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「蓮ちゃーん、おかわりは?」
「ん、いるー。相変わらずんまいねーさっちゃんのカレー」
「はいはいありがと」
「かーさん、俺もおかわり」
「はーい」
 快い笑みだけを残し去り行くエプロン姿を見送って、蓮が残っているポテトサラダに箸を伸ばすと、この家の一人息子の視線を真っ向から集めていることに気付いた。
「……なんか、あったりまえなのにメズラシーね」
「そーけ?」
「んー、すっげ久しぶりって感じが」
 そうでもねぇよ、とぶっきらぼうに言い放つ蓮は、マヨネーズ味の強い胡瓜を必要以上に強く噛み砕くことで話の流れを断ち切る。
 小さい頃から当たり前と化していたのは、蓮が武人の家で夕食を食べるこの光景。
 学校帰りに住みつき、適当に遊んで適当に帰って、どちらにしろ翌朝授業の用意を漁りに帰る五十嵐家で二人迎える朝食と言うものは、疑う余地もない当然の部類に入っていた。しかし武人に彼女が居たとき、蓮に彼女が居たとき、他の友達と遊ぶとき。沢山の例外がありながらも、今回ほど武人家の夕食の味が懐かしいと思った事は確かに無かったかもしれない。
 そして、いつからこの家の夕食を食していないかなど、言われずとも分かっていた。
 日常が崩壊した、あの日からだ。
 朝武人が言っていたように、蓮に彼女が出来た時期だからこそ家に遊びに来ていないと、きっとそう思っているに違いない。
 近からずとも遠からず、そうであれば良いと願えども決して叶わない事項を吹っ切るように、蓮はグラスに入っている牛乳を一気に呷った
「あー……」
 然程得意ではない牛乳を無理矢理食道に流し込むと、蓮の歪顔に反応した武人がぽそりと呟く。
「今から頑張っても伸びないもんは伸びないよ〜」
「黙れカス」
「いぃってぇ!」
 テーブルの下にある武人の右の爪先を踏めば、仕返しとばかりに左足をクロスして脛を蹴られてしまった。
「ッ……!」
「おれの勝ちー」
 想像以上の打撃に前屈みになると、それを物ともしない武人はテレビの前に散らかるゲーム機を指差して話題を変えて行く。
「あ。蓮ちゃん、食い終わったらウイイレしよ」
「てっめ……いてぇぞ」
「俺だって痛かった〜」
 ぶらぶらとテーブルの下で揺れる脚に再び軽く蹴られ、そしてそれを突っ撥ねるかのように軽く蹴り返す。
「きめぇ。ああもう、いーよ。俺チェルシーね」
「は? おれのだしそれ」
「馬鹿じゃね、言いだしっぺに選ぶ権利ねーっつの、ざーんねん」
「はぁ? いいし、はやいもん勝ちだし」
「だから俺のだっつの」
 テーブルの上では残り少ない辣韮を奪い合いながら、テーブルの下では武人の脹脛をガツッと蹴っていると、負けじと相手もイヤダと蹴り返してきた。サッカーゲームの話題をしていただけに、数度蹴り合う毎に、田舎の学校ならではの無駄に広い校庭を思い出すことも仕方のないことだ。昼間見た真嶋健悟を払拭するかのように、教室に置いてあるサッカーボールへと思考を摩り替えながら武人へと尋ねる。
「……あー、つか学校って校庭使えんのかな」
「撮影でって意味? 学校でもどこでもいいけど、普通にサッカーしたくね?」
「してぇー。超身体動かしてー」
「明日あたり羽生たち呼んでやろっか。どーせ蓮ちゃん暇っしょ?」
「一言多いんだよてめぇは」
「ったい!」
 幾度と無く余計な事を言う武人を蹴り付けると、御互いが悉く負傷したところで漸くおかわりのカレーが二つ食卓へと顔を覗かせた。
 喧嘩両成敗というフレーズが二人の頭を過ぎり、それ以上の攻防には発展せずに、痺れる脚と共にスプーンを手に取る。
 そして、蓮がぱくりとカレーを口に含んだとき、隣で同様にがっつく武人を見てなんだかふっと心に墜ちてきた物があった。
「…………」
 ――これが、普通なのだ、と。
 気を遣わずに思った事を言い合って、当然のように反抗の証が返って来る。一挙手一投足に躍らされることも無く、不意に心臓が跳ねる事も無い。他愛ない話は確かに愉しいけれど、このまま時が止まればと、そんな風に思った経験だって一度も無い、くだらない馬鹿話で過ぎる時間。
 それが普通だった自分が、胸が無いどころか、イラナイモノがついている相手に心奪われるなんて、まさか、考えもしなかった。
「ありえねぇよなぁ……」
「ん? なんか言った?」
「……なーんも」
 ずっと一緒に居たのに、ずっと一緒に居たからこそ、こんな事を俺が考えてるなんて知ったら、流石のこいつもヒくだろうな。
 がっついている証拠に、口端を茶色に染めた武人を一見し、手近にあるティッシュを二枚押し付ける。きっとこれが健悟だったら、考えるよりも先に指先が伸びてしまいそうなところだと、考えを、進展させながら。
 たとえ口端が汚れた相手が自分でも、あいつならきっと、ふにゃっと緩んだ笑みを見せながら指で拭ってくれることだろう。自分から離れて来たのに、其処まで近い距離に居られたことを今更思い出して、こんな場所で泣きそうになるなんて場違いにも程がある。
「あー……」
 しかし蓮は、過ぎった思考が所詮唯の妄想でしか無い事に気付き、情けないとスプーンをカチャカチャと鳴らしカレーを掻き雑ぜた。
「ん?」
「なんでもねぇっ」
 そして、疑心の篭もった武人から逃れるように懐かしい味のするカレーを一気に食して、ご馳走様と告げれば返って来るのは何度と見た作り手の優しい笑み。
 急ぎ足で食べ終わったカレーをキッチンで水に浸してから、未だがっつく武人を横目にテレビの主電源をオンにする。
「おーしやっぞ、おれチェルシー」
「しつこいって! つーか待ってよ!」
 勝手にコントローラーを持って進める蓮に焦った武人も一気に御飯を食べ終わり、蓮がチームの選択画面を迎える前にもう片方のコントローラーを奪い取った。
 其処から何度となく繰り返している攻防戦を経て、健悟よりも俄然相手になる武人とのウイイレに、同じ環境で育ったからこその世間話。今日たまたま逢った女子から聴いた飲み会の誘い、ゲームの裏技、今週従兄弟が遊びに来ること、裏の川の水温が丁度良くなって来たこと、交わす話題はどれも身近にあるものばかりで、どれもこれもが健悟とは違いすぎて、今更ながら世界の違いを見せ付けられた気がした。
 自分の中での基準だった普通の在り処を、少しだけ、思い出せた気がした。



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