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愛人 読みきり連作
番外編 ヴァン 深淵 中編
私は知っている。
世界はあっけなく壊れるものだと。
そして壊れてしまった世界は戻ることは無い。時は巻戻ることはない。
戻る術はなくとも復元する事は可能だ。だからこそ失われてしまった世界を、人を、そして未来を創る為に私は動いている。
では。
人の心はどうであろう。
私が発した言葉で、今、二人の関係は一つの終焉を迎えた。
過去の情景を共有し、慰めあい、共に誓い合い、ただひたすら優しく心地良い。
互いに必要以上踏み込む事をしようとはしなかった。
その長く優しいだけの関係は、こんなにもあっけなく破綻を迎える。

************

酷薄に嗤いながらの問いかけは、驚愕に目を見開いていた彼の表情を苦しげに歪ませる。
彼を押さえつけている手に力が篭る。
「お答え下さい、ガイラルディア様。
御家族の命を奪った男は、あなたの身体を奪ったのですか」
責め立てる言葉に容赦はない。逃げ道も用意はしない。
直球に言葉をぶつけて、彼の心をひたすら切り刻んでいく。
彼の心が激しく軋み、悲鳴に似た音をあげている事さえ手にとるようにわかる。
耐える様に口をぎゅっと結び、ゆっくりと首を振る。縦に。


それ以上は彼を見る事が出来ずに俯く。
組み敷かれたままの彼からは私の表情は窺い知れまい。
まず腹の底から込み上げてきたのは、笑いだった。
彼を組み敷いている状況でなければ、腹を抱え声をあげて笑っていただろう。
なんと出来の悪い滑稽な喜劇だ。
根底から世界を覆すために様々な画策を施して、人心を掌握し、掌で転がしているつもりでいながら、大事なものをとうに奪われた事にも気付かずに踊る愚者。
ああ、全く、どこまでも可笑しい。
ああ、全く、どこまでも世界は私に容赦ない。
笑いの衝動が収まると、次に沸き起こるのは憤怒に似た激情だった。
彼を喰らってしまえばこの激しい感情はおさまりを見せるのだろうか。
残る痕跡を全て消し去るように、貪るように、奪うように抱いてしまえばこの心を静める事が出来るのだろうか。


俯いて押し黙った私の心情を彼は間違って読み取る。
「軽蔑…したか」
ピクリと肩が動く。
軽蔑?誰が?誰を?
愚鈍になった思考では彼の言葉に沈黙で応えるしか術がなかった。
「俺に剣を捧げてくれたお前を手酷く裏切り、お前の誇りを踏みにじった。ごめんな」
何故私の誇りなど。矜持などとうの昔にかなぐり捨てた。
声が震えている事にようやく気付く。ゆっくりと顔を向けると、静かに涙を零している彼と視線があう。
瞬間、全てを焼き尽くすような熱い衝動が霧散する。


軽蔑など出来るわけもない。
こんなにも、愛おしい。
奪えればどんなに楽なのか。
心など必要とせずに、身体に私を刻み込み貪り尽くす事だけで充足するほど容易い想いならば。
それで満足できるほどの恋情ならば、どのように楽なのか。
あの島で二人でよく見上げたあの蒼い空と、同じ優しい蒼が涙で揺らいでいるだけで平静ではいられなくなるほどに、私はあなたを。
あなただけを。


零れる涙を無骨な指で拭う。
彼の四肢の拘束をといて、ゆっくりと手を差し伸べて上体を起させる。
戸惑う彼をゆっくりと抱き締める。優しく、怖がらせぬように。
そっと「何があろうとも私はあなたのおそばに」囁くと、腕の中で小さく身体を揺らす。
ゆっくりと頭を撫でて、それから柔らかな金糸の髪を梳く。
耳の周囲をなぞる様に、何度も梳き撫でる。溢れるいとおしい想いが、無骨な指を優しく動かしてくれる。
彼の頭を押し付けている胸のあたりがじわりと濡れて、小さな嗚咽が漏れる。
「……うっ……」
髪を撫でていた手を背に回して、ゆっくりと上下に擦る。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
腕の中で彼が小さな声で呟く。
「俺は、お前に優しくされる資格がない」
「公爵の無理強いなのはわかっております」
「違う……。
嫌だったんだ。凄く怖くて…嫌だったはずなのに。
よ、悦んでいるんだ。だ……だかれる…事に」
「…ガイラルディア様は体質上女性と触れ合えませんからな。
初めての性体験というものは刺激性が強いため、錯覚をよび」
「違う!!」
私の言葉を遮って、顔をあげて反論する。
「俺は……お前に…劣情した。
この前、優しく慰めてくれたお前の腕で醜く浅ましい願いを抱いた。
俺はお前に抱かれたいと思った。
お前の優しさを汚した」
目尻を赤く染めて、涙を流して、断罪を請うように私を見上げる。
先日、想いはあったのだ。なんともどかしい事だ。
時は巻戻らない。
だが、復元する事ならば出来るのだ。


涙で濡れた目尻に軽い口付けを落とす。
驚いたように見開かれた蒼い双眸に、殊更優しく微笑んでみせる。
「汚されたとは思いませんな。そう思っていただけて光栄です」
「……ばかだな。知らないぞ」
「何がです」
わざと問いかけると、顔を赤くして早口で捲くし立てる。
「今もお前に劣情しているのに、そんな呑気な事言っていると俺から食われるぞ」
ふむ、あなたに食われるのも面白いかもしれませんな。
そう口にしながらゆっくりと顔を近づける。
唇が触れて、眩暈のするような甘い時が動き出す。


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