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また明日ここで



日が頂点に差し掛かる真夏の炎天下、師範に急用とかでぽっかりと空いてしまった午後。わっと喜んだ仲間たちに、甘味屋へ氷菓子を食べにいこうと誘われたけれど、それも断って竹刀を肩に担いで熱い日射しの中土手を歩く。

特別これといった用事もないし、前述の通り午後はぽっかりと空いてしまったのだ。それでも誘いを断ったのに特に意味はない。稽古がなくなって不貞腐れているわけでもない。稽古が嫌いではないが、突然休みになればラッキーだと思う。思うけれど、なんとなく1人でいたかったのだ。


「あっつ…」
見上げた先の太陽はギラギラと容赦無く照りつけている。
土手下に流れる河川に目を付けて、下へ降りる。

「よし、休んでこ。」
剣道着の袴を膝まで捲り上げ、草履を脱いで川べりに腰掛け足を冷やす。
上に架かる橋がちょうど影になって吹き抜ける風はひやりと冷たい。快適な避暑ポイントだな。と足をつけたまま後ろへ横になった。





とんとん、と肩を突かれて目を覚ます。
頂点にあった太陽が傾いているのと、日陰も遠くにいってしまったのとで長いこと眠ってしまっていたのがわかった。
日が傾いているとはいえ気温は高く、じっとりと汗ばんでいた身体に、こんなに暑いのによく眠っていられたな。なんて額に張りついた前髪を掻き上げながら自分に呆れた。

「大丈夫ですか?」
「あ?なにが…」

斜め上からの問い掛けに見上げると、見たことのない女がこちらを見下ろしていた。
肩を突いたのは彼女のようだ。

「夏バテかと…」

ぶっ倒れているとでも思ったのだろうか。
「いや、少し休むつもりが、だいぶ休んでしまったみたいで。」
川に浸けっぱなしだった足を上げると指先は皮がふやけてしわしわになっていた。

「起こしてくれてありがとう。」
「いえ。どうぞ拭いてください。」
そう言って渡されたのは白いハンカチだった。


「……どうも。」
小綺麗なハンカチで足なぞ拭いていいものかとも思ったが、差し出された以上受け取らねば悪いだろう。受け取ると同時に、女はドレスみたいにふわりと広がるスカートを押さえて隣に座った。真っ白なスカートが汚れてしまうのではないかと少し心配になる。
本人は気にしていないようで、さらさらと流れる川に手を伸ばして指先を浸けていた。
そんな様子と、足の甲を拭う自分の手とを見比べる。

「あ、」
「どうしました?」
「オレ、足を拭いてしまいました。ハンカチ、濡れてます。」

ハンカチが水分を吸って濡れるのは当たり前で、彼女は首を傾げた。

「そのためにお貸ししました。」
「いや、でも貴女の手が…。濡れているし、しかも足を拭いた後ので手を拭かせてしまってすみません。でもまだ片足しか拭いてないですから。」

そう言ってハンカチを返そうとすれば、女はきょとんとして、それから合点したようにオレの手に持たせたままのハンカチで軽く指先を拭った。

「すみません。後はどうぞお使いください。」

そうして引っ込められた彼女の手とハンカチとを見比べたが、もう用は済んだとばかりにこちらを見ない彼女に、結局また「どうも…」と足を拭く。

それから彼女は水に手を遊ばせることをやめ、傾きゆく日を眺めている。
見たことのない顔だ。洋服は珍しくはないけれど、こんな田舎町で着ている者は少ない。

「私の顔に、なにか?」
見つめていた横顔がいつの間にか正面を向き、そう投げ掛けられてはっとした。

あまりに不躾に見すぎた。


「あ、いや…見ない顔だと思って。」
「越してきたばかりなんです」
「へぇ、」
こんな、なにもない田舎町に…。
とは言わなかったが、感じ取ったのか「ここは空気や水が綺麗ですから、療養に。」と付け足された。

「どこか悪いんだ…。オレの妹もです。…オレは風邪ひとつ滅多としないんだけど。」
オレの悪いとこ、全部もらっちゃったのかな…。
と、つい漏れ出た言葉に慌てて口を閉じる。初めて会った人に、なに言ってんだ。


「妹さん、外へは出られるんですか?」
「えっ?まぁ。けどあんまり薦められたもんじゃないです。すぐにへばっちゃうし。最近は家からあまり出ないです。」
「そうですか、なら外のこと、たくさん話してあげて下さい。きっと喜びますよ」

「そうか…?じゃない、ですか?」
そうだろうか。マユが出たくても出れない外の話なんかしたら、俺ばかりと気を悪くするのではないだろうか。

「私も、あまり外へは出してもらえなかったんです。漸く最近、涼しくなってからの外出が許してもらえて。あと、それから、」
思い出したようにくすり、と「敬語、いらないですよ」と笑った。

「年の近い人と話すの、初めてです。いくつですか?」

「15、だけど…。初めてって…」
「?」
「…いや。で、あんたは?」
「15です。」
同い年ですね、と小さく笑った彼女に、どきりとした。こんなに大人っぽいのに、同い年…。

「外に出られない分、たくさんお話聞けたら楽しいです。きっと、妹さんも。」
「そうかな…」
「はい。遠慮されるよりずっと嬉しいですよ。」

「………。なんでわかるんだよ…」
ぴたりと言い当てられた。マユの前では外の話をしないこともそれをしない理由も。

「顔に書いてあります。」
ふふっと小さく笑った彼女に顔が熱くなるのを自覚した。それは彼女に笑われたからなのか、それとも…

「かっ、書いてない!!そ、それより、あんたが言い出したんだ、敬語やめろよな!同い年なんだろ!」
言ってから、荒っぽく怒鳴ってしまったことにまずい、と思った。別に怒っているわけではないのだが、キツい言い方になるのをよく友人らにも誤解されるのだ。
ましてやこんなお嬢さん相手に…。

恐る恐る彼女の顔を伺い見ると、目を丸くして、ぽかんと口を開けてほんのり色づいた頬。ちょっと間抜けな面。けど、次の瞬間にはキュッと口を閉じて両端が上がって弧を描いた。
「…そうだったな、私が言い出したんだった。…なぁ、名前も教えてくれないか?」

「………。シン・アスカ。」

お嬢様っぽいのになんとも男らしい言葉使いに驚いたのと、先ほどから彼女が笑うたびに跳ねる鼓動。なんだか無性に恥ずかしくて無愛想にそれだけ言った。


「私はレイだ。…シンは、いつもここへ来るのか?」

「レイ、ね。…いや、今日はたまたま。剣道場通ってんだけど、今日いきなり休みんなってさ。暑いから涼んでたら寝てた。」

そうか、と言うレイにほんの少し落胆の色が見えて、慌てて付け足す。

「こ、これくらいの時間なら稽古も終わってるし、…明日も来れるけど…」

俺がいつもここに来るのならば明日も会えたのに。そんな風に落ち込んだのだと勝手に解釈してしまったけれど、こんなの明らかに自意識過剰もいいとこ…ではないか?と頭を抱えたくなった。恥ずかしすぎる。

「本当か?」

反して嬉しそうなレイの言葉が羞恥をかき消した。逆に、照れ臭さが襲う。

「レイが来るなら…オレも来るよ…」
こんなの、仲間内に知れたら何を言われるかたまったものではないけれど、嬉しそうなレイの期待を無下にはできないだろうと誰ともなしに心中で言い訳をしてみる。

来る、必ず。と笑顔を向けたレイが小指を立てた
「指切り。」

「そんなんしなくてもオレ、約束破ったりしないよ」

………。けどまぁ一応。と立てられたレイの白くて華奢な小指に自分のを絡める。それだけのことなのにドキドキと心音が早くなった。

「ええと…、指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、指切った…?」
「なんで疑問系?」
「初めてなんだ」
「なんだそれ、やってみたかっただけかよ」
「実はそうなんだ。」

クスリと笑ったレイが「もう帰らないと」と立ち上がった。たしかに、もう日は沈んで空は紺色をしていた。

「家どこ?」
「この川を越えたすぐそこだ。」

レイが指した方角には長く人の気配のなかった金持ちの別荘がある。とんでもない大豪邸の。

「…もしかしてあの屋敷?」

恐る恐る聞いてみると、なんだ知っているのかとあっさり肯定されて、オレはなんとも、とんでもないお金持ちのお嬢様と知り合ってしまったのだと乾いた笑いしか漏れない。

「明日が楽しみだと帰ることが惜しくないんだな」
「え?」
「迎えが来たから帰る。明日もこの場所で。」

土手の上に人影が見えて、ほんとにお嬢様だったんだなと彼女の所作を思い出しながら感嘆する。言われてみれば周りの女の子より大人っぽい感じがしたし、それは育ちの良さからくるものだったのだろうか。
そんな人と自分なんかじゃ釣り合いがとれないじゃないかとほんの少し沈んだ。どうして釣り合いを気にして、しかも気落ちしたのかはよくわからない。ただ、もやもやした。

ほんとにオレと会っていていいのかと思ったが、明日が楽しみだと笑ったレイの顔が浮かんで、だめだと言われても会うのを止めることはしたくないなとほんの少し火照った頬を膝に埋めて数刻、立ち上がったときにはすっかり夜だった。









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