蓮の一連の所作も知らずに数時間、やはり鍵の掛かっていない扉をガラガラと開けば中は蛻の殻というようで、己が泥棒ならばどうするんだとの懸念は消えてくれそうに無かった。
「……マジかよ」
 ぽつりと呟いたのは健悟で、本当に電気すらついていない玄関に苦笑する。
「あー……もしもーし、ただいまぁー」
 暑苦しい鬘を取りながら叫ぶもいつもの明るい声たちは帰って来ず、初めての経験にぐんと寂しさだけが肥大した。
 蓮の云う通り、旅館に戻るべきだったのかもしれないと思っても時既に遅し、勝手知ったるなんとやらで居間を抜け、階段を上り、定位置である蓮の部屋を開けても、やはり電気はついていない。
「……れぇーん?」
 灯りを点し二段ベッドの下段を覗き込むも、そこにいつもの笑顔も無く、おかえりという慣れた声が返ってこないことは寂しさしか生まなかった。
「……」
 仕事で疲れていてもあの魔法の一言を掛けてくれるだけで現金にも癒されていた自覚がある。だからこそ、日常にそれが組み込まれてしまった今、数日後に居ない蓮を思えば柄にも無く泣きそうになってしまった。本当に、人間は日々欲深に生きているものだ。
 先に寝ていても良いとメールで言っていた薄情な彼を思い出せば、仕方ないと思いつつも溜息しか出なかった。
 半ば意地になり、スーツからスウェットに着替えたとき、ぐうと腹の音が鳴ったことは聞かなかったことにする。そういえば蓮と初めて会ったときも、この情けない音が切欠だったんだっけ、と回想するだけで物悲しくなったからだ。一生の別れでもなんでもない、あと数時間もすればきっと帰ってくるだろう彼を想うだけで、なんでこんなにも情緒不安定になってしまうのだろうか。
 漫画もない蓮の部屋での暇つぶし方法といえば変わらずテレビ画面に目がいくもので、可愛さ余って憎さ百倍、いっそ怨みと共にクリア中のゲームを勝手にやってやろうかと、悪戯心と共に古いデッキの電源ボタンをオンにした。
 しかし、テレビから起動音が聞こえようとしたその瞬間、それは窓からのまるで爆発したかのような轟音に掻き消されてしまい、健悟は盛大に肩を揺らしてしまった。
「なっ、なに!」
 吃驚して目を向けば、いつもは月と星空を演出する窓ががらりと変わり、大量の光の粒を星空へと映し出していた。蓮の家を囲う緑の上に立つ、人工的な赤や黄色、緑の大きな玉は圧巻としか言いようが無く、小規模な祭りだなんて嘘じゃないか、と健悟は黙って窓の外を眺めている。
バチバチバチ、と消え去る音すら間近に耳に留まるようなこの距離は、まるで胸を刺されるようだった。
「……すっげ」
 花火なんて何年ぶりだろう。
 去年、一昨年、もしかしたらもっと長い間見ていなかったかもしれない。
 打ち上げ場所が直ぐ傍なのだろうか、崩れない円形はとても大きくて、その近さには呆然と魅入ってしまったほどだ。
 凄い、と圧倒されるのは当然の感情だとしても、それを超えて綺麗だと、美しいと見惚れるまでには重要人物が足りなかった。
 仕事が忙しくて風情という言葉の意味すら失っていたというのに、あの綺麗な玉を見ているのが蓮の部屋で、ましてや独りきりだという状況がなんともやるせない。独りには慣れている筈なのに、こんな感情を抱いているのもきっと彼の所為だろう。そうだ、蓮の所為。きっとこの街中の誰もがいまこうして空を見ているのだろう。それでも気に掛かる人物など一人だけで、彼はいま、この綺麗な花火を、忌々しい友達と、若しくは顔も知らない女の子と楽しそうに見ているのだろうか。
「…………チッ、」
 想像しただけで覚えのある負の感情に呑み込まれてしまいそうになり、健悟は綺麗な空を睨み付ける様に呟いた。
「……れんのばぁーか」
 ゆっくりとした口調で噛み締めるように紡げば、余計に寂しくなった気がして、再び溜息が漏れてしまう。
 そして、自分は何をしているんだろうと自嘲した、次の瞬間。

「――誰が馬鹿だって?」
「!?」

 まるでドラマのように、後ろから声が掛かったことに驚き、健悟は振り向き様に首を捻り過ぎてしまった。
「いってぇ!」
 痛めた首を押さえてその場にしゃがみ込めば、なにやってんの、と微笑を浮かべながら歩いてくる人物が居る。
 先程までのこの部屋とはたかが人が一人増えただけなのに、漸く呼吸を取り戻したかのように五月蝿く心臓が鳴り出した。どくん、どくん、一回毎に聞こえる鼓動は心臓からも、痛めた首からも、それを押さえる指からも、まるで全身の血流がこぞって彼を欲するように蠢いている。
「さっきから見てりゃー人のゲーム勝手にやろうとしやがって、このやろう」
 てい、と可愛らしい音と共に殴られた頭には軽い痛みが走ったが、そんな事は如何でも良かった。
「れ、ん……?」
 ずっと頭にこびり付いて取れない名前を漸く本人へと差し出せば、帰らないとメールを出していた為だろうか、罰が悪そうに口を尖らせている。
「……んだよ」
「な、んで、いんの?」
 立った侭の蓮を見上げ、祭りは良いのだろうかと思うと同時、下から見ても可愛いと的外れなことを思ってしまった。
 すると、蓮に手を差し出され、ぐいっと腕を引っ張られた。当然蓮よりも高くなった身長に安堵したときには、蓮は既にテレビの電源を落としていて、どうやら部屋から出て行こうとしているようだった。
「降りて来いよ」
 扉から消える小さな背を当然の如く追い掛ければ、階段をすたすたと降りて行く姿にはすぐさま追いついた。
「え、いいの? なんで?」
「良くねぇよ、玲子に泣かれたのはてめぇのせいだかんな」
「はあっ? だれ!?」
知らない名前に反応し蓮の肩をぐいっと掴めば、返されたのは、にやりと不敵に笑う表情ただひとつ。
「……裏の家のレイコちゃん。幼稚園のヒマワリ組で、もうマジ笑顔きらっきら。おまえと違ってスッッッゲェかわいいの」
 からかう蓮に気付き、狼狽を見せた自らを叱咤し小さく目を逸らすと、くつくつという楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「……おれのが可愛いよ」
「ハッ、言ってろ」
「……」
 否定の言葉は鼻で笑われたものだったけれど、怒る事は勿論拗ねる事もしなかった。
 だって、おれよりも数倍可愛いらしいレイコちゃんを置いてきたという事は、可愛くもない俺を、蓮は選んでくれたってことなんでしょう?
 胸につっかえる疑念が思考を支配すれば、笑顔なんて簡単に取り戻すことができる。
自分の現金さに一頻り笑った後に、遅れ馳せながらもおかえりといえば、少しの間の後、案の定今更かと笑われてしまった。



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