蓮は、御盆に二つの麦茶を乗せ、逸る心を叱咤しながら居間へと向かった。そして、居間のど真ん中を陣取っているまさかの来訪者――真嶋健悟(まじま けんご)へと差し出す。
「ありがと」
「……」
 座布団に腰を掛ける健悟は、落ち着かない蓮の態度に気付く事無く、ゆっくりと辺りを見渡している。一方蓮は、自分以上に派手な風貌の人を間近で見たのは初めてで、健悟に便乗し見慣れた家を見回すよりかは、健悟のシルバーアクセサリーや、髪型をついつい見てしまう。
 右手に4つ、左手の中指に1つのリング。黒のメッシュが活き、綺麗に映えるシルバーアッシュは、東京の美容師さんの成せる業なのかと思うとそれだけで羨望の眼差しが強くなる。
 端整な容姿は、自分とは土台から違うのだろうか。東京ってスゲェなぁ、恐ろしいなぁ、との相槌が耐えない。
 しかし、必要以上執拗に観察していると、部屋を見回していた健悟が急に蓮に笑顔を向けてきたので、瞬時に引き攣った笑みしか引き出せなかったことを悔やんだ。
 ふと、蓮が自分の記憶を辿ってみたところ、考えてみれば、絡み難いのは元より、知らない人と話す事自体が久し振りなことを思い出した。転入生さえ滅多に来ないこの土地、東京の人がこんな辺鄙な村に何の用があったのだろうかと蓮は改めて首を傾げてしまう。
「あれ、ていうか蓮くんは今日独り?」
 しかし、思索するのも数秒の事で、再び健悟から声を掛けられる。特に会話の間を持たそうという意思があるのではなく、自然に質問してきているだけのようだった。
「あ、はい、らしいっす」
 問われると同時に無責任に家を出て行った家族達を思い出し、呆れ気味に頷くことしか出来ない。
 閉ざされた襖の奥を気にした素振りを見せる健悟に、漸く、彼が兄に会いに来たのだと云う事を思い出し、兄と連絡を取るべきなのか迷った。
 昨年大学生になった兄は此の家を出て、県の市街地にある農大に通う為に一人暮らしを始めていた。本当に兄に用事と云うのならば、此の家に居ても意味が無く、新しい住所を教えた方が良いのだろうが……と考え、再び健悟に眼をやってみる。しかし、健悟自身が兄の事を気にする様子は見られず、何故だか驚きに目を開く表情が目の前にあった。
「え、誰も居ないのに、鍵もかけないで出かけるつもりだったの?」
「あー……」
 その件について蓮は何も言い返せず言葉を濁してみるものの、健悟の頭にははっきりとクエスチョンマークが表示されている事が見て取れる。
 とても正しい反応に、激しく同意をしたかったが、実際鍵を掛けずに出掛けようとした事は事実なので何も言い返せなかった。
「だってみんな鍵持って出かけてないし。家入れなくなるじゃないっすか」
 親の云う事に従っているなんて、なんとなく格好悪い気がして、蓮は、眼を逸らしながら呟いた。尖った唇を其の侭に健悟に眼を向ければ、そういうモンなの? と返されて、頷く事しかできない。
「はぁー……平和だなぁ」
「……」
 理解できないとばかりに眉を顰めながらも頷いた目の前の東京人を見て、蓮は何故だか妙な焦燥に駆られた。
「そうっすね。……うぜえくらい平和っすよ」
 自嘲気味な笑みと共に、ぽつりと独り言が漏れる。
当たり前だと受け止めていた事に首を傾げられ、“普通”というレッテルの其れが少しずつ分からなくなってくる。辺境の地で、麻痺したままに日々流れている自分が空しくなってしまった。
 きっと、蓮が何も変わらない平和な一日を繰り返している間にも、健悟は毎日が違うものとして輝いているのだろうと思った途端に、何と無く惨めになってしまったからだ。
 健悟に非など皆無だと分かっていても、蓮の中での羨ましいと思う気持ちは拭えなかった。
 恨むなら自分のおかれた環境であることも重々承知しているつもりだった。実際に、目の当たりにするまでは。
「……」
 そんな蓮の様子に健悟が眉を顰めたが、蓮は気付かない。
 再び蝉の音が響く妙な間が流れたとき、その無言を破棄するのもやはり健悟で、小さな驚嘆が蓮の耳に届いた。
「あ。これ、親父さん?」
「げっ、」
 見れば、健悟は青いパジャマを片手に歯を見せて笑っていた。其処に先程の眉を顰めた顔などは無く、生活観溢れる場所に思わず笑みが漏れたといった表情だった。安心するような健悟の傍ら、それが恥ずかしいのか蓮は嫌だと言わんばかりに健悟の左腕に手を伸ばす。
「良いって良いって。こんなんは何処の家庭も変わんないよ」
 しかし健悟はその手を制し、持っているパジャマを綺麗に畳んだ後に自分の横へと静かに置いた。
 ぽんぽん、と青を叩く仕草はとても優しい手付きで、何かを懐古しているようだった。その様子を見た蓮が、訝しみながらも健悟へと声を掛ける。
「変わんないって……健悟さんの親父さんも脱ぎっぱなしとかするんですか?」
「なにそれ、誰でもするんじゃないの、俺も全然するって」
「……意外」
 蓮の言葉に意識を取り戻し反応した健悟は、呆気にとられた様子の蓮を屈託なく笑いつけた。
 そして其の侭話を続けようとしたのだが、ふと蓮の後ろへと視線を外したとき、壁に掛かっている一枚の写真が目に入って来てしまった。
 蓮の家には、襖の上方など壁の開いたスペースに、町内の上空写真や、家族旅行に行った際の写真などが数多く立て掛けられている。そんな中、健悟の眼に入り込んできた一枚は、着物を着た女性を中心に五人が立っている家族写真。
 蓮は、健悟の視線が自分に無い事を気付き、ゆっくり後ろを振り返った。真後ろにあった写真はまさに其れで、まさか俺をそっちのけで姉貴に見惚れてんのか、と疑念を抱いてしまう。確かに姉ちゃんは美人だけど……、と蓮が眉を顰めた時、健悟は其の場から立ち上がり、写真の前へと移動した。
「着物……。利佳(りか)の成人式?」
「え? ああ。そうですけど……」
 “利佳”。
 其れが当然であるかのように、自然と呼び捨てにされた姉の名前に違和感を抱くが、驚きながらも頷いた。
 背中しか見えない今、何を思ってどんな顔で呟いたかの憶測は出来ない。頭の整理がつかず、兄ちゃんの知り合いじゃなかったのか? と、首を傾げるだけだった。姉ちゃんとも知り合いなのか? 考えたところで答えは出るはずもなかった。
「そっか、もう成人したのかー……はは、皆で写ってる。仲良いなー」
 そのまま健悟は、右手で愛しそうに写真へと触れ、一人一人を確認するように、長い指がなぞって行く。
銀髪が揺れており、笑っていることが大きな背中から感じ取れた。
「……?」
 そして、其の大きな背中が何故か懐かしく、一瞬、何処かで見たかのような既視感に襲われた。



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