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「たけひとーパンツー」
 風呂上りの蓮がわしゃわしゃとタオルで髪を掻きながら、武人の部屋へと続く扉をガラッと開けると、武人は箪笥の蓮専用の引き出しからボクサーパンツを取り出し素っ裸の蓮へと投げ付けた。
「ハーパンどれ?」
「どれでもいー、あー、じゃーそのそれ、ボディグロの」
「ん」
「サンキュ」
 投げられたハーフパンツのスウェットを脚でキャッチし、何事もなく履いていく蓮は、いくら男を好きになったからといっても素っ裸で幼馴染の前に現れようと所詮何も変わらないことに感心していた。
 この家の廊下を裸で歩き武人の親に会ったとしても、風邪ひくわよと咎められて終了する程度の話題でしかない。
 ……そっか、よかった。分かってはいたものの、やっぱり奴が「男だから」好きなわけではないらしい。
 ホモじゃねぇぞと鼻息荒くTシャツを着ると、そのとき、ふと見えた自分の腹にぴたりと動きが止まってしまった。
「…………」
 裸如きを誰に見られようと構わないものの、厭味たらしい体躯の持ち主を思い出せば、この腹筋の割れてもいない腹が小憎たらしいと素直に思ったからだ。
「……腹筋でもすっかな。おまえ脚押さえてて」
「嫌だよ。どうせ変わんないってアンタは」
「るっせぇよ」
 濡れた金髪の頭を武人に向けて振れば、まだ残る水滴が武人へと飛んで行き、あからさまに眉を顰められる。
「ちょっとー、ちゃんと拭いた?」
「ばっかおめー廊下ちょー水浸しだっつの」
「うーわサイテー。サイテー。ちゃんと拭いてきてよ」
「うそだって。マジ優しくねぇおまえ」
「優しいの問題じゃないっしょそれ」
「ケッ」
 座ったまま蹴ってくる武人の攻撃を容易に避けると、濡れた前髪が目に入りそうになってしまった。
 わしゃわしゃとタオルで擦るも、たかがこんな一動作でさえ思い出してしまう人物に、いい加減気持ち悪いと自らを罵る事しか出来そうに無い。
 だって、と唇を尖らせ思い出すことは簡単だ。蓮が風呂から上がったときは、いつも健悟が髪を乾かしてくれていた。勝手にゲームをしている蓮の傍ら、勝手に髪を乾かしてくれていた。
 今思えばあの優しさは利佳に遣うべきだったのではと思うが、あの大きな掌で頭を撫でられるのは嫌いではなかった。
 自覚する前だったからこそ何の感慨もなかったが、今思えばよくもまあべたべたと触らせていたものだ、とすら思えてしまう。あー、そういや風呂も一緒に入ったっけ、と随分遠いような記憶を手繰り寄せたとき、武人のベッドの下に放置していた携帯電話が見え、その存在を漸く思い出した。
「……あ。ケータイ触った?」
「カレカノか」
「ですよねー」
 興味すらないと一蹴された携帯電話、学校から武人家へと直行して来たからこそマナーモードの解除されていない携帯を開けば、案の定真っ赤なハートマークからメールを受信していた。
 今更ながら、否、今更だからこそ、この絵文字はいい加減変えようと思いながら開いたメールには、帰って来ないの、と簡潔な一言が添えてあるのみだった。
 受信時間は三時間も前のこと。今は深夜一時を廻っているからこそ、返信をしていない現状が答えだと言っているようなものだった。
「…………」
 昨日の夜、健悟と出逢ってから初めて無視をして、今朝来たメールにも返信していない。今日の昼も電話を無視して、今この時でさえ返信画面は開いて居らず。
 きっと健悟も可笑しいと思っているに違いない。
 まともに顔を合わせていないのだから、何かあったと悟られているに違いない。
 駄目だと分かっているのに、全てが自分の捉え違いであり健悟の所為ではないと分かっているのに、今喋れば余計な事ばかりが口を付いて出てしまいそうで、話す事自体が恐いだなんて、酷く滑稽でしかない。
「あんた帰らんの?」
「んー……」
 携帯を持ちながらぼうっとしていると、不審に思ったのか武人が尋ねてくる。
 風呂も入ったことだし、そのまま此処で寝るつもりで居たものの、たかが健悟からのメール一通でぐにゃりと決意が緩んでしまった。
 携帯をスウェットのポケットにしまって部屋のカーテンをあけてみると、無論街灯の存在しない田舎では真っ暗な視界を星が照らしているのみだ。己の家の電気すら一つも点いていないことを確認すると、短考の後、シャッとカーテンを閉める。
「……んじゃ、けーる」
 ずっと健悟に返信をせずとも、たかが一通のメールを受信したというそれだけで、逢いたいという気持ちが全く変わらないことに気付かされた。
 見るだけだったら、誰にも迷惑は掛けないから、……いーじゃん、ちょっとだけなら。
「おーじゃねー、おれも寝よー」
「……」
 一世一代の決意にも近い此方の様子も知らず眠そうに欠伸をする武人を無視し、ゆっくりと脚を進める。
 すると、ふと「あ、蓮ちゃん」と呼び止められた。
 腑抜けた声で振り返ると、既にベッドに寝転ぶ武人がちょいちょいと手招きしていて、面倒臭いと思いながら逆戻りすると、ポケットに入っていた携帯を易々と抜き取られてしまった。
「ちょっ!」
 今迄ならば何も考えずに渡せるものの、少しでも疚しいメールが残っている今、人の手に渡る事は避けたい。そう思った蓮が手を伸ばすも、武人からは呆れたような眼で「見ねーから」と再び一蹴されてしまった。
「…………」
「睨まないでよ。ちがうって、携帯持ってんならこーしてき」
「えっ、うお、すげ、あかりぃ」
 しかし次の瞬間武人から戻ってきた携帯は見たこともない程の光りを発していて、武人を怒るどころか愕いて釘付けになってしまった。
「……蓮ちゃんさ、いい加減携帯の使い方くらい憶えなね」
「えー、すっげこれ、どーなってんの」
「カメラのフラッシュ」
「おんまえなぁー。もっと早く教えろよ、こえーんだぞ夜中マジで」
 ぺしんと茶色い頭を叩くと、痛いと小さく呟いてから、探るような目線を向けられた。
「……あんた今迄携帯なんか持ち歩かなかったじゃん」
「……あー……」
 昼間話しただけに武人の視線はしっかりピンキーリングに届いていて、蓮は気まずそうに濡れた髪を右手で掻くことしかできない。
「……電気消してってねー」
「……おー、おやすみー」
 うつ伏せになった武人に会話終了を悟り、御互いが苦笑いを浮かべながら、また明日、と同時に呟いていた。



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あきゅろす。
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