「ふーろ、ふーろっ」
「……分かりやすくテンションあがるねキミ」
 廊下の端端に置いてある壺を必要以上に避けながら、蓮は案内の矢印に向かって大浴場へと脚を進める。
 ぶんぶんと手拭いを振り回す蓮を可愛いと横目で見ながらも、一方で健悟の表情は酷く悩ましげなものだった。
 一緒に風呂に入るのは流石にまずいだろうと一度は誘いを断ったものの、何の下心もない蓮から不審そうに見られてしまい、気まずさに駆られて結局はふたり一緒に部屋から出発していた。
「そらテンションもあがるわ、温泉ちょうすきだもんおれ」
「よく行くの?」
「行く行く、近場探してテキトーに」
 利佳の運転で、悪友三人と共に温泉へ行った回数は数え切れるものではなく、利佳が暇な限りは殆どの確率で連れ出されていた。
「……へぇー」
「あ、羨ましいんだろ」
「そりゃあね」
 悔しがる様子を見せた健悟に、蓮は初めて田舎という点で勝利を手にし満足そうな笑みを浮かべた。
 しかしその実、健悟は温泉に手軽に行ける蓮に対し顔を顰めたのではなく、幾年もの間気軽に蓮と風呂に入っているだろう旧友を呪ってのことだった。藁人形は本当に効くのだろうか、と明日の朝食で提供されるらしい藁納豆を思い出したところで、丁度蓮が大浴場の暖簾を潜っていた。
「あ、どうも」
「コンバンハ」
 そのとき、丁度スタッフの何名かと鉢合わせ、健悟は小さくお決まりの愛想笑いを返した。何事も無いように微笑めば、蓮と健悟がふたり並んで居る事実は深く詮索されることなく通り過ぎてくれた。共通点のないだろう二人を、只一緒のタイミングで入ってきた宿泊者だと勘違いしたからなのかもしれない。
 スリッパを脱いで脚を踏み入れれば、籠が使われている様子は微塵も無く、時間が時間なだけにどうやら貸し切りのようだった。せめて数名居ればなんとかなるだろうという甘い考えを持っていただけに、健悟は焦り、持っていた替えの下着を落としそうになってしまう。
 マズイ。非常にマズイ。この上なくマズイ。
 何か言い訳をして部屋に戻るべきかと健悟が蓮を振り返れば、蓮はなにも気にしていない様子で既に制服のシャツのボタンをぷちぷちと外していた。
 見るなと全神経が命令を下すのが分かるが、それに従うかは所詮は己次第、結局健悟はその状況から眼を離すことができなかった。
 シャツを畳むことなく籠に押しいれ、カチャカチャとベルトを外す音だけが静かな脱衣所に必要以上に響いている。
 校則違反のベルトも外れ、健悟にとってはまるでスローモーションかのように蓮がズボンを脱いでいくと、脛毛の薄いすらりと伸びる太腿と脹脛が現れた。そして、黒のボクサーパンツ一枚のまま、手をクロスしてTシャツを脱ぎに掛かる蓮は、薄い腹にある臍をちらりと見せたとき、漸く健悟からの視線に気付いたのだった。
 半裸の蓮とは対照的に、未だ一枚も服を脱いで居ない健悟に眉を顰め、熱視線の送り主に向けて酷く睨みつける。
「あァ? 見んなよ。どうせほせーよチクショウ」
「あー……いや、なんでもない、っす」
「?」
 その視線に、細すぎる身体を馬鹿にされたと勘違いした蓮が健悟を睨むが、健悟は一瞬で口元を押さえ眼を逸らすものだから、首を傾げるしかない。
「……ドーゾお先に」
 苦笑する健悟が蓮を浴室へと促し、落ち着けと自分に言い聞かせる。
 あれよあれよと言う間にTシャツを脱ぎ棄てた蓮を見ないように必死に目を逸らしていると、どうやら最後の砦であったボクサーパンツも剥ぎ取られたことを気配で察した。
 もう絶対に蓮の方は見ては行けないと神経を集中させていると、あろうことか蓮からずんずんと歩みを進め近寄ってくる。
「ほお、てめぇ俺だけ脱がしといて自分は脱がねぇ魂胆か」
「ええ!?」
 一糸纏わぬ姿で腕組みした蓮が健悟へと近付き、得意げに笑った。
「おら、脱げコラ!!」
「ちょ、分かったから! 脱ぐから触んなっ!」
 裸のままに両手で上着を引っ張られれば、羞恥心を何処に置いてきたのか何も隠していない身体は全てが丸見えそのものだった。
 蓮を振り払いながらもついつい眼がいってしまうそこに、どうにか視線の先には気付かないで欲しいと願うばかり。
 なんだこれこの状況! ざけんな! 俺が勃って気まずいのはお前なんだかんなっ!!
 そんなことは口が裂けても言える筈が無く、健悟は蓮を引き剥がしてから自分の着ている衣服へと指先を伸ばす。なんだこの公開ストリップはと思ったところで、蓮にとって所詮男同士の間では何の感慨も生まれないらしい、ただただ男らしく直接的な眼差しを不躾に送られるだけだった。
「そんなにガン見されると気まずいっていうかさー……」
「んだよ、どうせ脱いでんだろなんかの雑誌とかで」
「それとこれとは訳がちが――」
「うわ、ほんとに脱いでんのかよ」
「……」
 ゲロ、と声に出した蓮が若干ヒいた音がして、健悟はどうにでもなれと目を閉じながら服を脱いだ。仕事なんだからの言い訳も出来ぬほどに投げやりな雰囲気が漂ってくる。
 何が好きで、好きな人に観られたままに己の裸を晒せばならないのかと溜息を吐くが、その健悟の嫌そうな顔に蓮は満足そうに頷いていた。
 蓮はそれをお返しと言わんばかりに不躾な視線を送るものの、所詮男の裸を見たところで何もないか、と平常心のままである。
 しかし、健悟が上の服を脱いだ途端、一瞬にして眉間に皺が寄ってしまった。
「……てっ、てめぇ、脱いだらスゴイんです体型かこのやろう……」
「はァ?」
 ぽつりと落ちた呟きに返ってくるのは疑問交じりの健悟の声。
 何度も温泉に行っている悪友も羨ましい体型の集まりだったが、それとは比べ物にならないほどに美しい体躯をしている健悟に、蓮の口角がひくひくと震えた。
 無駄がなく、綺麗に筋肉のついた二の腕や腹、服を着ていたときは分からなかったが、腹筋も割れていて、いくら腹筋をしても変わらない自分の腹にコンプレックスを抱いていた蓮はそれだけで憎々しさが込み上げてきた。
 意味が分からないと脱衣を続ける健悟だったが、蓮からすれば、脚ひとつとっても触り心地が良さそうな肌は同じ男かと無条件に疑ってしまうほどだった。
 均整の取れた身体とはいえ、男の裸に初めて見惚れてしまった自分を自覚して、同じ男なのにこの違いは何なんだととヘコんでしまう。自分が健悟のような身体だったならば、きっと女なんか誰しもイチコロなのだろうと考えるだけで、羨望の眼差しが止むことはなかった。思考は飛躍し、寧ろ自分が女だったら抱いて欲しいとさえ思ってしまい、そこで漸く蓮は自分の思考回路にストップを掛けた。
「――ちょっと待て!」
「え?」
 口元を覆いながら言葉にすれば、健悟は自分が云われたと勘違いをして蓮に眼をやった。そうして再び見える視界に目を逸らし、チッと舌打ちしてしまうが、考え込んで居る蓮は気付かない。
 おいおいおい、抱いて、とか一歩間違わなくても問題発言だろそれ。ちょーまてこらふざけんなおればっかじゃねぇのまじで。
 巡った思考に大きなバツをつけ、全ての元凶である健悟の身体をべちん! と叩けば、余りにも痛々しい音が脱衣所内に反響した。
「いぃってえっ!!!」
 健悟が腹を抱えて涙混じりに蓮を見上げると、それを見た蓮の顔が段々と赤くなっていく。
「うっぜぇええ……バァァーカッ!!」
「ええぇー……?」
 そして訳の分からない棄て台詞を健悟に向かって吐き捨てると、蓮は手拭いを持って独り先に浴室へと駈けていった。
 走ると危ないと云う台詞を健悟が挟む間も無く、勢い良く開かれたドアの先、蓮が盛大に転んだ姿を見て不謹慎にも笑ってしまった。痛そうに尻を擦りながら、今度は慎重に歩みを進める蓮を見れば、いますぐに駆け寄って手を取ってやりたくなる。
 しかし、それ以上に今丸見えである赤く変色した尻を撫でてやりたい衝動の方が断然大きく、健悟は俯きながら自分のパンツの中を覗き込んだ。
「トイレ、……行ってからの方がいいですよねぇー」
 いちいち可愛い蓮の行動に、あいつマジバカじゃねぇのと悪態を吐きながら、浴室よりも先にトイレの扉を開ける。
 ズリネタなどいまこの短時間に何個増えたか分からないと嘆きながら、深い溜息と共に蓮を思い浮かべることしかできなかった。



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