「デジャヴュ……?」
 ぽつり、と紡がれてしまった言葉に、蓮は思わず口元を押さえた。頭で思っていただけの事だったのに、思いがけず口から出てしまっていたからだ。
「ん? なんか言った?」
 振り向いた健悟に問い直され、なんでもないです、と当たり障りの無い科白を返すと、然程気にすること無く健悟は再び写真に視線を戻していた。
「……」
 一瞬、たった一瞬だけだったが、身体に走った確かな違和感を思い出し、蓮は二三度、目を強く瞑った。
 そうして幾度か瞬きをし直すと、先程感じた違和感は見事に身体を通りすぎていた。
 まるで、何事も無かったかのように。
 思い出せない。
 何処で見たかも覚えていない。
 何処かで見たことがある気もするが、具体的な時間も場所も分からない。
 夢だったんだろうか。凄く昔に見た、予知夢とか?
 其の様な事が頭の中で浮かんでは消えて行くけれども、幾ら考えたところで、綺麗に型に嵌るピースは閃きそうに無かった。ピンときたのは一瞬だけで、今は何も感じることが出来ないからだ。
 それでも、と、一人楽しそうに写真をなぞる健悟の背中を訝しげに眺めていると、突然、玄関から物音がした。
 ――がらがらがら。
 それは、襖を隔てた玄関で、扉が開かれた音。突然の音に蓮はビクリと肩を揺らしたが、驚いた自分が直ぐに情けなくなった。
「ただいまー」
 音の後、聴きなれた声が耳に届いたからだ。
 この部屋で知らない人と二人きりと云う状況から抜け出せると云う事実に、味方が現れたという事実に、蓮は意図せずとも心から安堵の息を吐いていた。
 そして、目の前に居る健悟が、未だ閉じたままである襖に目をやっていた事に気付き、言葉を紡ぐ。
「かーちゃん。帰って来たみたいです」
 其の言葉を聴くや否や、障子に映る影に対し、「ああ」と嬉しそうに微笑んだ健悟の横顔を見れば、母親とも知り合いだったことには直ぐに気が付いた。
「はいはいただい――……って、あら」
 ただいま、と続く筈だった科白は健悟の姿を視界に入れた途端に途切れてしまったらしい。中に居るのは蓮だけだと思っていた母親――睦(まこと)は酷く驚き、目を丸くした。
「コンニチハ」
 其の姿を見て、にっこりと笑う健悟。
 規定通りの挨拶だったが、蓮にとっては、それが、想像どおりのリアクションだと言っているようにすら聞こえた。楽しそうに微笑む健悟の笑みが何処から来たものなのかは、いくら考えても分かりそうに無い。
「まぁまぁまぁ、はー……」
 一方で睦は、持っていたスーパーの袋を机上に置く間も視線はしっかりと健悟を捕らえていて、感心したように頷いている。
「……なんだよそのリアクション」
 何処に感心する場所があったんだ、と蓮が吐き棄てたところで漸く睦と目が合い、ああ、ただいま、と軽く言われた。
 あっさりとした挨拶に、それでもきっちりオカエリと返す。オハヨウから始まりオヤスミナサイまで、一般的な挨拶を交わすことが当然として躾られていた所為に。
 しかし、睦が蓮に目をやったのは其の時だけで、直ぐに健悟の前へと移動し、腕組みしながら薄ら笑いを浮かべていた。
「いやまぁ、綺麗になったというかなんというか」
「勘弁してくださいよ」
 にやにやと笑いながら凝視する不躾な視線に、健悟は苦笑いで右手を顔の前に掲げる。
 其の随分と仲の良さそうな様子は、蓮に対し、本当は母の知り合いだったのか、と思わせるのは十分だった。
「知り合い?」
 だから、思った事を素直に口に出してみた。ほぼ、確信めいた口調で。
 しかし、其の瞬間、まるで時が止まったかの様に部屋が静かになってしまった。
「……」
「……」
 蝉の音を再び意識してしまう位の静寂の後、立っている二人に、訝しげな表情で見下ろされ、蓮の身体が強張ってしまう。
「……、え?」
 蓮が苦笑いを浮かべ首を傾げると、睦が大きく息を吐き出し、健悟の肩をポンポン、と叩いた。
 其れに対し眉を顰め、「ほっといてください」と返した健悟だったが、其処に含まれるメッセージを蓮が汲み取る事は到底出来なかった。
「知り合いっていうか、まぁ、昔会ったことがあるっていうか……あんた覚えてる?」
「え? 俺?」
 睦からの突然の科白に、蓮は健悟を凝視した。しかし、思考回路を辿ってみたところで合致した情報は無く、否定の意を込めて緩く首を振った。
(だって、知らない、こんな綺麗な人居たら覚えてるっつーの。)
「あー、そうね、あんたやっぱり――」
「……マコっさん」
 放っておけば要らない追究までもを進めようとする睦の様子を見て、健悟は睦の腕を叩き牽制した。
 蓮が自分を覚えていないことは承知の上で、少しでも期待した自分が馬鹿だったと、溜息を吐きながら。
「あー……、あっははは、いやでもおっどろいた、あんたら何時会ったのよ」
 其の健悟の様子から何かを悟った睦は、溜息一つで払拭し、蓮に笑顔を見せた。健悟に向けた揶揄かうような其れではなく、何時もの母親の顔に戻っていて、蓮は安心して口を開く。
「20分位前、かな? 駐車場で腹鳴らしてたから御飯でもどうですか的な……」
「は? 馬鹿。的な、じゃないわよ。御飯でもって……だから東京なんて行かせらんないの」
「はぁ? それとこれとは関係ねぇじゃん!」
「大、有、り、です、知らない人家に上げて刺されたらどうすんの。まぁ、今回は……」
 其処まで言って睦は、ちらりと健悟を見た。
 そして、何か考えた素振りを見せて、「まぁ、いいわ」と続けた。
「よし、じゃあ夕飯も作らなきゃね。蓮、とりあえずなんか食べたいのもいできて」
 もぐ、というのは庭先にある畑から野菜を取ってきて、と云う意味なのだが、蓮は、採れたての野菜を食べれることに対し喜ぶよりも、其の反対に、唇を尖らせ背中を丸めた。
「えー」
 夕食に自分の気分でおかずが並ぶのは良いとしても、外は熱い上に、土塗れなんてごめんだ、と云う理由で、蓮はこの作業が嫌いだった。
「はいはい、ちゃっちゃっと行って来る。ばぁちゃん帰ってきちゃうよ」
「ちえっ、人使いあれー」
 それでも、嫌だと言ったところで駆り出されなかった事は無く、本日も同様に、半ば無理矢理家から追い出された。
 玄関先においてあるザルを持って、がらがら、と扉を開ければ案の定燦々と太陽が照っていて。より一層眉を顰めながら、一歩、足を踏み出す。
「……あちぃー」
 そして、誰のかも分からないサンダルを引っ掛け、ズルズルとやる気のなさそうに歩きながら、母親と男の関係について考えてみた。
 見た事も無いイケメンとの余りに親しそうな様子に、浮気なんじゃねぇのまさか、と、的外れな見解が頭を過ぎる。しかし、驚いた素振りはあっても焦りは無かった母親を思い出し、ありえねぇか、と一笑した。
 知り合いと云う科白は、かぁちゃんの勘違いか、俺が覚えていないだけなのか。此処にはかぁちゃんに会いに来たんだろうか。東京のことを沢山教えて欲しかったけれど、用があるならそれは無理なのかもしれない。
 これがスゲェ美人なねぇちゃんだったら無理にでも食いついたのになァ、と溜息を吐く。田舎町でそんな偶然まずねぇか、とごちながら。
 だから、所詮男相手の情報収集などは、「ま、いーや」と投げ出し、其れよりも幾分重要だと思える、太陽との闘いに集中した。

 あの時の、たった一瞬だけの既視感など、とうに忘れてしまっていた。



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