獣にしてあげる
PM11:00。コンディションはグリーン、ベッドに腰を落ち着け妹の形見のピンクの携帯をカチカチと操作する音だけが響き、パチンっと閉じると静寂が部屋を包んで、シンはごくりと唾を呑み込んだ。
厚い壁で作られたミネルバ館内は、部屋も勿論厚い壁で仕切られている。外からの喧騒をピタリと遮断しているため(といっても、外からの喧騒なんてこの時間帯では部屋の壁がなくてもしないだろうが。)室内は空調の流れるかすかな機械音がするのみだ。
それがおかしい。
なぜこんなにも静かなのか。
シンは向かいの空のベッドに目を向け、それから浴室のドアを見た。
レイがそこへ入ったのは一時間前。シャワーの音が途絶えて…、15分。意識していなかったため気付いたのは15分前だが、もしかしたらもっと前からシャワー音は途絶えていたかもしれない。
女の子の風呂は長い、らしい。
つい最近まで男として同室だった彼に、シャンプー切れてるよ〜と届けた先の脱衣場に、女性の象徴を慌てて隠した彼そっくりの女の子がいて、しばしフリーズしたのは記憶に新しい。
いや、まぁ、彼そっくりというか彼本人だった。
のっぴきならない事情があってな。他言無用で頼む。とそれだけ言って開き直ったレイはさっさと残った服を脱ぎ捨て、固まるオレからシャンプーを取り上げて風呂に消えた。
説明それだけかよとか、のっぴきならない事情ってなんだよとか、ていうかのっぴきならないとか日常会話で聞いたの初めてだとか、目の前で脱ぐなよとか言いたいことは沢山あったけど、言えずに終わった。惜し気もなくさらされた女の子の身体はオレを黙らせるのに十分だったのだ。
それからは戦況もごちゃごちゃで、ゆっくりする時間もあまりなかったから、なんとなく有耶無耶で今日に至った。
溜め息を吐いて、また浴室のドアを見た。
今まではレイなりに気を遣っていたのだろうか。あまり長湯する男はいない、と思う。少なくともオレの周りには。もし長風呂を控えていたのだとすれば、この状況はそれほど心配することではないのかもしれない。
(でも、もし逆上せちゃってたりしたら…)
そわそわと浴室のドアをちらちら見ているだけではどうにもならない。けれどだからといってどうするべきか…、っていうかシャワーも出さずになにしてんだあいつは。倒れたりしてないだろうな…。悪い想像はぐるぐると頭の中を巡って消えることはなくシンを追い立ててゆく。
「そうだ、声かけるくらいなら普通だよな。」
外から呼び掛けるだけでいいんだ。風呂長くないか?逆上せるなよ。って軽く言えばいいんだ。そうすればなんらかの返事があるはず。
理由を得てしまえば足取りは軽い。
脱衣場に人の気配は感じられないし、ロックもかかっていなかった。その先の相変わらず静かな浴室のドアをコンコンっと何気ないノックをして用意したセリフ。
「おい、風呂長いけど、逆上せんなよ。」
「…………。」
あれ、シュミレーションではここで「ああ。もう出る。」とか「まだかかる。」とかなにかしら返事があるはずだったんだけど。
「ちょ、レイさん?聞こえてるよな。生きてる?」
「…………。」
ゴンゴン、と強めに叩くも反応はない。
もしかして本当に逆上せたのかも、と思う前に身体はドアのロックを外していた。
「おい!レイ大丈夫か!」
「………?」
「逆上せ…たのかと…」
浴室でレイがぶっ倒れている ことはなかった。普段使わない浴槽に張った湯に浸かったレイが不思議そうにこちらを見上げていた。
「なんだ急に。」
「……。あんまり遅いから、逆上せたのかも、と…」
「なんだ。それだけか。」
「おまっ、それだけかってな!こっちは本気で心配して…!ってお前、なんで返事しなかったんだよ、聞こえてただろ。」
「少しうとうとしてたみたいだ。」
ザパッと湯船から熱さのせいか赤らんだ腕が出て浴槽の淵に置かれた。この状況はマズイと今さらながら気付く。
「風呂で寝るなよ。ほんとに逆上せるぞ。」
早口にそう告げるも聞いているのかいないのか、レイが淵に置いた手を支えに湯船から出ようとするから慌てて顔を背けた。
(オレは男だってのに…!)
レイの秘密が明らかになってしまった時もだけれど、こいつは本当に女という意識が薄すぎる。それともオレが男と見られていないだけ?うん。それだ。絶対それ。断言できるあたり悲しくなる。こっちは意識しすぎるほど意識してるってのに。
「……ぁ、」
小さく漏れた声に反射的に振り返ってしまって、いけないと思った時にはふらりとよろけるレイを慌てて抱き止めていた。
「すまない、本当に逆上せてたみたいだ。」
頭がくらくらする。と自分の胸元に回された俺の腕を咄嗟に掴んだのだろう。それをそのままに苦笑した。
腕が、レイの胸にあたってる。しがみついてるレイの身体は小さくて細いのに、触れてる部分はやわらかかった。
下半身に、熱が集まる。
(これは、まずい。)
「?」
引けた腰にレイが不思議そうな顔をしてこちらを見た。
早く出てレイにバレないうちになんとかしてしまわないと、とぎこちなくそれとなく引き剥がそうとすれば、くるりとレイは向きを変え、オレと向き合う形になったのだ。なんたる行為。
レイの腕が肩の上に乗って首の後ろに回されると、もう誤魔化しきれないくらいには大きくなっているわけで。
「…ご、ごめん離れて…」
「シン、襲いにきたのかと思ったぞ?」
「へ…?」
「かと思えばただ心配でって。がっかりだな。」
「が、…がっかり…?なんで、」
「そんなに俺に魅力がないのかと。」
「へっ…?――――って、ち、ちょおおお!!な、ななななにして…!」
確認、はできないけれど、確かにレイは気付いてる、というか確かな意志をもってオレの身体に足を絡めて、その、太股を、オレのに、当てて…らっしゃるんですが…!
慌てて引き剥がそうと肩に手を掛ければその華奢さに乱暴には扱えなくて、さらにほんの少し上目遣いの視線とか弧を描いた口元とか濡れた髪とかとにかくいろいろやらしい!
「でもしっかり反応しているようだな」
クツクツと笑うレイは意地悪く膝をこすりつけた。
「ちょっ、まじでいい加減に…」
「口止め料だ。俺が女だと口外するなよ」
「……へっ?うわレイなにす」
口止め料もなにも今の今まで誰にも言ってないじゃないかとか、心配してやったのにとか、そんなことさせるつもりはないとか、別に魅力がないなんてこれっぽっちも思ってないとか、自分を大事にしなさいとか、思考はぐるぐる駆け巡ったがしかし、戦場という娯楽なき不健全な環境に身を置き世界のため奔走しているが、オレは聖人君子なぞではなく健全たる若き男子であるのだ。
ごくりと唾を呑んだのをレイは見逃さず、ニヤリと笑った。
「――好きにしていいんだぞ?」
終わり
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