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ヤツがでた



電気をつけるほどではない。リビングから差す灯りで十分に視界のきく薄暗いキッチン。グラスをとってペットボトルから水を注ぐ。一気に飲み干してグラスをシンクに置いたところで、ゾクリと背筋に悪寒が走った。

視界の端に、見えた気がしたのだ。

季節は夏。日々猛暑日を記録するような暑さが続く中、もっぱらインドア派のレイは冷房の効いた室内からあまり出ることはなく、外へ出ても元々の体質か汗をあまりかかない。けれど、今は…嫌な汗が吹き出している不快感を感じた。

見たくない。けれど見ないでその影に怯え続けるのも耐えられない。いないかもしれない。自分の見間違い、だってはっきりと見えたわけではないのだから。言い聞かせるように、ふぅっと息を吐いて勢いづけてその悪寒の元凶を確認すべく見た視線の先…


(……いた…)

それも、かなり大きかった。
ふよふよと揺れる触角、黒光りするその体。
(G……!)
名を呼ぶことすら不快。なんだこの生き物は、いや生き物と言っていいはずがないこいつは悪魔だ。黒い悪魔。この世にいていいはずがない。

ヤツは動かない。触角だけを揺らしてレイを見据えていた。そしてレイも動かない。いや、動けない。ヤツがいるのは丁度ダイニングとキッチンを仕切る狭い通路だ。見事に逃げ場を封じられたといっていいだろう。

(Gの分際で……)
まるで親の敵を見るが如くレイはその絶対零度の視線を投げるがヤツはそれをものともしない。

こいつとは一生相容れないと、相容れても困るのだがレイは舌打ちした。

プラントでは見たことがなかったのだ。氷河期すら生き残ったという害虫。なぜ生き残った?なんという生命力。憎い。
オーブに来て初めて見た時、丸めた新聞紙でヤツを叩くシンの姿に戦時中デスティニーガンダムを操る姿よりもギルの言う戦士たる男だと思えた。シンはやればできる子なのだ。


(とりあえずシンを呼びに…)
――行きたいのだが、ダイニングへの唯一の道をヤツが塞いでいるのだ。ここから呼ぶにしても、報告書作成中のシンには届きそうもない。肝心なときにいない、役立たずめ。なんて、心の声が聞こえたのか、ガチャっとドアの開く音がした。

(シン、やればできる子…!)

誉められたり貶されたり散々な思われようとは露知らずこちらに向かってくる足音にレイが気を緩めた瞬間、忍び寄る敵(シン)の存在に感付いたか、ヤツは動きを見せた。

「っ!?」
ヒュッと呑んだ息が喉に絡まって音が鳴った。あろうことかヤツは壁伝いに逃げようとしたのだ、これはマズイ!


「あれ、レイなにしてんの」
「シン!ヤツが出た!」
「は?ヤツ?」
珍しく声を上げたレイに圧倒されつつ、すぐに察して「ゴキブリかよ〜」と近場にあった新聞紙を丸めた。

その殺気(シンが放っている)にヤツは身を潜め、キッチンは元の静けさを取り戻す。

「いないけど。」
「いる。」
「じゃあまた出てきたらな。」

あっさりと新聞紙を手放すシンに、キッチンに取り残されたレイ。ヤツはいつもレイの前にばかり姿を現すのだ。憎さが増す。


「いつまでそこにいんの。」
「………。」
ヤツはまだ遠くへは行っていない。そんなところを歩けというのか。素足だぞ。

無言の圧力はシンに届いたらしい。はぁー、と息を吐いて「殺せばいいんだろ、殺せば。」と新聞紙を持って立ち上がった。
ごそごそと恐れもせず家具の裏やら隙間を探すシンはやはり戦士。

「いないけどなぁー。」
あ、ゴキジェット撒こう。とシンが思い立ち、動いた瞬間ヤツが姿を現した。

「あっ、シン後ろだ!」
「うぉっ」
結構でかい。と言いつつ容赦なく振り下ろした新聞紙をヤツは鮮やかに避け、壁を駆け上がる。
これは…、飛ぶ。と思って、咄嗟にシンを盾にしていた。


「ひっ、レイの鬼!」
「なんとでも言え。」
しかし滑空したヤツは進路を僅かにずらしたため激突の惨事を免れ、けれどバランスを崩して2人床に尻を着く。シンに押されて後ろに手をつくと、勢いよく振り向いたシンが目を吊り上げてレイに詰め寄った。

「人がせっかく退治してやろうってのに!」
「ヤツを前に手段は選べない。」

至極まっとうな意見である。がしかしここでシンに拗ねられて「もう知らない」と言われたら俺が安眠できないであろうことは簡単に想像できるのだ。

「でも、すまなかった。…お前だけが頼りなんだ。」
シンの手に自分の手を重ね、ぎゅっと握る。なんやかんやと人の温もりに弱いシンにはテキメンだ。

「ぅえ!?な、なんだよいきなり気持ち悪いな…」
…ちゃんと退治してやるって。と万更でもないように頬を掻いて立ち上がろうとしたその背後に、「なにしてんの?」と見下ろすルナマリアがいた。

「なにしてんのって、それこっちのセリフなんだけど。」
「インターホン鳴らしたのに返事ないんだもの。なのに鍵開いてたから入っちゃった。」
「入っちゃったって、お前なぁ。」

今度こそ立ち上がってルナマリアと向き直ったシン。
おい、ヤツの存在を忘れてはいないだろうな。背後からぐい、と引っ張った裾は首を締め付けたらしい。「ぐえっ」と情けない声を上げたシンは「わかってるよ」と恨みがましく視線をこちらへ向けた。

「……ねぇ、あの噂ってほんとなわけ?」
「あの噂?」
知らないとはいえヤツのいるキッチンで立ち話を続けるルナマリアにも腹が立つが、知っていながらそれに応えるシンにはもっと腹が立つ。
イライラとしながら話は後にしろと言おうとしたらルナマリアが楽しげに言った。


「2人がデキてるって噂!」
「「はぁ?」」
「そりゃあたしはあり得ないって思ってたんだけど…ちょっとさっきアヤシイ雰囲気だったんですけどー?まさか…」
「なっ、違う!さっきは事故みたいな………あっ」
「でた…」

「でた?なにが…」

とルナマリアがシンとレイの視線が集まる点、自分の真横の壁を見た。


「―――っ!!? イヤァァァァァァ!!」

ダンッと壁に拳が打ち付けられ、俺たちの時間は止まった。





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「そいつ、退治しようとしててさ…バタバタしてたら、ああなって…」
「そういうことは…、早くいってよぉ〜」
あり得ないあり得ない…と壁から手を離すことも恐ろしく身体をブルリと震わせたルナマリアは目に涙を浮かべていた。「つい反射でやっちゃったじゃない…」とさめざめと泣く姿に、慰めてやる言葉はとてもじゃないが浮かばなかった。つい反射で正拳付きが繰り出されるなんて軍人冥利につきるな、なんて頭を掠めた。自分も相当にまいってる。


ティッシュでその残骸を拭いてやりながら、シンが「ごめん。」と呟いた。レイもそれに「すまない。」と続けて、一通り拭かれたルナマリアの手を取ってシンクで洗ってやった。
「別に、あんたたちのせいじゃないわよ。」
と震える声で、けれどそれはしっかりとした口調だった。


それから、3人で顔を見合わせて、

そっと、笑った。





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最後はほんわかイイ話ダナー(´∀`)みたいな。……だめ、ですかね。






あきゅろす。
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