「座ってろよ先、縁側な」
「縁側? 珍しい」
「いーから」
「はーい」
 階段を降りてから台所と居間へ続く部屋とでの分かれ道、健悟に場所を指示した蓮は、独り台所への道を選んだ。そして、従順なその背を送り出してから、盛大な溜息を吐いている。
「……なぁにが離れるだよ。ばっかじゃねぇの……」
 自嘲の笑みを浮かべながら見つめる先はテーブルの上、普段睦の料理が並ぶ場所は一転し、祭りで買い込んだ料理が処狭しと並べられていた。
 先程行った祭りの場にて、揺らめく屋台の電飾に惹かれつつもそれなりに楽しんでいた筈なのに、結局はずっと健悟のことが頭から離れなかった。重症だと自覚しながらも浸隠し武人たちと笑っていたものの、たった一口タコ焼きを食べて、健悟にも食べさせてあげたいと要らぬ選択肢が浮かんだ結果がこれだ。すっかり財布の紐が緩み、両手に袋を抱えた姿を武人は訝しみながら見ていたが、聡い彼のことだから勝手に解釈されたことだろう。
 利佳の小言を覚悟し、家に健悟が居ないという可能性も否定できないままに抜け出した祭りの後、自分の部屋の電気が点いていたことには驚きと共に安堵してしまった。
「…………」
 以前、星空の下で健悟が振舞ってくれた夕食。
 あのときとは違い手作りではないものの、気持ちの問題だろうと都合良く考えてから、すっかり冷めてしまった御土産を電子レンジへと投入した。



 そして一揃いをお盆に抱えて居間に向かうと、規定通り縁側で、花火を眺めている一枚の画があった。
 男前は唯座っているだけで様になる。羨望の眼差しは止まないものの、ふるふると首を振ってから健悟の元へと足を進めて行く。
「……ばぁか。花火やってんだから電気は消すんが常識だろ」
 そして、お盆の端で灰色の髪を軽く殴ると、此方を振り返る男前の双眸がみるみるうちに大きくなっていった。
「これ、」
 驚く健悟に機嫌を良くした蓮は、縁側に座る健悟の隣に盆を置いてから、高言通り電気を消した。その後盆を挟むかたちで健悟の隣へと移動し、胡坐を掻く。
 そして健悟が見つめたままの盆から真っ先に取り上げたものは、勝手に拝借した忠孝の所有物だった。
「ほい、ビール」
 健悟の頬へピタリと押し付ける。突然の攻撃に奇声を発した彼を笑えば、綻ぶ頬のままに食べ物へと手を伸ばすことができた。
「あー、腹減った〜」
「食べてないの?」
「はぁ? 食ってねぇから持ってきたんだろ、あほか」
「え、だって、祭り行ってきたんでしょ? これ……」
 ちらりと健悟が目を配る先は当然盆の上で、祭恒例の焼きそばやフランクフルトなど、様々な食品が二人分ずつ並んでいる。
 たしかに祭りには参加してきたものの、独り仕事をする健悟を想えば食欲も出ず、食べたものといえば玲子から差し出されたたこ焼き一粒だけだった。

 ――おまえと食いたかったから、帰ってきた。

 そう本音を告げれば、目の前の端正な顔は緩むのだろうか、歪むのだろうか。前者だとは思いつつもそんなことを口走る勇気もなく、蓮は照れくさそうに首に手を当て、目を逸らす瞬間には都合良く花火を見上げていた。
「あー……あれだ、あんときの御礼。俺がしたかっただけだし、気にすんなよ」
 あのとき。
 星空の下で食べたお握りには勝らないだろうが、それでも、健悟と一緒に食べる御飯が、誰と食べるよりも食欲が増すものだと知ったのは、つい最近の事だった。
「食えよ」
 言えば、嬉しそうに眉を下げた健悟が「ありがとう」と笑い、たかがそれだけで心臓が簡単に一跳ねしてしまった。
 赤くなっている気がする頬は、きっと上に咲いている大きな赤い玉の所為だと思いたい。心から綺麗だと思える空間が愛しくて、生温い夏の風さえも気持ち良いと思ってしまうくらいには、感覚が麻痺しているようだった。
 何日も何日も健悟とは一緒に居た筈なのに、あの時を境に、突然全てが変わってしまったように映っていた。
 良く分からないけれど、今まで当たり前だった動作一つ取っても本当に魅力的な男だと再認識してしまう。感覚的なものなのだろうか。同じ男相手に一々格好良いと惚れ直す己を気持ち悪いと叱咤するけれど、結局は、別の瞬間にも全く同じ事を思ってしまうのだから意味がない。
 蓮の言葉に従い、嬉しそうに箸を伸ばす隣の男を覗き込む。たかが焼きそばを口に入れるだけの所作でさえ艶めかしく映るのだから、この気持ち悪い感情の減速方法は一体何処に眠っているんだろう。
「うっまぁ」
 舌を出し口端に付いたソースを舐め取る仕草に驚き、肩を奮わせてしまったことは、きっとバレてはいないはず。
「、だろ? 焼きそばは屋台のが一番うめーんだよ」
 一瞬の動揺を悟られることが無いようにと、蓮は誤魔化しながら置いてあるたこ焼きの爪楊枝を手に取った。
 しかし。
「俺、屋台の焼きそばなんて初めて食べたかも」
「はっ?」
 言われた言葉に顔を上げれば、爪楊枝には何の重力もかからず、たこ焼きがぽろりと下に落ちてしまった。
「え、そんな驚く?」
「いや驚くだろ。おま、だって祭っつったらメイン焼きそばじゃね? え、じゃああとはなに、たこ焼きじゃがバターにカキ氷、クレープ、チョコバナナ……」
 何も刺さっていない爪楊枝片手に指折り数えていると、ふと、隣から「ぷっ」と笑いを噴出す音がした。
何事かと見れば、くつくつと笑いながらビールを呷る健悟が居て、音を立てながら大きく上下する喉仏には吸い寄せられるかのように目が離せなかった。
「女みたい」
 そして、甘いモンばっか、と笑いながら加えられる。
 ふっと細めた目元を引き連れ、口角を上げながら言うものだから、蓮はこっそりと唇を噛み締めながら視線を逸らすことしかできなかった。
「……一般統計だろーがよ」
 溶けてしまうカキ氷以外はしっかりと冷蔵庫に入っていることを思い出し、思考回路をおちょくられた気分と共に、蓮は拗ねたように口を尖らせている。
 健悟の些細な行動ひとつひとつに一々過剰に反応する心臓を、うるさいといっそ止めてやりたいくらいだ。たかが二三秒、たかが一言、それなのに。間にある盆を取り、腕を重ねるだけできっと悟られてしまうだろうくらいには、全身の血流が波打ち騒ぎ立てている。
 けれど、祭りの場で、何を買っていこうと迷っている瞬間の己の心音は、決して嫌いではないことも事実だった。
 苺のたっぷり入ったクレープを買った時、喜ぶ顔を想像するだけで、彼の好みを知っていることに対しての優越感を知った。イチゴとチョコのチョコバナナを買ったとき、一つは彼女のかい、とおじさんに言われて、うるせぇよと言いながらも緩む頬が止まらなかった。祭りを抜ける寸前、武人に彼女でも出来たのかと訊かれて、誤魔化しながらも頭に浮かぶ人物は一人だけだった。
 どれもこれも、此処数日までは味わう事の無かった、初めて付き纏う感情ばかりだ。
 面倒臭い、煩わしい、一々うるさいそれは大嫌いの筈なのに、その感情が心地良いと、浮き足立っている可笑しな自分を自覚していることも事実だった。
 離れようと決めた筈なのに、行動は伴わず、もっと近付きたいと言っている。
 駄目だと制御しなければいけない筈なのに、一抹の希望に期待を賭けてしまっている。
 気付いてよかったのか、気付かなければよかったのか、本当はどっちなのだろうか。

 それでも、何も無い毎日の中で、変わらない毎日の中で、時間が貴重だと思ったのは産まれて初めてのことだった。




4/50ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!