「――あ」
「……ん?」
 この人混みの中で唯一沈鬱な顔をしている蓮は、武人からの一言にようやく表情を変えて顔を上げた。
 見れば武人は携帯を開いていて「やばっ」と呟きその画面を蓮へと見せてくる。
「もうこんな時間じゃん。帰んなきゃ」
「なんかあんのか?」
 ぐいっと腕を引っ張られた事に聞き返せば、目を丸くした武人が信じられないとでも云うように凝視してきた。
「は?」
「え?」
 お互いがお互いに聞き返せば、掴まれた腕から妙な無言が走り、蓮は気まずそうに苦笑いを返す。
「……蓮ちゃんもしかして忘れてる?」
「……なんすかー」
「……えー。今日祭でしょ、裏の公園の」
「あぁー、え、今日だっけ?」
「やっぱり忘れてた」
「……」
 わざとらしい溜息を返されたことに、正直、そんなことが入る余裕すら無かったと苦笑いで肯定を伝えた。
 高校よりも一日早い終業式を迎える小学校。その近隣の小学校が夏休みに入る前日、終業式の夜にこの辺りで一番大きな公園で開かれる祭り。それは毎年恒例のもので、町内会や父母会が結託して小さなお祭りが開催される。御輿を担ぐなどという盛大なものではなく、出店を出したり盆踊りを開催したりと本当に小規模のものだ。
 親が一丸となって開催しているからこそ、残された園児や小学生の面倒を見る役目は必然的に手が開いている人物が行う事になる。
 参加自体は正直面倒臭いと感じてしまうも、自分が子供の時にもこうして近所の高校生に連れられて歩いていたのだから、世代交代として借り出されるのは世の常、至極当たり前のことだった。黙って消えれば利佳や睦からの小言が待っているのは必須で、武人は「それは勘弁」とでもいうように足早に学校から去り始める。
「まいーや、行こう」
「……祭って気分じゃねぇんだけど……」
「そんなこと言うと怒られるよ、ただでさえ人手少ないんだから」
「……」
 そして他愛ない話と共に歩いて数分。「用意したら来てねー」と帰って行く武人の背を見て、蓮は、溜息雑じりに鍵の掛かっていない扉を開いていた。
 先程はあれだけ真面目に仕事をしていたのだから、健悟も中々帰っては来ないだろう。
 離れなくてはならないと思ったばかりだというのに、メールをする口実が出来たと都合良く摩り替わる意識には最早怨みしか募らない。
 駄目だと分かっているのに、帰って来たときに誰も居なければきっと困るだろうと自分に言い訳を付け、メールだけは送信しておくことを許容した。
 祭りがあるから帰っても誰も居ないかもしれないこと、旅館に行くなら兎も角、もし帰るならば先に寝ていても良いという事項を、返信は暫く来ないだろうと思いつつ送信した。
 しかし、マナーモードを解除すらしていない時間に、直ぐにメールが届く。その際、武人から「急げ」という催促のメールかとうんざりした感情は、差出人の絵文字を見た瞬間に消し飛んでしまった。

“俺も行く”

「……は?」
 信じられない一言に蓮が目を開くも、句読点すらないそれから健悟の本気が伝わり吃驚することしかできない。
 街の住人が大勢集まるというのに、そんな場所に軽率に参加するなんて駄目に決まっているというのに、彼は何を言っているのだろうか。
 馬鹿か、と一言送り溜息を吐くが、返信はやけに早かった。
“本気”
 来んな、と呆れ雑じりに一言送信して携帯を閉じれば、その数秒後にまた着信。
“行く”
「……うぜぇー……」
 終わりの見えない遣り取りに、祭りに来れば終日五十嵐家に立ち入り禁止だと、卑怯にも睦の料理を盾に権力を奮えば、返事は待てども来ることは無かった。
「はぁー、」
 仕事が再開したのか、拗ねているのか。所詮相手のことが見えない携帯如きでは憶測しか出来ず、溜息すら漏れてしまう。
 情けなくも待てど来ないメールに苛々していると、武人から本当に催促のメールが来て、ようやく誰も居ない家からビーチサンダルを引っ掛けることができた。
「俺だって、おめーと行きてぇっつーの……」
 玄関先に置いてある、一際高価そうな健悟のシューズを蹴り付ける。綺麗に揃っていた光は乱れ、やつ当たりまじりに玄関先にゆがみを与えてから、強引に扉を開く。
 見上げた空は陽が落ちる寸前、青から朱へと色を変えていくその様が美しくて、此れを見た健悟はきっと綺麗だと騒ぐのだろうと思ってしまった。
「……げーのーじんのばぁーか」
 そして、呟きを拾う者が誰も居ないと分かっているからこそ、尖った唇を従え、蓮は武人の家まで駆け出した。



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