御経の如く有耶無耶な言葉にしか聞こえない教師の授業を聞いた後、帰りの挨拶、そして冒頭のベルを聞いてから、薄いスクールバッグを持って立ち上がった。
 繰り返される毎日、何でも良いからと刺激を求めようにも、供給は皆無に等しい。家に帰ってゲームをして、ぐうたら過ごしながら寝てしまえば、またすぐに明日がやってくる。何の変哲も無い毎日をただただ刻むことに何の意味があるのだろか。蓮は日々自問自答を繰り返しているが、答が出る気配は一向にやって来ない。

 蓮が席を立つと同時に、席に一人の男が近寄ってきた。蓮よりも十センチ近く背が高く、制服を着ていてもバランスの良いしなやかな肢体をしていると分かるような、短髪の男だ。
 約束をせずとも、一緒に帰るだろう男が来ることすらも日常であり何の疑問も抱かない。だが、蓮と眼が合った瞬間の出来事だった。男の顔色が、一瞬で変わったのは。
「あ、アイス食いたい」
「はぁ?」
 蓮程では無いものの、黒に囲まれた教室内では若干浮いている茶色い髪色の主、佐藤武人(さとう たけひと)は、今思いついたかのように一瞬で嬉々とした顔になった。
 無表情の時は若干怖そうに見える面だが、今はへらりと崩れ蓮に笑顔を送っている。
 眉間に皺を寄せる蓮が武人を見上げるも、一切目に入らないのか、口元は緩やかな曲線を描いたままに楽しそうな声音を創り出す。
「暑いし。食いたくね?」
 着ている半袖から黒く日焼けしている手が伸び、武人はそれでパタパタと顔を扇ぎながら尋ねた。
 季節は夏休み前の、暑さが厳しくなる寸前の中途半端な時期。二三度扇ぎ手を止めてしまった処をみると、云うほど暑いわけではなく、只単に家に帰ってからが暇なので蓮に付き合えと言っているようにも聞こえた。
「嫌だ。コンビニとか遠いっつーの。一人で行けよ」
「またまたー」
「いーやーだ、あっこの坂疲れんだもん」
 都会に於いてはたかがコンビニと称されるそれも、緑に囲まれた田舎では全く別なものへと変貌を遂げる。
 高校から徒歩で十分ほどの場所にある蓮の家からでさえ歩きで行くという概念はそもそも存在せず、自転車を使っても面倒臭いと感じる距離。高校男子の体力を以ってしても憂鬱になるのだから、殆どの人はよっぽどの事が無ければコンビニに近寄ることは無かった。
「奢るからー。ねぇー」
「うぜぇ」
 難色を示す蓮に気付いた武人は、蓮のスクールバッグを掴み左右に揺らしながら御願いをしたが、いとも簡単に蓮に振り払われてしまった。
 情けない声で文句を言う武人を見て、蓮は、そういえば俺が貸したゲームクリアしたとか言ってたな、と思い出す。同時に、単なる暇潰しにオレを巻き込むのは辞めて欲しい、と云う素直な感情も湧き出てきた。
「えぇー、だっていま無性に食いてぇんだもん。チョコとかじゃなくて、こう、さらっとさぁ、ガリガリ君を当たりが出るまで食い倒したいのー」
「馬鹿おまえ、こんなド田舎のコンビニに当たりなんか混ざってるわけねぇだろ」
「えぇー、混ざってるって、奇跡は東京でも田舎でもかわんねぇんですぅー」
「……付き合ってらんね」
 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨て蓮は独りドアに向け歩き始める。武人を無視したまま進んだ先、丁度教室の扉へと手を掛けた処で、武人が改めて声を掛けてきた。声の遠さからして蓮の席から一歩も移動していないようだ。
「えー帰っちゃうのー? 蓮ちゃーん……」
 小さく窄む様なそれには明らかに寂しいと云う感情が見え隠れしており、わざと同情を誘う様なトーンである事は明確だった。
 そんな声を出されると、確かにこのまま家に帰っても何もせずにごろごろしているだけになるんだろう、と絆される感情が出てきてしまう。
 自分よりもガタイが大きい男の仕草を想像したら眩暈に襲われそうになり、蓮は図らずも溜息を吐いてしまう。
 そして、呆れた顔をしながらも、小さく振り返った。
「……ばか、行くんだろ。ぐだぐだしねぇで早くしろよ」
「……?」
 すっかり振られたと思っていた武人はその意味を理解するまで、首を傾げていた。
 しかし、数秒後、豆鉄砲を食らったかのような顔を見せ、首を左右に小さく振って現実へと帰ってきた。
「れんちゃーん!」
「……うっぜぇ」
 状況を飲み込んだ上で、にっこりと笑顔を投げ掛けるが、見えたのは、薄いスクールバックを背負った小さな背中だけだった。蓮は武人を待つ素振りすらせず、再び独りで歩き始めてしまっていた。
 武人は其の背に向けて嬉しそうに一息吐いてから、蓮の元へと駆け寄り、狭い廊下を一緒に進んでいく。
「なぁなぁなぁ、レンちゃん」
「なんすかー」
「レンちゃんみたいなの、東京ではツンデレって言うんだって」
「はぁ? なんだそれ。知るか」
 バッカじゃねぇの。そう言いながらも、蓮の口元は緩んでいた。
 未だ賑わいを見せる廊下に、二人の笑い声も重なる、午後三時。
 小さな小さな田舎町、コンビニに行くことさえも一苦労で、アイス一つを買うにも、同じだけのカロリーを消費する程の体力を使う。
 逃げ出したいほどに詰まらない場所だが、それを打開する方法も見付けられぬまま、蓮は日常の中に甘んじていた。



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