“間違ってないよ。手くらい振ってくれても良いじゃん”
 拗ねた文面の文末には泣いている絵文字が自己を主張している、健悟からのメール。
 それを目にした蓮は、先程タイミング良くメールを受信した瞬間以上に眼を丸くした。
 ばっと顔を上げて健悟を見れば、遠くにある顔が再び此方へと向いている。健悟の視線を受けた周りの女子達が照れたように俯いているが、所々から「眼が合った!」という嬉々とした声も聞こえてくる。そして、勿論蓮も全く同じ感覚を味わっていた。この距離で、眼が合っている気がするのだ。
 いや、まさか。
 真っ向から否定するものの、ゾクリと背中に冷や汗が伝った事実は否定できなかった。
 目が合っている気がする、これは気のせいなんだろうか。調子に乗っているだけなんだろうか。
 もしかして、さっき手を振ったのは自分を見つけたからなのだろうか。
 ――こんな大人数の中から? 俺を?
 蓮は其処まで考え、未だ眼が合っている錯覚に陥りながらも、跳ね続ける鼓動を叱咤した。
 嘘だぁ、と一度自嘲した後、逸る心を抑えながら周りを見渡してみる。そして、自分が集団の最後尾で、後ろに誰も居ないことを知った蓮は、試すように小さく手を動かした。
 まさか分からないだろうとは思ったが、先程のメールを思い出しながら若干の期待を込めながら手を振っていると、瞬間、健悟は当然というように手を振り返してきた。
「!」
 蓮が目を見開いたのは一瞬、その後再びけたたましい悲鳴が周りから巻き起こり、顔を顰めてしまった。
「きゃあああーっ!!」
「2回目!? いま手振ったよね!?」
「えっ、なんで、なんで? 優しくない!?」
「こっち見てる、見てるよっ、かっこいいー!」
 再びざわめく周りを察した蓮は急いで腕を下ろす。
 慌てて健悟に目を戻した瞬間、この距離でも口元を押さえて笑う健悟が見えて、それはまるで焦っている蓮を笑っているようだった。
 忙しなく働くスタッフに囲まれながら、独り俯き笑いを堪える健悟の様子に、蓮は漸く自分がヒマツブシとして遊ばれて居るのだと悟った。
 しかし、たかが手を振っただけ、そんな些細な言動で此れだけの波紋を呼んでいるのだから、健悟の凄さには怒るよりむしろ笑うしかない。
 勿論驚き焦ってしまった自分に行き場の無い敗北感を抱きながら、蓮は握ったままだった携帯を再び覗き、ぽちぽちと返信を打った。
『仕事しろよ』
 絵文字も丸も可愛げさえ無い一言だったが、其の実、蓮の心は晴れ晴れとしたものだった。
 たしかに、健悟が自分に気付いたのは髪の色で目立っていたからかもしれない。それでもこんな大勢の中から自分を見つけてくれたというのは嬉しいもので、その瞬間だけは、何処か周りとは違う、健悟にとってのトクベツだった気がしたからだ。
 顔には出さないように必死に口元を抑えていると、再び震える携帯。
 てっきりもう返信は来ないだろうと思っていたので、急いでそのメールを開く。
“いま休憩中だからいーの。ていうか大丈夫?暑かったらホント帰ってても大丈夫だよ?”
「……」
 焦ったような絵文字が数行の中を彩っていたことに対し、蓮は無言で己の足元に目線を配って格好を見直した。
 校則違反のビーチサンダル、制服のズボンは膝まで捲くっているし、半袖のシャツだって折り返して着用している。
 凌げない暑さでは無い蓮に対し、片や“真嶋健悟”はこの真夏に黒いスーツ、風が通る外とは反対に、閉じ込められている場所は蒸しっぱなしの体育館。
「……ハッ、どう考えてもおまえのが暑いだろ」
 心配する相手が違うだろうと蓮は呆れて鼻で笑ったが、それと同時に、奇妙な気持ちに襲われてしまった。
 いまこのとき、健悟の周りには大多数の人が居て、誰よりも注目を集めている。
 蓮の周りに居る全ての人の視線が健悟に向かっている中で、その健悟が考えているのが自分の心配だということが、とても不思議であり、なんだかむず痒かった。
 右手でゆっくりと操作する携帯はそのままに、左手で首筋を押さえながら、まだ続くメールの返信。
『いいから仕事しろ。バカ』
“(σ’д`)”
 照れ隠しで送った返信には、訳の分からない顔文字だけが返ってきた。目元を押さえる絵文字。
 ……あ? んだこれ、馬鹿っつわれて泣いてんの? いやあいつ絵文字使うもんな、普通泣くだけならそっちだろ。はぁ? なにこれ、あっかんべー? とでも言いてぇの? ……は?
 文脈からして辿り着いた答えが多分正解なのだろうと確信し、分かりずれぇっ! と蓮は小さく呟いた。
 「格好良いー!」と未だ叫び続ける声の主達に、“格好いい”の欠片も無いこのメールを見せてやりたい。
 こんな絵文字を必死に打ってるか登録してるかしちゃうんだぜ。うわーもうちょうだせ。かっこわりぃだろ? ダセェだろ? あ?
 蓮は、さっきの仕返しだっ、と心の中に秘め、健悟に見えないように俯いた後、笑みを浮かべながら送信ボタンを押した。
“かえる”
 わざと怒ったように繕い返信したメールは、昨日蓮が怒ったときに狼狽していた健悟を思い出し、冗談半分に送ったもの。
 そして送った事が確認できると、直ぐに健悟に眼を向けた。すると、携帯を弄った健悟がしゃんとしていた背を突然丸め、両指を使いながら携帯に真剣に詰め寄っている姿が見える。
 周りは何かあったのかと騒いでいるが、チガウと知っているのは、この何十人も居る空間の中でふたりだけ。あたふたしている健悟の様子に蓮だけが笑い、些細な優越感に浸っていた。
“うっそ!ごめんね!がんばるからっ!”
 そうして返って来た返信は、最後に謝る絵文字が添えられていた。
 帰っていいと言ったのはたった数分前の健悟だったというのに、本心では結局帰って欲しくないということなのだろうか。
 いつもは揶揄されることは嫌いだと切歯扼腕している蓮だが、やはり自分でするとなると楽しさから笑みが止まりそうにない。
 焦る健悟を思い出せば自然と笑えて来るが、いま健悟は仕事中だと言うことを思い出し、これ以上“真嶋健悟”を崩させるのはいけないと自重した。
 だから蓮は最後に“頑張れ”と送ってからは、此処でやり取りが終了したのだと思っていた。
 蓮が返信したと同時に健悟もスタッフに呼ばれ、名残惜しそうに携帯を椅子の上へと放置していた。
 撮影が再開するような厳粛な雰囲気を察し、蓮も再び健悟の演技を楽しみに眺めていると、ふと、携帯のバイブが響いた。既に其れが健悟からだという意識は一切無く、相手は利佳か武人だろうと思いながらメールを開いてみる。
 しかし、宛名は変わらずハートマークひとつ。
 あの短時間で焦って送ってきたのだろうか、たどり着いた先には、メールにも本文にも同じ絵文字がちょこんと並んでいた。
 時間がないなりに、必死に返信を考えてくれたのだろう健悟。ハートが二つ並んだ画面が、頑張るという言葉の返信なのかと思い、蓮は気付けば携帯を見ながら「ぶはっ」と噴き出していた。
「なにこれ。超可愛いんですけど」
 小さく呟きながら“真嶋健悟”に眼を向ける。
 ハートの絵文字どころか、メール自体を一生使わなそうな風貌に、一人笑っているのは蓮だけだった。
 蒸気したギャラリーに囲まれながら、蓮の顔だけが笑いを堪えている。
 クールに演技をこなす男、ハートマークとは一切結びつかない目の前の男に、蓮はかわいいなおいと再び呟いて、そこで漸くハッとした。
「いっ……いやいやいやいや」
 瞬間、自然に出てしまった“可愛い”という言葉に、蓮の顔から全ての笑いが消え去った。
 男相手に、しかも180センチを越える健悟に対して可愛いとはなんだと、蓮は一人口元を抑えている。
 ないないないないないない、と独り言を呟いていると周りの女子からは変な目で見られてしまい、蓮は焦りながら口を噤んだ。
 真一文字に結んだ唇と共に顔を上げ、再び見入った“真嶋健悟”は女子の例え通り格好良いという言葉そのもの。綺麗はともかく可愛いは絶対に違うだろうと、蓮は唇を噛み締めながら数秒前の自分を叱咤していた。



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