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同人誌『殺し屋のはじめての殺意』のお知らせ【通販あり】
番外編C『殺し屋は初恋を実らせたい』

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 信じる、ということは疑うよりも難しいものだと加賀井は鳴らないスマホをじっと見詰めながらつくづく思った。
 
 正式に付き合うようになって一ヶ月が経とうとした時、白月の再就職が決まった。何の前触れもなく「就職が決まった」との報告を受けた時は慌てふためいた。
 前に「生活費は自分が出す、むしろ出させて欲しい。だから仕事に就かないでくれ」と頼んだことがあったがすげなく一蹴された。
 情けない話だが、金以外に繋ぎ止める方法しか自分にはない。そのことを正直に白状すると、白月は呆れた様子で溜め息を吐いた。
「それじゃあまるで俺が加賀井を金づると思ってるみたいじゃん」
「別にそういうわけじゃ……」
 確かに白月は加賀井の金が目当てで付き合っているわけではない。そのことはよく分かっている。
 だが就職することで、経済的にも自立し、人間関係も広がり、あらゆる選択肢が増えてくる。その多くの魅力的な選択肢の中で果たして自分は選び続けてもらえるだろうか、と不安で堪らなくなるのだ。
 しかしそんな女々しいことを口にすれば、白月がますます離れてしまう。だからといって、諸手を挙げて祝えるほど心に余裕はない。
 ふて腐れるように黙り込んでいると、白月がまた大きく溜め息を吐いた。だが、その溜め息は仕方ないなというような優しいもので、響きは柔らかい。
「そんな心配するなよ。少しは俺の気持ちも信じろよ」
 そう言って優しく抱き締められると、加賀井はそれ以上何も言えなかった。
 付き合う前は、たとえ演技でも、自ら抱き締めてくれることはあまりなかった。それがこうして少しずつではあるが体に触れてくれる回数が増えてきている。今は演技の必要もないのにだ。
 そう考えれば、この腕も言葉も、演技ではない。信じるべき本心なのだ。これ以上、未来への不安と疑いを口にしたところで意味はない。
 加賀井は口を結び、愛しい人の体をぎゅっと抱き締め返した。
 
 それが数日前のことだが、腕の中にいた人は今はいない。
 ソファに横になり、見飽きたスマホの画面を見詰める。時刻は深夜零時五十分。白月からの連絡は未だない。
 加賀井は沈鬱な表情で溜め息を吐いた。
 今日は白月の会社の歓迎会だった。可愛い白月を理性が弱まる酔っ払い共のところへ行かせるのが嫌で断固反対したが、主賓であるため絶対参加だとすげなく一蹴されてしまった。本当は嫌で堪らなかったが、ここで子どものようにごねては
 白月に見限られてしまうかもしれない、と加賀井はぐっと堪え、飲み会が終わったらすぐに自分の家に来ることを条件に渋々引き下がった。
 主賓なので恐らく二次会まで行くだろうということだったが、それでも遅すぎる。
 変な輩が白月に手を出していないか気が気でなかった。自分も店に行き見張ろうと思っていたのだが、白月に店の場所を訊くと「教えたら絶対店に来るだろ? だから教えない」とこちらの考えを見透かした言葉を返されてしまった。
 かくなる上は尾行しようかとも思ったが、バレたら白月の機嫌を損ねてしまうことは目に見えていたのでやめた。
 飲み会の間の数時間をやり過ごせば、白月が家に来てくれるのだ。そう自分に言い聞かせ耐えようとしたが、やはり落ち着かない。
 こうした時、決まって吸い寄せられるようにスマホで通販のページを開く。
 今までに何度出し入れしたか分からない手錠をカートの中に入れる。もちろん購入ボタンは押さない。あの日、白月を信じることを決め手錠は捨てたのだ。
 しかし強い不安に駆られると、こうしてカートに入れてしまう。買うつもりはないが、あとひとつボタンを押せば彼を捕らえるための準備ができるのだと思うと仄暗い安堵が胸に満ちるのだ。
 カートから商品を出してスマホを閉じると、亀のイズミを水槽から出し膝の上に乗せた。
「ほらイズミ、おやつだぞ」
 優しく言って人参スティックを口先に差し出すが、イズミは迷惑そうにのっそりと顔を背けた。
 不安になるたび、こうして餌をあげているのだ。イズミも満腹なのだろう。それでもこちらのイズミにまで振られてしまったようで、加賀井はますますうなだれた。
 イズミも相手にしてくれなくなったので、仕方なく水槽に戻した時、インターフォンの音が鳴り響いた。
 連絡は入っていないが白月に違いない。加賀井はインターフォンの画面に飛びついた。画面には待ちに待った白月が映っていたが、ゆらゆらと危なっかしく揺れていた。
『加賀井、着いたー。あけてー』
 酔いが滲んだ舌っ足らずな声で白月が言った。その普段見せないあどけなさに頬が緩む。しかしこんな可愛い姿を他の男にも見せたのかと思うと心情は複雑だ。
「分かった、今鍵を開けた。一人で部屋まで来れるか?」
『うん、大丈夫ー』
 ひらひらと手を振ってエントランスの扉を抜けていく白月を見送ってからモニターを切った。
 防犯のため、加賀井のマンションではエントランスで一度来訪者を確認した上で扉を家主が解錠するシステムになっているが、あとエレベーターを昇るだけのこの時間がこんなにももどかしいと思うのは初めてだ。
 加賀井は玄関の扉を開け、白月がやって来るのを待った。酔って足取りがあまりよくないためだろうか、それとも待っていた時間が長かったせいだろうか、エントランスから部屋までやって来るのがいつもより遅い気がして落ち着かない。
 ようやくやって来た白月は、いかにも酔っ払いといった風な足取りで、左右の壁にぶつかりながらこちらに向かってきた。
「白月、大丈夫か?」
「んー、だいじょうぶー。でもちょっと飲み過ぎたかな」
 へらりと無防備に笑う白月は可愛いが、飲み会の間ずっとこの調子だったのだろうかと思うともやもやした。
「とりあえず部屋に入ろう」
 肩を貸して体を支えた瞬間、ふわりと嗅ぎ慣れない臭いが鼻先をかすめた。煙草の臭いだ。白月は煙草を吸わない。となると、他の誰かのものが移ったのだろう。微かに臭う程度なので、べったりと接触したわけではなく部屋に漂う煙が染みついたのだろうとは思ったが、それでも他の人間の匂いが白月を汚すのは不愉快極まりないことだった。
「……白月、今日煙草吸ったか?」
 吸わないことは分かっているのに、わざと訊いた。
「いやぁ、吸ってないよ。もしかして臭う? 部長とかが吸ってたからかなぁ」
 くんくん、と白月が自分のスーツを嗅ぐ。
 そんな何気ない仕草ひとつをとっても恋人はひどく可愛らしく魅力に満ちている。その魅力に気づきときめくたびに、他の誰かもこの魅力に惹かれてしまったらどうしようという不安とまだ見ぬ相手へ怒りを覚えるのだった。
 玄関に入るやいなや、加賀井は白月を玄関の廊下に降ろした。そしてその上に覆い被さり性急なキスをする。
「……ん……っふ」
 酔いが回っているせいで状況を上手く飲み込めずにいるのだろう。口の中へ舌を滑り込ませても、抗うことなく受け入れた。積極的に動きはしないが、絡みつく舌にされるがままだ。
 口内には酒の匂いや味が色濃く残っていた。酒の匂いや味が嫌いなわけではないが、あまりそこまで酒に強くない彼がここまで呑むということは、それを勧めた人間がいるということだ。その人間の影が酒の名残にちらつき、苛立ちは募るばかりだ。
 その忌ま忌ましい影を掻き消すように舌を動かし、唾液で酒の味を薄める。
 しかしそれだけではまだ足りない。煙草の臭いが染み込んだ服を剥ぎ取り、露わになった肌に消毒をするように満遍なくキスをしたい。そして、口で言うほど抵抗は見せず、むしろ健気に吸い付いてくるあの可愛らしい孔に自分のモノを咥えさせ、マーキングのようにナカへ精を注ぎたい。
 欲望は卑猥な方向に加速し、呼吸に疚しい熱を帯びさせる。
 もちろん、白月の同意なく勝手に事を進めることはできない。加賀井が今何よりも恐ろしいのは、白月に嫌われこの関係を絶たれることだ。
「……っ、白月」
 唇を離し、懇願するように名前を呼ぶ。しかし白月から返答はなかった。
「…………寝てる」
 唾液で濡れた唇からすうすうと漏れる可愛らしい寝息に、加賀井は肩を落とした。
 一瞬、このままやってしまおうかとも思ったが、やはり白月の不興を買うのは恐い。仕方なく白月の体を抱き上げ、寝室のベッドまで運んだ。しかし煙草の臭いが移った服はどうしても許せず脱がせて、そのまま服はゴミ袋に入れた。
 加賀井もベッドに入り、白月を抱き締めその柔らかな肌を堪能していると、くしゅん、と白月が小さくくしゃみをした。風邪を引かせては悪いと思い、父のシャツを借りようとクローゼットへ向かう。父も男にしては小柄だったので、自分のものを着せるよりサイズはちょうどいいだろう。
 父のクローゼットを開けるのは久しぶりのことだった。開けた途端、不快というほどではないが空気の淀んだ匂いが鼻腔を微かに湿らせた。
 加賀井の父――加賀井宗昌(かがいむねまさ)は、行方不明ということになっているが、仕事に出たきり帰らないので恐らくこの世にはいないのだろう。
 だが、あの掴み所のない飄々とした男のことだ。もしかするとどこかで生きているのかもしれない。
 決して生きていて欲しいという願望ではない。とっくの昔に成人し、金にも困っていない今、昔のように養育者は必要としない。
 しかし白月と過ごしていると、そういった加賀井にしては幾分感傷的な推測が胸をよぎるのだ。それは、白月が好きな漫画『ババコン』を通して初めて宗昌を父親のように感じたからかもしれない。
 シャツを探していると、足元に宗昌の物にしては可愛らしい木箱を見つけた。それが何かをすぐに思い出した加賀井はその木箱を手に取った。
 そしてゆっくりとその木箱を開けた。封じられた年月を感じさせるように、蝶番がギィ、と軋んだ。



(中略)


 もし、このまま鍵を閉めたら、白月は小屋から出られない。外に出なければもう山下と話すことはない。そうなれば山下と比べて苦い劣等感に振り回されることもなくなる。自分だけの、白月になる。
 馬鹿げた考えだった。いくら鍵をかけたとしても大人が来れば鍵を壊して救出することなど簡単なことだ。
 非現実的な妄想だ。しかしその妄想じみた願望は、とくとくと鼓動を甘やかに加速させ、正気を蝕んでいった。
 気づけば、カチン、と南京錠の閉まる音がしていた。
 忍び足のようにゆっくりと視線を小屋の中に向ける。白月は鍵をかけられたことに気づいておらず、微笑みを浮かべてうさぎの背を撫でていた。
 鍵ひとつで白月を手に入れられたような気持ちになり、その全能感にも似た高揚に胸が高鳴った。どろりと胸の内から溢れる甘い熱にうっとりとなる。ずっとこのまま時が止まればいいと思った。


(中略)


 胸から溢れ出た不安が操るように加賀井の指を動かし、スマホで通販のページを開かせた。
 そして、手錠、足枷、鍵……とにかく白月を自分のもとに縛り付けることができる道具を見つけては、手当たり次第にカートへ入れた。
 カートの中にずらりと並ぶ牢固な品々を見ると、少しだけ心が穏やかになる。それは子どもの頃、引っ越し先に白月も一緒に連れて行こうと道具を揃えた時の気持ちと少し似ている。だが、あの時のような心強さはまだない。
 この商品が実際に家に来れば、あの時のような万能感にも似た安堵を得られるのだろうか。加賀井は今まで押さなかった『購入』ボタンに手を伸ばそうとした。
 だが、指先が画面に触れるギリギリのところで思い留まった。
 まだ別れ話を切り出されると決まったわけではない。「話したいことがある」という言葉に自分が過敏に反応し、短絡的な妄想が暴走しているだけだ。
 ゆっくりと深呼吸を繰り返しながら自分に言い聞かせ、スマホの画面を閉じた。その指は何かに抗うように微かに震えていた。
 白月の信用を裏切るような商品を買わずにすみ、ほっと胸を撫で下ろす。これらを買ったが最後、加賀井は自分を止められる自信がなかったからだ。
 しかし白月の家を訪ねる日まで、カートの中の商品を削除することはついにできなかった。

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