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小話
猫の日 ヴァンとガイ ヴァン視点
それはヴァン・グランツ謡将がキムラスカ出立前の事。

ダアトに残る副官と打ち合わせ中に、会話が途切れる。訝しげに自分を見上げてくる金色の髪を煌めかせる副官相手に、珍しく言いよどむ。
顎に生やした髭をひと撫でしてからようやく口を開く。
その言葉に、美しく優秀な副官は少し眉を顰めて、確認するように問いかける。
「猫…ですか?」
「うむ、猫だ」
開き直ったのか、何かおかしいのか、と言わんばかりの態度になったヴァンに対し、正気ですか、と言わんばかりの鋭い視線で射抜く。
その視線の勢いに圧され、重い口を開いて事情を説明する。


一週間程前、執務を終えたヴァンが部屋に戻ると窓が細く開いていた。
部屋には侵入の形跡もない。世話係が窓を閉め忘れたのだろうと窓際に近寄ると、足元から「にゃあ」とちいさな声が聞こえる。
声のするほうをみると、猫が一匹、ヴァンの脚に顔を擦りつけている。
内心酷く戸惑ながらも顔にでないこの男は、脚にじゃれ付く小さな猫を抱え上げる。
月明かりだけでもわかる金色の短毛種。小さな顔の三分の一は占めるその大きな瞳は晴天の空の色だ。
野良だろうか。野良ならば抱え上げられた時点で、激しく抵抗して逃げているだろう。
ならば飼猫か。よく見ると首輪のようなものをしている。緑色のリボンに、迷子札なのだろうか、金色の丸い札がぶら下がっている。
裏を引繰り返すが、飼い主の連絡先はおろか名前も何も刻印されていない。
何のための首輪なのだ、とヴァンは口の端をあげて皮肉げに笑う。
ファッションの一部という事なのだろう。昨今のペット事情は必要以上に犬猫を着飾らせたがる傾向にあるからな。
そんな時、ふと、ヴァンの脳裏をある人物が過ぎった。

似ている。
いや、冷静に考えれば似ているはずもないのだ。
相手は成人男性で、こちらは猫だ。
だというのに、ヴァンは笑う。とびきりの笑顔で。「ガイラルディア様、いかがされました」と問い掛けもする。
この光景を部下が見たら卒倒ものだ。数日は悪夢にうなされるだろう。
それに応えるように猫が鳴く「にゃあにゃあ」
言葉もわからぬというのに、ヴァンは「小腹でもすきましたか」と問うと、「んにゃあ」と先程とはワントーン高い声で猫が応える。
「ガイラルディア様は魚が好きでしたな。今日は無理ですが、明日用意させましょう」
そう告げると、今日ではない事が残念なのだろう、耳と尻尾をだらんと下げて「なああ」と元気なく返事をする。
「一緒に寝て差し上げますから」とヴァンが笑うと、ヴァンに抱えられたまま「んなおう」と打って変わって明るい返事をする。
片付けておく書類はあったが、腕の中に小さな猫を抱いて、ヴァンはそのままベッドに入る。
ヴァンの腕を枕にして、気持ちよさそうに喉をゴロゴロ鳴らしている。
腕からポカポカと温もりが伝わってきて、ヴァンはそのまま眠りに落ちる。

翌朝目覚めると猫の姿はもうなかった。
昨夜同様、窓は細く開いている。
少しばかりヴァンは思案して、部屋係に向けて「窓を少し開けておくように」とメモを残す。
夜も更け、部屋に戻ってくると、部屋係は言いつけ通りに窓を少しばかり開けておいた。
待ちかねたとばかりに、部屋の中で猫が「にゃあ」と鳴く。
まるで出迎えてくれているようだ。
「昨日の約束通りに魚料理です」
そう言って用意させておいた白身魚のクリームソース掛けの皿を差し出すと、しっぽを盛大に振って喜んでいる。
一気に食べ終わると、前足で顔を洗い、舌であちこち舐めて毛繕いをしている。
動作一つ一つをヴァンは微笑ながら見守り、猫に話しかける。
「ガイラルディア様はお魚が昔から好きでしたな」「ホドは海に囲まれて、新鮮な魚介類が豊富でしたからな」「そういえば一度魚の骨が喉にささって大変な騒ぎになりましたな」
思い出話に猫はそのたびに律儀に鳴いて返事をする。
穏やかな時をすごし、最後は共にベッドにはいって眠りにつく。
安堵した顔で眠る猫をみて、ヴァンも嬉しくなる。

そうして穏やかな夜を何度も過ごした
だが、明日からヴァンはキムラスカに向けて出立しなければならない。船旅のため、一ヶ月は此処に戻ることはない。
「ガイラルディア様、私は明日から一月程こちらには戻りません」
「うなあ」
寂しそうに鳴く猫の頭を撫でながら「寂しくなります」とポツリと零すと、猫はヴァンの手を舐める。
ザラリとした猫の舌の感触にヴァンは目を細める。
「ガイラルディア様も寂しいのですか?」と尋ねると「んにゃあ」と元気のよい返事が返ってくる。
「あなたが大きくなられたのに、私は変わらずこうして頭を撫でてやりたくなる。人間のガイラルディア様はもう許してはくれないだろうから、お前は今日私に撫でられてくれるか」
「にゃあ」
ヴァンが頭を撫でる度に目を細めて、喉を鳴らして喜ぶ。
そうして最後の夜を一人と一匹は過ごした。


「猫が迷い込んでいるのですか」
「うむ。朝になれば姿を消す。だが、夜の間は私の寝台で寝かせてやってくれ。あと、よければ魚料理を食べさせてやって欲しいのだが」
「閣下がそう仰られるのならば」
有能な副官はヴァンの要望を受け入れた。


船上で後ろ髪をひかれる思いのヴァンに、伝書鳩が副官からの伝達を届ける。
小さな紙には、ヴァン出立後から猫の姿は一度も見かけてはいないと。寝台に猫の毛も落ちておらず立ち寄った形跡がない事。食事も手付かずのまま。という事を簡潔にしたためられている。
そのような気はしていた。ふうっとため息をつくと、紙を小さくちぎって、海に流した。
キムラスカに滞在している時に、公爵家に立ち寄る事となる。
ルークの剣の稽古のため中庭に出ると、丁度ガイと鉢合わせる。
途端、耳まで赤くするガイに、ヴァンが人目を気にしながら小さな声で問いかける。
「ガイラルディア様、いかがされましたか」
うっとうめくと、手で口を覆い目を逸らしながら、大層言いにくそうな様子で、言葉を紡ぐ。
「変な夢を見てな。俺が猫になってお前に甘える夢で……い、いや、別に変な意味じゃないぞ。ただ、一週間程毎日見ていたから。なんというか、気恥ずかしいな」
「……それはそれは。ガイラルディア様が猫ならば大層可愛らしいでしょうな」
「からかうな」
「からかってはおりません。魚料理を欲しがり、一緒に眠って、そして素直に私に頭を撫でられてくれるでしょうな」
その言葉に弾かれたようにガイはヴァンを見上げる。視線があって、少しばかりの沈黙の後、二人は同時に笑う。



甘えたい人と、甘やかしたい人。

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