「じゃ、あとでなー」
「おー」
 ひらひらと手を振り爽やかな笑顔で去って行く武人に対し蓮は目線だけで答え、自分の家の敷地内へと足を進める。
 蓮の家の隣が武人の家であるが、如何せん田舎と云うものは隣の家との間隔が広い為に、武人はもう少しだけ緑に囲まれた道を歩く事になる。どちらかといえばコンビニに少しでも近い武人の家に、蓮の用意が済み次第向かうと云う暗黙の了解の下で。
 一方蓮は、そのまま家の敷地内にある砂利道を踏みながら歩みを進めていた。
 蓮の家は農家で、付近に広がる田んぼや商業用の大きな畑とは別に、家族や親族で食す為の畑が、家の敷地内にも二つ存在している。
 一つ目の畑は砂利道の真横にあり、横一メートル、縦三メートル四方で造られている。其処には、シシトウ、茄子、南瓜など幾種もの野菜がたわわに実っており、見る度に改めて自分の境遇を思い知らされ憂鬱な気分を誘う。
 思わず溜息を吐いてしまう動作も、蓮にとっては日常に含まれている出来事だ。
 其処から進み右に曲がると、若干傾斜のきつい上り坂があるのだが、其の脇に二つ目の畑が在る。先程とは比べ物にならない程数段大きく、本家である蓮の家に親戚が訪れる際には嬉々として持って帰る様な上質なものだ。
 そして、その大きな畑が見上げるようにして建つ日本家屋が、蓮の家である。
「ただいまー」
 鍵の掛かっていないドアを横に押し開けると、左右が離れ離れになった靴があちら此方に広がっていた。大きな玄関に放られた幾つもの其れらを整理する事など面倒以外の何者でもない。黒く艶めくローファーも仲間に加えてから一段上がり、家の中へと入っていく。
 所々穴の開いてしまっている障子を開け居間に顔を出すも、誰かが居る形跡は全く無かった。
「誰も居ねぇのー?」
 故に、呟いた一言に返事が返ってくる筈も無く、返って来る音と言えば裏の林に沢山居ついているのだろう蝉の鳴き声だけ。絶えず蝉の音だけが家中に響いていて、暑さを増長させている気がする。
 東北の奥の田舎ならば涼しいだろうに、所詮中途半端なこの場所で夏の暑さを凌ぐ事は困難である。
「……窓くれぇ閉めてけっつうのに」
 嫌悪を露にしながら窓に目線を送る。玄関の鍵は開いていた上に、窓も開いて網戸だけの状態だった。何度注意しても無防備な家。此処が東京だったら何度空巣に入られている事か。そう言ったところで、此処は東京じゃないもの、と返されれば続く言葉は無かった。実際に、まるで無防備なこの家が空巣被害に遭ったことなど一度も無かったからだ。
 持っていた薄いスクールバッグを畳の上に投げ捨て、再び踵を返す。靴箱の上に置いてある多くの鍵の中から自転車の鍵を漁り、人差し指でくるくると廻しながらローファーを履き直す。
 家に鍵をしようか迷ったが、出掛けている家族が鍵を持っていなかったら大変なので渋々無視を決め込んだ。以前良心から窓を閉めて出掛けたところ、部屋中蒸していて暑かったと逆に文句を言われた事があったので、其の点も。
 これから行くコンビ二までの距離を頭で換算すると共に、何を奢って貰おうかと画策しながら軽い足取りで坂を下りて行く。
 蓮の自転車は滅多に使用される事は無く、駐車場の奥に置きっぱなしの状態である。坂を折りると、コンクリートから一転して砂利道が広がっている。ローファーで砂利を踏み締め、特有の音を立てながらも駐車場の奥へと進んで行く。
 白の軽トラックを過ぎ、母の所有物である旧型のbBを過ぎると、農作業で頻繁に活躍するトラクターが見える。自転車はトラクターの奥に放置されている為、其処を左に曲がると直ぐに見つけることが出来る。
 蓮は迷う事無く左へ曲がり、そして、―――ピタリと、足を止めた。
「はっ……?」
 口元が引き攣り、思わず驚きの声を漏らしてしまった。
 それもその筈、蓮以外の人間がこの敷地内に居る事に、初めて気が付いたからだ。
 砂利が擦られる音は続かず、蓮は驚きの余りその場で固まり動けなくなってしまった。眼が合う。まるで道路から隠れるように、トラクターの陰に立っている、一人の男と。
 空気が凍り、蓮も、トラクターに寄りかかっている男も、両者共にこれ以上無い程に大きく眼を開いている。



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