武人が羽生を宥め、担任が来たことを知らせると同時に羽生たちをうまく席へと誘導してくれた。
 そして、席に戻った羽生が名残惜しそうに小さく手を振ってくるのが見えたと同時、武人からは背中を強く押されてしまった。
「――うまくいったら蓮ちゃんが奢ること」
「、」 
 やけに自信たっぷりに言い切る幼馴染は、結局はどちらに転んでも話を聞いてくれるらしいことを示唆していて、蓮は更に口元緩めむずむずさせることしかできなかった。
「……あざっす」
 いつもはされる方が多い行為、武人の茶色い髪をくしゃくしゃに掻き回してから、蓮は騒音に紛れるように静かに教室を出て行った。
 勝負に負けに行く可能性の方が遙かに大きいと言うのに、何故だか心の中にぽかぽかと陽があたっているようにさえ思えて、号泣していた十分前とは正反対とでも言うように、廊下を走る蓮は随分とすっきりした表情をしていた。



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