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* * *

 予めひとつの目標さえあれば、午前中の数時間なんてものはあっという間に過ぎていく。
 睦お手製の昼ご飯も充分に食し、気合だけは入っている。そしてその状態は蓮のみではなく、朝の登校時から興奮冷めやらぬクラスメートたちも同様であり、いざ体育館に移動すると声が掛かった時には普段の集会では決して見せることのない速さで綺麗に廊下内の整列を終えていたのだった。
「あれー、蓮ちゃん大丈夫? 見えないんじゃない?」
「殴るぞテメェ」
「もう蹴ってんじゃん」
 木椅子持参でやって来た体育館、クラス別で横向きに身長順で座らされるけれど、蓮はお決まりとでも云うように武人の隣にやってきた。
 座高すら高い男子高校生に埋もれながらも隙間を縫って、一生懸命ステージを覗き込む。なんとか位置をずらしてずらして見えた先には、いつもは学校旗がかかっている場所に白い垂れ幕が飾られており、大きなスクリーンを模っているようだった。
 日本では未だどこでも公開されていない映画、試写会の場である東京の一等地と同時上映というだけに、生徒の歓声が留まることを知らない。本物の彼は現在東京で試写会をしているだろうというのに、まるでこれからこの場に現れるのかと思わせる位には熱狂的な声が体育館に響いていた。明日のニュースを独占するだろう話題に、自分たちが直接的にかかわれていることが未だに信じ難い夢のようで、この時間ばかりはいくら教師が注意した所で生徒が静かになるはずもなく、ざわめきが波のように止まらなかった。
 しかし、うるさいままでは流さない、と教頭先生が零した途端に水を打ったように静かになる体育館、普段の全校集会のざわめきを経験していだけに、その事実に笑ってしまったのは教師勢だけではないだろう。
 呆れた教頭先生が格式張った挨拶を始めていくが、その間もそわそわとした生徒の期待感が止むことは無かった。
 一刻も早く上映して欲しいせいか生徒は大人しく説明を聞き続けていたのだが、しかし、一度だけ、まだ映画も始まっていないというのに体育館のガラスが割れてしまいそうなほどの歓声に包まれた箇所がある。
 元々は東京でのみ上映するはずだったこの映画、しかしこれは学校側への感謝を籠めてということで半ば強引に現地と東京の二箇所で先行上映会をすることが決まったらしい。
 ――それも、真嶋健悟の提案で。
「…………」
「蓮ちゃん? 口あいてる」
「、」
 武人に指摘されて、蓮は開きっぱなしだった唇をぱくっと閉めた。
 周りは未だざわざわと騒ぎ立てていて、聞こえる声は健悟への賛辞ばかりのものだ。電波上の真嶋健悟のキャラクターを考慮すれば、その優しさすらも信じられないことに該当するのかもしれない。しかし数百人の生徒誰もが騒ぐ中で、ひとりだけ、蓮だけは黙に徹することしかできず、ただただ心音が早くなっていく。
 ――『だってここら映画館ねぇもん、隣の市まで出なきゃ』
 ――『……それは想定外』
 あのとき、健悟が芸能人であると初めて知った日。そんな会話をした。映画を、見にきてくれるかなと呟いた健悟に、無理だと言った。自転車で遠く離れた駅まで行き、そこから四時間に一本の電車の乗換えを数回、そんな億劫なことをしてでも見たいファンに今ならば成り下がっているけれど、あの時は何も考えずに、そう言った。
 そしてあのときの健悟は、この話をした途端に何か思案を巡らせるような、納得のいかなそうな表情をずっとしていた。
 ……もしかして、いま、これがその答えなのだとしたら?
 もしかして、まだそのことを覚えててくれていたとしたら。
「……っ、」
 そんなわけないと否定しようとするけれど、一方でそうであって欲しいという期待も止まらない。
 巨大なスクリーンは未だ真っ白のままなのに、蓮の胸中には既にさまざまな色が犇めき合っていて、治まりがつきそうになかった。
 当然のように東京で初日の舞台挨拶をしているだろう健悟に、誰もが仕方ないと納得している中、蓮だけはそれでも来て欲しかったと願う。今ならば、伝えたい台詞も聞きたいことも山のようにあるからだ。
 ざわめきの中で教頭先生が説明を続けるが、それでも生徒たちのひそひそ話しは終わらない。
 こんなにも早く映画が完成した要因として、現地に到着する前に東京で殆どの撮影を終えていたとの情報が入るものの、それを聞いている生徒は僅かなものだった。
 此方で撮影している間に同時進行で大半の編集が終わっていたこと、千秋楽を迎えたのはどうやら田舎の撮影でのようで後に残るは裏方の仕事だけだったこと、淡々と告げられるそれを大人しく聞いていた蓮は、同じようなことを屋上で健悟に聞いたな、と思った。誰も知らない情報を、自分がたくさん知っていたことを今更覚っていた。
 今はただ、はやくこの映画を見て、はやく健悟に感想を伝えたかった。メールを送りたい、連絡を取りたかった。
 見たら益々忘れられないかもしれない。けれど、それでいいとすら思う。
 今まで頑張ってきた健悟のことを知っているからこそ、見なければいけないと思うし、何よりも今すぐ、たった数時間でも動く健悟を見たかった。逢いたかった。
 終わってから送ろうとするメールの内容を脳内で考えるだけで今から既にドキドキと高鳴る鼓動が止まらない。するとそれを覚られたのか、いつの間にか握り締めていたらしい拳をパチンと叩かれた。隣を見上げれば安心しろとでも言うような穏やかな顔があるものだから、そこで漸く、初めて肩の力を抜くことが出来たのだった。

 上映の音を奏でるブザー音はまるで本物の映画館のようで、段々と色を映し出していくスクリーンに、たとえ一時でも決して目を離さないことを、蓮はこっそりと誓った。



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