あの場に居合わせたほとんどの者が全員が全員、事実をどう受け止めて良いのかも分からない程困惑していたからこそ、クレアたちの出してくれたあたたかい紅茶を口にした時、ほんの少しだけほっと息を吐いたのだが、最後の最後であんまりにも理解したくない言葉を聞いてしまったユーリは、ルークの隣に席を1つ分空けて座ったまま、苦々しく顔をしかめるばかりだった。 自ら斬った、首の小さな傷。 それを慌てたエステルが治癒した時にも、エステルに負担を掛けてごめんな、とそんな歪な思考回路で謝って、そうじゃないだろう、と何度ユーリは叫びたかったか分かりやしないのだが、庇うようにレイヴンが手を引いてしまえば言うタイミングは逃してしまっていて、結局食堂に着いた今もなお、肝心なことは何も言えないままでいる。 ここでの生活でよく見ていた我が儘お坊ちゃんの姿ではなく、凛とした、王族として相応しいと言われるだろう態度で座っているからこそ、ユーリには歪さしか見えないような気がしてならなかった。 ゆっくりと紅茶を一口だけ飲んで、机上に戻す。 向かい側に座るアンジュを見据える瞳が、どこまでも澄んでいるのはこの場合では質が悪いだけなような気がするのは、果たして気のせいなのか、どうか。 「チャット達なら、シンクが言った通り、危害を加えられることもなければ、丁重に扱われると思う。あの人達は意味もなく誰かを傷付けることはしないから。したいと思うような人達じゃ、ないから」 「……それは本当なのか?ここへ乗り込んで来た連中であり、今まさに戦争をしようとしている国の人間だと言うのに?」 「ライマとの戦争は……あの人達が、俺なんかの為に、しようとしていることだから…俺さえ居なければ、陛下はそんなことを考える人じゃないんだ。民のことを一番に考える人。平和を何より、望んでいる人。だから、俺のせいで、チャット達を、アドリビトムのみんなを巻き込んでしまったんだ。本当に、ごめん…」 「チャット達の無事が保証されていると言うのなら、こうなってしまった以上、今はいいわ。それでさっそく話を聞かせてもらうけど、ルーク。アルトリアの目的と、それにルークの為に戦争をしようとしているって、一体どういうことなの?」 マオ達の心配をしているユージーンへの言葉の中にも、なかなかに無視出来ない言葉が沢山あったのだが(俺『なんか』って一体どういうつもりだよそれ)さっそくと話を切り出したアンジュの言葉を遮るわけにもいかず、とにかくユーリも今は黙って話を聞くことにした。 ライマの連中の視線から庇うようにソフィがずっとルークの隣に座ってへばり付いていることも気にはなるけれど、いちいち話の腰を折ってはキリがないので、そこは好き勝手させておくしか、ない。 「アルトリアの目的は、ライマと戦争を起こし、その領地を得る為ではないんだ。アルトリアがライマと戦争を起こすのは、戦争に乗じてライマの上層部を、アッシュとナタリアをも殺すこと。…俺を生かすことなんだと、思う」 「ルークを生かすこと?」 「アルトリアが戦争をする動きを見せなかったら、俺は、殺されていたから」 「!!」 「あ、でも殺されていたって言い方はちょっと違うかな…うん、でも、死んでいたと思う。そう遠くない未来に、きっと」 大したことではないとでも言うように、あっけらかんと告げたルークのその言葉に、アンジュだけでなく誰もが愕然と目を見開いていたのだが、中でもアッシュとナタリアは衝撃が大き過ぎたようで、手元から落ちたカップの中身がテーブルクロスに染みを作っていたが、誰もどうすることも出来やしなかった。 予め知っていたウッドロウが僅かに眉間に皺を寄せているのがユーリの位置からは見ることが出来たのだが、それよりもユーリ自身、益々苦虫でも噛み潰したような顔をするばかりで、正直そこまで周りの様子を気にしている場合ではない。 「おい、貴様それは一体どういうことなんだ屑!」とでもアッシュならば言い兼ねないとはチラリと頭に過ぎったが、あのプッツン弟でも流石に分かったらしい。 まるで他人事みたいに、自分の命を言葉にしてしまえれる、その、歪さに。 「ま、待って下さい、ルーク…それって、一体どういうこと、なんです?」 戸惑いながらも言ったエステルのその言葉に、しかし答えを返したのは、別の声だった。 「『ルーク・フォン・ファブレ』に王位継承権は無く、『アッシュ・フォン・ファブレ』が王となる際に相応しい流れを運ぶ為だけの存在だからですよ。エステリーゼ様」 淡々と答えたそいつは、普段の格好とは系統がまるで違う、橙色が基調なだけであったのならまだマシな、よりによって甲冑姿であったのだから、これにはフレンとアスベル、そして『エステリーゼ様』と呼ばれたエステルがギョッと目を見張っていた。 フレンとアスベルに至ってはむしろ血の気が引いた、と言った方が近いのかも、しれない。 騎士の格好で食堂へ入って来たのは、あの胡散臭いおっさんからはかけ離れた人物となっており、嬉しそうにほわりと顔を綻ばせたルークは、多分、彼が『ライマの至宝』であった時に会った親しみ深い姿なのだろうとはユーリも分かったが、面白くはなかった。 「その姿を見るとようやく久しぶりだなぁって思えるかな、シュヴァーン」 「出来れば、『私』ではない時も同じ気持ちであってくれたら、と思いましたよ。ルーク様」 「『シュヴァーン』と『レイヴン』は違うって言い切ったのはそっちだろ?それとも、もう一つの方で呼ぼうか?」 「え、それはマジ勘弁だわルーくん」 からからっと笑って言ったレイヴン…否、『シュヴァーン』の言葉に、だからこそ余計にフレンとアスベルの顔色が不味いことになっていたのだが、生憎ほとんどの人間がその理由を分かることが出来る筈がなかった。 驚いたように口元を押さえているエステルに何人かの視線が向くが、本人はそれどころではないようで、恐る恐る、それでも現実をどうにか認めて言ったのは、やはりと言うべきか、フレンの方だった。 「シュ、シュヴァーン隊長…?」 どこか呆然としたまま言ったフレンの言葉に、首を傾げたのはガルバンゾ以外の面々のほとんどではあった。 ガルバンゾのメンバーは、首を傾げるよりもやはり血の気が引いていて、リタでさえもどこか苦々しく顔をしかめている。 今のところは傍観を決め込んでいるユーリでさえ、ルークのことがなければ『レイヴン』=『シュヴァーン』と言う事実は、驚きのあまり愕然と目を見開く程の、衝撃だったのだ。 アンジュに説明を求められたフレンが、どこか挙動不審となる気持ちも、痛いぐらい分かる程に。 「シュヴァーン・オルトレイン隊長は、騎士団隊長首席であるガルバンゾの騎士、です」 「元、騎士団隊長首席だって、元。最近じゃ大将の命令しか聞いてないし?隊まとめてないもん、ここ暫くさぁ〜」 「僕らの上司で、戦争の時だとかに隊をまとめて勝利に導いただとか、いろいろあって」 「ないない、いろいろないってば。大したことやってないよ?おっさん」 「…………憧れだったんです、すっごく。とっても。ネタじゃなくて」 フレンちゃんそんな言い方しなくてもいいじゃないの!ひっど〜い。 なんて平気で宣ったシュヴァーンに、ようやく状況が飲み込めたのか何人かの絶叫が上がったが、流石に誰もうるさいとは言えなかった。 * * * 騎士団隊長首席とは言われても、全く騎士らしくない普段の『レイヴン』である時の彼を知っているだけに、ギルドのメンバーの反応はまちまちではあったが、ルークの代わりにと説明をしたシュヴァーンの言葉に、直前までのふざけた空気が恋しくなる程、誰にとってもそれは重い現実だった。 「話をどこまで遡れば良いのかは私にもはっきりとは言えないが、まず前提としてルーク様が兄でありアッシュ様が弟と言う形の双子ではなく、実際はアッシュ様が兄でありルーク様が弟だと言うことを理解してもらいたい。嘘ではなく、紛れもなく事実なのだと。その上で結論だけ先に言わせてもらう。ライマがルーク様を兄として扱っているのは、出来の悪い兄を優秀な弟が討つことにより、アッシュ様が如何に素晴らしい人間で王として相応しい人物なのか…アッシュ様が王としての盤石を置く為の、駒として利用しているからだ」 淡々と語るシュヴァーンの話に、何回聞いても胸糞悪い話だとユーリは眉間に皺寄せて露骨に不快そうにしたのだが、ルークの斜め後ろに控えて言ったシュヴァーンの言葉に、案の定アッシュが黙っているわけがなかった。 「嘘だ!てめぇ、デタラメばっか言ってんじゃねーよ!」と怒鳴るその瞳は揺れていて、おそらくアッシュもまた、その異質さに気付いてはいるのだろう。 話の表面しか捉えれない人間は、そんな酷い話はないじゃないか!と怒れるのだが、敏いに人間は気付けるからこそ、逆に血の気が引くしかなくなるのだ。 アッシュが言わなければ、誰も、話を否定しなかったこと。 ルーク自身が、受け入れてしまえている、その歪さに。 「本当なんだ、アッシュ。俺はその為だけに生きてきたし、これは、ライマにとって必要なことだから。それに、これが本当のことじゃなかったら、双子の弟は存在しない。ライマで双子の片割れは、忌み子だろ?」 「ふざけるな!お前は…っ、お前は、それでいいって言うつもりなのか?!」 「? なにが?」 「双子だからと言って、そんな扱いを受けるのはおかしいだろう!俺の為に死ぬ?馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!!そんなふざけた話があるか!」 机を拳で叩いて、立ち上がるなりそう叫んだアッシュの言葉を皮切りに、あちこちから声が上がる。 そんな酷い話はない。 ルークが死ぬ必要なんてない。 どれも聞き覚えのある言葉で、アッシュの言った言葉などとっくにもうぶつけた言葉だと、ユーリはいっそ笑えてすらしてくる、話だった。 心境的には、の話であって、実際にはそんなことは出来やしなかったのだけど。 ……この程度の言葉でルークの意志が変わるものなら、ユーリも『レイヴン』も、こんなにも胸を痛めるような思いをすることは、なかった。 「双子は忌み子だって言っただろ、アッシュ。生まれた時に、俺は殺されていて当然な命なんだ。それなのに、父上は俺を生かしてくれた。アッシュの為に、ライマの為に、礎になる道を与えてくれた。たとえ布石でしかないとしても、今まで生かしてくれて、ライマの為に死ねるんだ。それは犠牲じゃないし、こんな俺でも、何かに繋ぐことが出来る。それだけで、十分なんだよ」 ほわりと花の綻ぶように、心底嬉しそうに言うルークに、アッシュは絶句して、そのまま力無く椅子に座り込むしかなかったのだけれど、同じライマの連中だけでなく、側に居た誰もが気を遣うことも出来なかった。 ちょっと待て、とでも言いたいのだろうか。 今に頭でも抱えて蹲り兼ねないアッシュの姿を、涙を必死に堪えているナタリアの姿を、ユーリは冷めた目で見るぐらいしかないのだが、何を今更、とついつい、思ってしまう。 ルークが浮かべる笑みは、ユーリが見たくない笑顔だ。 こうも形として現れている歪さに気付くことも出来なくて、何が双子だ、何が婚約者だと鼻で笑ってやりたいとさえ、思う。 頬を摘んだりこねくり回したり、怒鳴られたりしても、拗ねられたりしても、そんな風に笑うなよとユーリは言いたかった。 そんな、壊れた笑みなんか見たくない。心の底から笑えないのなら、無理して笑うなと、抱きしめたって額を小突いたって何をしたって良いから、ルークに伝えたかった。 けれど、それが出来ないのは、ルークがあんまりにも、その笑顔を、貼り付けたままでいるからで。 −−−その笑みをやめさせた後にどうなるのか、考えてもいなかったことが、そもそもの間違いになるのだろうか。 「ライマの事情とルークさんの置かれた状況は分かりました。では、ほとんど関わりのなかったアルトリアが戦争までしてルークさんを助けようとしているのは、ピオニー陛下と個人的に関わりがあるからですか?それとも、あなたが『聖なる焔の光』であることが関係しているんですか?キムラスカのルーク・フォン・ファブレさん」 淡々と述べたジェイの言葉を、理解することはユーリにも出来ないことだった。 気付けたのは、1つだけ。 その瞬間に、ルークの顔から表情が消えたことは、決して気のせいではなかったのだ。 -------------- さて、そろそろ本格的にやらかしたような雰囲気です(汗)。 余談ですがアレクセイとかもちゃっかり居る感じですよ。 普通にいい人だったりします。おっさんも別にスパイしてるわけでもなく、二重生活楽しんでるだけです。 アレクセイいい人なのでスパイする意味もほとんどありませんし(苦笑)。 |