15
「ケツ乗っていーよ」
「あざす」
 自転車を漕ぐことすら億劫だと悟られていたのか、賢明な幼馴染は乗ってきた自転車の後ろをぽんぽんと指先で叩いてくれた。荷台が無いからこそ立ち乗りになるけれど、それすらあのときを思い出して一瞬怯んでしまった事実は否めない。
 目の前に居るのは武人なのに、何故か灰色の髪を思い出してしまう。
 中学生の頃から乗っている武人の古い自転車が、ギィギィと音を立てながら空を切る。錆びたそれは、ブレーキをかけるときにキキーッと傍迷惑な音すら鳴る。
 小さいころからずっと一緒に使ってきたんだ。勿論同じだ、俺の自転車も。
 蛇行運転を繰り返した下手な運転を思い出して、何故だか胸元から深い息が漏れた。深呼吸しなければ今にもみっともなく泣いてしまいそうな予感があった。
 だって、あのときも、こんな風に自分の髪が揺らぐことが分かった。あのときも、こうして指で掴める距離に体温があった。髪を風に攫われて、顔全体で田舎の匂いを感じてた。今と同じだ。全く同じ。
 それなのに、手を乗せた先にはもっと肩幅があったとか、さらさらの灰色が気持ち良かったとか、下から漂う仄かな香りだとか、そんな些細な違いばかりを見つけてしまう。
「れんちゃん、いたい」
「、え?」
「肩」
 コキコキと首を鳴らした武人の表情は見えないけれど、自分でも気付かぬ内に肩を握り締めていたらしい、武人のTシャツに皺が寄っていた事に驚き、ぱっとその手を離した。
「わり、」
 無意識の事に吃驚しながら不自然に笑い付けると、数秒の無言が過ぎ去った後、武人がゆっくりと口を開いた。
「彼女と喧嘩でもした?」
「は?」
 彼女? と、思いもよらぬ単語に眉を顰めると、武人が右肩を軽く揺らして存在を主張する光を窘める。
「指輪」
「え、ああ、これ……」
 何も言われないから、気付いていないと思ってた。ただ、触れてこなかっただけだったのか。
 小指に意識を集中させて見慣れた三連を見つめると、思い出したくも無い中指の輪が脳内を過ぎった。
 友達の証だと揶揄混じりに渡されたこの指輪、健悟は一体どんなつもりで渡してきたのだろう。
 彼女かと訊かれた問いに蓮が応える事無く、前を向いたままの武人が得る情報といえば、右肩の感触が無くなったことだけだ。走る静寂に弱気になっている幼馴染を悟った武人は、小さな溜息を漏らしながら話を続ける。
「あー、いっつも報告してくんのに今回なんも無いしさ。いつの間にか指輪もしてるし、祭りも勝手に帰っちゃうし。ちょっと本気なのかなーってほっといたんだけど……さすがに、肩にそんなに押し付けられるとイタイんでね」
 色んな意味で。
 とは付け足さずに様子を見ると、暫くしてから右肩に感触が戻り、弱々しい声が上から降って来た。
「あー……、なぁー。」
「なんかあった?」
 ないはずないけど、とは思うだけに留めて、少しだけ減速。
「んー……」
「…………」
 それでも結局返って来るのは生返事。仕方ないかと溜息を吐いた瞬間だった、蓮が武人に身を委ね、そのままべったりとその背に落ちて来たのは。
「、っくりしたー……なに、どしたの」
「……」
 突然目の前に蓮の腕が現れた武人は一度蛇行運転になったものの、蓮の気紛れは珍しいことではないと体勢を立て直す。
 蓮は頬を武人の髪に埋め、全体重をその背に預けながらぎゅうっと抱きついていた。
「重いんですけどー」
「…………」
 片手運転に切り替えた武人が首に絡まる蓮の腕をぽんぽんと叩くさまは、慰めにも似ていて若干目頭が熱くなる。
 何度試しても同じ事だ。此処まで密着した体勢だというのに、やっぱりそうだ。どきどきなんてする筈もない、武人からもきっと、またなんかやってるよ、程度にしか思われていないに違いない。気分なんて盛り上がる筈もない。
 あの腕の中に収まったことも、布団で一緒に寝たことも、柔らかい笑顔を投げられたそれだけで、あんなにどきどきして死にそうだった。
 本当に全然違う。
 たかが相手が変わるだけて、こんなにも違う。
 居るだけで泣きそうになるとか、そんなことは有り得ない。
 健悟相手だから。
 健悟だから、あんなに死にそうな位心臓が煩くなったのに。
 健悟だから、あんなに好きだって思ったのに。
「まじ、もうわけわかんねぇー……」
 あんなに優しかったのは、利佳の弟だったから? 利佳に頼まれてたから? 本当は俺なんてどうでもよかった?
 前を向いている武人からは絶対に見えない位置だからこそ、ちっぽけな弱音を吐き出せる。
 相手にされて無いなんて分かりきってるのに、好きになったもんはどうすりゃ良いんだよ。
「うん」
 少しだけゆっくりになったスピードに、落ち着いた武人の声が響いた。
 小さい頃からずっと傍にあって、安心できる声音。何を言っても嫌わないって、信じてるって思える声音だからこそ、こうして八つ当たりすらできる。
「つーかおめーもさー指輪あるだけで彼女とかさー、あーもう、ばかやろー」
「はいはい」
 そんな事を言ったら、利佳の持っていた方が本物だ。
 あっちが本物で、こっちが偽者。利佳が健悟のもの。
 あー、もー。おっかしーなー。おかしい。
 健悟の隣は、俺だって言ってたはずなのに。あんとき、そう言ったのに。俺の隣が健悟で、健悟の隣は俺のもんだって、言ったじゃん。居場所があるって、言ったじゃん。なーんでこんなことになってんの。
「だって今までんなのつけなかった蓮ちゃんがさ、いきなり指輪してればどんな心境の変化って思うでしょ。ペアリングかなーって疑うのは普通じゃない?」
「……貰っただけだっつーの」
「誰にとは聞かないでおくよ」
「いやみー」
「えー」
 今まで言わなかったからこそ、最後の確信には触れないでくれる。
「…………」
「…………」

 何で俺の周りって、こんなに優しい奴が多いんだろう。

「……ごわごわー」
「うるさいよ」
 照れ隠しと共に茶色の髪をガシガシと掻き毟れば、さらさらの健悟の髪とは大違いな優しい幼馴染は、ハハッと笑うだけに留めてくれた。



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あきゅろす。
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