「――うっわ!」
「……!」
 そして、思わずと云う様に声を上げたのは男の方であり、一歩後ろへと後ずさり蓮から遠退いた。
 蓮も其の声で肩を揺らし、漸く気を取り戻す。それと同時に、恐怖からか不信感からか煩く鳴る心臓の音を自覚した。緊張状態とはまさしく今の自分の事であり、刺激を求めては居たものの、危険を求めていたわけではないと過去の自分を恨んだ。
 此の田舎に於いては殆どの人間は顔見知りであり、知らない人間が尋ねてくることなど本当に稀だった。その多くも売り込みや営業等でやってくるスーツ姿の年のいったサラリーマンが殆どで、目の前に立っている男とは余にも懸け離れている。
 蓮とは比べるのも可哀想な程に背の高い男は、英文字がプリントされてある細身のTシャツを着ていて、膝丈の色の落ちたジーンズを穿いている。程好い筋肉がついている脚が伸びた先には良質そうなスニーカーが履かれており、シンプルな服装の筈なのに体躯の所為か此れ以上は無い程格好良く着こなされている。
 しかし、シルバーアッシュに黒のメッシュが入っている派手な髪色で社会人が勤まるとは到底思えない。綺麗に整えられた眉が隠れる程の前髪が、男の顔立ちの良さを更に際立たせていた。
 髪の毛と同じ色をした灰色の瞳、サラリーマンとは相容れない姿に蓮は不躾気味に視線を送り続けるものの、今迄対峙した人間の中で飛び抜けて格好良い容姿に若干戸惑いが否めない。
 泥棒ではとの疑念は消えないが、初めて対峙した芸術品のような容姿に怯んでしまうのも仕方の無いことだった。其れ程までに、男の容姿には目を瞠るものがあった。
 しかし男は、蓮の視線に臆する事無く、口元を手で覆い、深く溜息を吐いただけで済ませてしまう。
「び、っくりしたー……」
 口元から胸へと手を当て換え、心底安心したように息をつく男に、蓮の不信感は更に募る。客人ならば玄関から入ってくればいい。トレーラーの陰に立っているなんてどう考えても不自然だ。
 改めて警戒態勢に入る。
 そして、過剰に響く心臓の音と体中を蠢く血液の流れには気付かぬ振りをして、意を決し口を開いた。 
「……あんた、誰?」
 云えば、男は酷く驚いたようで、小さくだが口元から疑問の言葉が発された。
 戸惑いが見受けられるが、其れ以上に戸惑うのは自分の方だと、蓮は強気で攻め立てる。
「俺ん家に何か用ですか? 兄ちゃんの知り合い? 父ちゃん?」
「いや、俺は―――」
 抗えない身長差故に、上目使いになっていしまう自分に気付きながらも、それを止める手立ては存在しない。
 男は蓮の言葉に否定を掲げたのだが、言葉を続けようとした矢先に大きな声が聞こえしまい、二人は視線をそちらに送らざるを得なかった。
「えーっ、今どっちから声したんけ? こっち!?」
 蓮達が居る場所から数十メートル離れた場所、丁度蓮の家に面している道路に、蓮の見知った制服が見える。
「分がんない、奥かな、公園の方かもしんね!」
 何故だか焦った様子の女の子二人組は蓮のクラスメートであり、スカートを翻しながらぱたぱたと駆けて行く。鼓動とは正直なもので、すぐ近くに知り合いが居る事に心強くなり少しだけ落ち着くことが出来た。
 あそこまで駆け寄り何かあったのか聞いてこようか、この場から逃げようか、いっそ不審者の存在を告げるべきなのだろうか――幾通りものパターンを考えていると、突然、一気に視界が揺れた。
 気を抜いた所為で、あっさりと男に左腕を引っ張られてしまい、男と共にトラクターの陰へと身を隠す体勢になってしまった。
 引っ張られた左腕のなす儘に蓮は男の胸元へと背中を引き寄せられ、口を抑えつけられた。目の前にあるのは壁だけで、抱きかかえられる様にして動きを封じられてしまっている。
「ッ、!」
 友達を見て安心したとはいえ、男が怪しい事には変わらない。何故気を抜いたのだろうか。何故もっと早く逃げなかったのだろうか。
 先程沈静した鼓動が嘘だったかのように、一瞬で爆発しそうに騒ぎ出す。己の浅はかさから焦慮に駆られ、目線も定まらずに上下左右と無駄に動いてしまう。何かこの場を凌げるようなものは無いかと探してしまう。
 掴まれた左腕は使い物にならないので、残った右腕と両脚で男を引き離そうと必死に暴れるも、男の力が思った以上に強い上に身長差も相俟って努力の甲斐は無いに等しい。その上、脚までもが器用に男の脚に挟み込まれてしまい、段々と眼元に膜が出来てくる。
 このまま誘拐されたら、殺されたら、嫌な思考だけが先走り蓮の眼元は更に潤みを帯びていく。そんな事になって堪るかと、必死に呻き声を上げる。声を出せれば、誰か気付いてくれるかもしれない。自分が来ない事に気付いた武人もそろそろ来るかもしれない。
 低い可能性に願いをかけるが、鼻から下を大きな手で抑えつけられているために、思ったように大きな声は出ない。思うが侭にはいかず、如何しようとぎゅっと眼を瞑った時に、漸く、背後から声が聞こえた。



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