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王子は姫を守るもの
28

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ワンピースから普段の服に着替え、口紅を落とすと、黒羽は蒼汰の家に向かった。
夜の冷気に追い込まれるようにあたたかな色をした夕日が西へ沈んでいく。
玄関のブザーを押す時、少し躊躇ったが、ポケットの中のカッターを握りしめると不思議と勇気が出てきた。
ブザーを鳴らすと、ほどなくして蒼汰が出てきた。
突然の思いもよらない来訪に目を丸くする蒼汰に、黒羽は下を向いて「話があるから、外に出られるかな?」と早口で言った。
蒼汰は驚きつつも「うん、大丈夫だよ」と答えて、一緒に外に出てくれた。

近くの公園までほとんど無言で歩いた。
公園には誰もおらず、静かだった。
ちかちかと瞬く電灯の下で、黒羽は足を止めた。
横を歩いていた蒼汰も二、三歩先に進んだところで歩みを止め振り向いた。

「……話ってなに?」

気遣うように蒼汰が訊いてきた。
黒羽は速くなる鼓動を整えながら、口を開いた。

「あ、あの、実は僕、今度転校するんだ」
「え……!」

蒼汰は目を丸くした。
そして悲しげに目を伏せた。

「そっか……、転校するんだね。もっと仲良くなりたかったのに残念だな」

本当に寂しそうに呟いてくれたので、黒羽は胸を締め付けられるような寂しさと申し訳なさを覚えると同時に、どこか嬉しくもあった。

「あの、だから、その、謝っておこうと思って……」
「謝るって何を?」

蒼汰は不思議そうに首を傾げた。
わざとではなく本当に思い当たることがないという風だったので、黒羽は一層胸が苦しくなった。

「ずっと……蒼汰がいじめられてるのを助けられなかったこと。いつも知らない振りしててごめん」

頭を深く下げると、蒼汰が慌てて「そ、そんな謝らないで」と黒羽の肩を持って顔を上げさせた。
そこには蒼汰の困ったようなでも少し嬉しそうな笑みがあった。

「薫は謝る必要ないよ。むしろこんな僕と仲良くしてありがとう。それに転校のこと先に教えてくれて、なんだか仲良しみたいですごく嬉しいんだ」

へへ、とこそばゆそうに笑う蒼汰につられて黒羽も強ばった頬を緩ませた。
しばらく二人で笑い合うと、黒羽は肩に掛けられた蒼汰の手をぎゅっと握った。

「今日ね、杉浦に話をしてきたよ」
「え?」

突然杉浦の名前を出され蒼汰は目を丸くした。

「蒼汰をいじめないよう約束してもらったんだ。杉浦も反省したみたいでもう蒼汰に今後一切手を出さないって」

安心させるよう微笑むが、蒼汰は突然のことに戸惑っていた。
その戸惑いごと包み込むように、黒羽は蒼汰をぎゅっと抱きしめた。

「大丈夫だよ。どんなに遠くに離れても僕が蒼汰を守るから……」

あの夜言えなかった『守る』という言葉が躊躇いなく出てきた。
それはポケットに沈むカッターの心強い重みのおかげだったのかもしれない。

「ふふ、なんだか薫、かっこいいね」

腕の中で蒼汰の笑い声が響いた。
こんなにも心地よい感触を黒羽は知らなかった。
ずっとこの柔らかな感触を腕の中に閉じ込めておきたいとさえ思った。
しかし、それは叶わなかった。

「僕もいつか誰かを守れるように頑張らないとね」

何気ない一言だったが、黒羽はその言葉に衝撃を受けた。

蒼汰が守る? 誰を?

その誰が黒羽ではないことは確かだった。
恐らく蒼汰よりもか弱い誰か。
自分が蒼汰を守ろうとしたように、蒼汰もまた誰かを守る。
自分が蒼汰に抱いた感情と同じものがそこにはきっとあるだろう。
胸がざわついた。
孵化して無数の虫が卵から飛び出して辺りに広がるように、胸の中が黒く染まった。
守りたい、という感情とは逆の、怒りにも似た凶暴な感情がそこにはあった。

「か、薫、どうしたの? ちょっと苦しい……」

少し苦しげな声に、黒羽は我に返り慌てて蒼汰を離した。
気づかないうちに蒼汰を抱きしめる腕に力が入ってしまったようだ。

「ご、ごめん、その、初めての転校で心細くって、つい」

咄嗟の嘘でまごついたが、蒼汰は疑うことなく優しく微笑んだ。

「大丈夫だよ、薫ならきっと。だってこんなに優しいもん」

そう言うと、蒼汰は黒羽の手をぎゅっと握った。

「僕、こんな風に家族以外の人に気に掛けてもらったの初めてなんだ。だからすごく嬉しかった。……ありがとう」

微笑んだ目元には涙が薄ら滲んでいた。

僕だってこんなにあたたかい気持ちになったのは初めてなんだ。
誰かを守りたいと思ったのも、誰かのために勇気を奮ったことも……−−。

胸の内から言葉がたくさん溢れたが、それを声にすることはできなかった。
もしここで声を出せば泣いてしまいそうだったからだ。

「それじゃあ、元気でね」

笑ってそう言うと、蒼汰は黒羽の手を放した。
手の平に残った蒼汰の手の感触と体温を、惜しむまもなく冷たい風がさらっていった。

「うん……、蒼汰も元気でね」

言いたい言葉は他にもっとあったが、それを形にすると制御がきかなくなりそうで怖かった。
蒼汰は笑顔で手を振って公園から去って行った。
一人残った黒羽はポケットの中のカッターを握りしめた。
しかし、勇気や心強さは全く湧いてこず、ただただ寂しさが胸の中に広がった。

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