「うーわー……」
 ひく、と引き攣った頬と、歩みを止めてしまった足。これは、体育館を遠くから見ただけで蓮に起きた現象だった。
 体育館へと続く渡り廊下で、漸く体育館が見える筈だと思ったところ、肝心の体育館が見えないのだ。何百回と体育館へと通っているが、こんな不思議な経験は初めてだった。しかし、蓮が少し慌てて駆け寄ってみると、その原因は直ぐに分かった。
 ――人だかりで、体育館が覆われているのだ。
 体育館の足元にある、頑張れば中が見える構造になっている足元の窓も、その周辺も、全てが人で覆われている。
 田舎だからこそ其処まで多い生徒数ではないが、確実に全校生徒が体育館に密集していることが分かる人数だった。中ではなく、外に、だ。
 進む気持ちを完全に折られた蓮が武人に電話をすると、彼は騒ぎの中心――扉の真ん前の特等席に居たらしく、狭いスペースだろうというのに、これ以上無いほど大きく腕を振ってきた。
 大勢の前で「れーんーちゃーん!!」と大声で手を振られれば、その場に集まる全員が体育館よりも蓮を見るのは当然のことで、怒りと共に電話を切ってしまった。
 電話をブチッと切った所為だろうか、遠くに居るというのに「いでぇっ!」と声が聞こえたことにより、クスクスと笑われているのが分かる。武人に対して可愛い、という声があがるたび、何処がだ、と溜息を吐いてしまうのは何回目だろうか。携帯が壊れたら武人に弁償させようと、余りの恥ずかしさに頭を抱えた。
 すると、どうぞっ、と顔を赤く染めた後輩の女の子が目の前の道を開けてくれ、視線が集まる手前仕方なく御礼を言いながら進んでいく。すると、そこからどんどんと道が開いて行き、最終的には武人に腕を掴まれ引き寄せられた。
「さっすがレンちゃん、仕事がはやい」
 グッと親指を突き出してくる武人に罪悪感の文字は無く、満面の笑みにいっそ呆れて溜息が出てしまうのは当然のことである。
「パッキンがこえぇんだよ、パッキンが」
「つーかモーゼみてぇ、モーゼ・レン! あっはははは!」
「てんめぇら……」
 そう言って笑ったのは蓮のクラスメイトの宗像(むなかた)と羽生(はにゅう)。
 パッキンと言ったのが酒屋の息子に相応しい素行の宗像、彼を形容する言葉を選ぶならば剃り込みの入った御洒落坊主だが、蓮は未だに其の模様が何を描いているかの理解はしていない。
 モーゼと言って笑っているのがどんなときでもテンションが変わらない羽生。ふわふわパーマが校則違反だと先生に怒られるときでも笑顔で反論しているので、実は一番恐ろしいのではないかと蓮は常々危惧を抱いている。
 金髪が怖いと言っているが、二人を見てしまえば、如何見ても俺なんかよりおまえらの方が怖い、と言いたくて仕方がない。
 168cmの蓮にとって、175cm以下の人物が居ないこの3人はある意味恐怖とコンプレックスの対象になっている。背が高いだけで何故こんなにも格好良く、恐ろしく見えるのか、それは蓮にとっての永遠の課題であり目標点だ。
 蓮から見れば充分に不良というテリトリーに入るだろう彼等だが、彼等に言わせれば蓮の方が数段怖いというから可笑しな話である。
 蓮は、偏に其れは彼等が姉や母を見ている所為だと思っているが、実際はあの姉や母に歯向かう蓮を見ている所為だと云う方が正しい。
「ああもう、離せさわんなどっか行け阿呆」
「ちょ、ひっで、超良いとこキープしといたのにっ!」
「頼んでねーよ」
 蓮は、未だ腕を掴んだままの武人に痺れを切らし、解放を求めるも一向に離れる気配が無いことに苛々していた。
 この暑い中で引っ付かれると余計に暑くなる、空いた左手でパタパタと自分を扇げば、それに加え武人の空いた右手での手団扇も増えた。
 しかし、身長の大きさは手にも比例するとはよくいったもので、蓮よりも軽く振っているというのに涼しい武人の手に怒りを覚えて、もういい、と蹴りつけてやった。
「いってぇ!」
 足を押さえるために両腕を使い、漸く武人が離れたことで少しだけ涼しくなった気がした。
「つーかこんなトコ居るくれーだったら朝来いっつーの」
「へ?」
「へじゃねぇよ、つまんねぇだろ一人で学校来ても」
「れ、れんちゃ……!!!」
「寄んな」
 妙な笑顔を浮かべ、めげずに挑んでくる武人を足で制す。武人の膝にくっきりと足跡がついても、へらりと嬉しそうに笑っていた。
 その情けない笑顔に釣られて蓮まで噴出してしまうのだから、幼馴染というものは偉大としか言えない。
「あードエムはほっといて、いいから蓮ちゃん、あれ、中!」
「あぁ?」
「てめ、羽生っ、ドエムじゃねぇ!」
「……うるっせぇマジで」
 ばこん、と後ろでいい音がしたのは、武人が宗像に殴られた音。蓮に蹴られたとき同様の笑みが武人に浮かぶはずも無く、だんだんと激しいど突きあいに変わっていく。
 そんな二人さえも日常の風景と化し、気にもせずに蓮は体育館の中を覗くが、覗いた瞬間に身体が固まってしまった。
「…………」
 中には、見た事も無い数の大人が集まっていて、蓮の学校の校長先生や教諭の姿もある。雰囲気から判断するにPTAとは程遠く、何かの打ち合わせをしているようだった。
 普段はバスケットボールが置いてある場所には見た事も無い器具が置かれていて、状況を整理しようにも全く推測できそうにない。
「……え、なにこれ。うちのガッコついに廃校になんの?」
 苦笑いと共に羽生を見れば、「ちっがぁう!」と背中を強打され、咳き込んでしまう。
 しかし、ゴホゴホと揺れる蓮を心配するのはど突きあいから戦線離脱した武人のみで、宗像は興味もなさそうに、羽生はキラキラした目で体育館の中を見つめている。
「すっごいよねぇ、俺らの学校が映画に使われんだってさ!」
「えっ……映画ァ?」
 涙目のまま蓮が聞き返すと、羽生はそのリアクションを待っていたかのように満足そうに頷いた。
「……んな、なんの特徴もねぇ学校が?」
「特徴無いとか言わない、テメェの学校」
「てっ」
 ぺし、と蓮を軽く叩いたのは宗像だったが、その顔は笑っていて、先ほどの武人との争いでは考えられないほどの優しい力だった。
 直ぐに手が出る宗像を睨んでいると、横から、折り曲げた半袖をくいっと引っ張られ、視線を戻せば楽しそうな羽生の姿。
「しゅやく! 主役の俳優、誰だと思う、ね、ね!」
「いや知らねぇよ、いま来たばっかだし」
 言いたくて仕方が無い、と言う様子の羽生に、ドーゾと添えると、うずうずしていた何かが爆発したかのように大きな声を出した。
「聞いて驚け、マジびっくり、真嶋健悟だってさ!」
「……、ん?」
 何処かで聞いたことがある、と思った一瞬後、だんだんと蘇る記憶。
 昨日いちばん近くでずっと一緒に居た人物、数十回は呼んだ名前と一致したことに、蓮は驚きを隠せずにいた。



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