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愛人 読みきり連作
陥落 中編
人目を忍んで部屋を訪ねてきた幼馴染を迎える。
第五音素が揺らめくランプを手にしたヴァンデスデルカは、音もたてずに部屋にはいってくる。
「久しぶりだな、ヴァンデスデルカ」
「息災でなによりです、ガイラルディア様」
ヴァンデスデルカが俺の向ける笑顔はあの時と変わらずに穏やかで優しい。
ヴァン・グランツ謡将という仮の名前を纏う昼の彼は、威厳に満ちている。
だが、今、目の前に立つ男は、昼間の様相の欠片も残していない。


使用人の部屋は最低限の家具しか置かれていない。
客人にすすめる椅子さえないので、自然とベッドに並んで腰を落とす事になる。
シングルのベッドに男二人、しかも一人は立派な体躯をしている、貧弱なスプリングが悲鳴をあげるように軋む。
目の前には主を失ったベッドがそのまま残されている。
そっちに座ればいいのに、と思いながらも、ペールギュントのベッドに腰を下ろす事を回避するその心情も理解できる。
いつもペールギュントはあそこに座って、俺の愚痴をにこにこした笑顔で耳を傾けてくれていた。
過去の情景を思い起こしていると、頭の上に温かな手が置かれる。
置かれた手の持ち主の方に視線を移す。
寂しげに目を細めながら、耳に心地良い低音で問いかけられる。
「何故、私を頼ってくださらなかったのですか」
ペールの急逝後あの事が起こって、屋敷を飛び出してヴァンデスデルカの元に身を寄せようと考えた事は何度もあった。
だが、この屋敷で使用人をしていた俺が、ヴァンデスデルカのそばにいる事は、彼の立場を危うくするのではないかと危惧した。
そして、俺がいなくなったら、あいつはどうなるんだろうか、と殺すはずだった赤毛の子供の事が心に引っかかってしまっていた。
何故それが引っかかってしまったのかは今でもわからない。
「もう少し、俺はここでやりたい事がある。それにお前も俺がいると何かと便利だろ。何か動きがあったらお前に知らせられるしな」
「それは確かですが、それ以上にガイラルディア様に危険な事はして欲しくはないのです」
「ありがとう、ヴァンデスデルカ。でもごめんな、もう少し俺の好きにさせてほしい」


赤毛の子供は殺せなくても、公爵ならば躊躇いなく手にかけられる。
好機は掴んでいた。愛人になるという、辱めを受けても、それは裏を返せば絶好の機会だった。
それは失われてしまったが、執務室で仕事をしていけば光明はある。
帯剣はまだ許されていなかったが、時が経てばその機会にも恵まれる可能性もあるはずだ。


すると身体が熱で包まれる。
ヴァンデスデルカの腕に抱かれているのだとわかるのに、少しばかり時間を要した。
ヴァンデスデルカの肩に顔を埋めて、温かさを感じ、そしてヴァンデスデルカの匂いが鼻腔をくすぐる。
「無理をされているのではないですか」
問いかける声はどこまでも優しい。そこには昔と変わらないヴァンデスデルカがある。

だが

耳元で囁かれた低い声はそのまま鼓膜を溶かして、身体の内部まで浸透し、燻り続けているままの熱を煽る。
ぞくりとしたものが背筋を走り、腰に甘い疼きが生じる。
鼻腔をくすぐるヴァンデスデルカの匂いは、幼い頃と違い男を感じさせる。
奥底に押し込んでいた熱が一気に膨れ上がり理性を鈍らせ、衝動的に広い背中に縋って、恥も外聞も投げ捨てて請いたくなる。
ぎりっと奥歯をかみ締め、ヴァンデスデルカの身体を離す。
視線を落としながら「悪い。もう部屋に戻ってくれないか」と絞りだすように言う。
ヴァンデスデルカの刺すような視線が俺に向けられているのはわかるが、顔をあげる事が出来ない。
ギシリとベッドを軋ませて、ヴァンデスデルカが立ち上がる。
「無礼な真似をしました。お許しください」
サイドテーブルに置いたランプを手に、そのまま俺の部屋をあとにする。
扉が閉じる音をきいて、顔を震える手で覆って項垂れる。


俺は、今、ヴァンデスデルカに何を請おうとした。
抱いて欲しい、と。
幼馴染で、同じ性別の男に、俺を心配して抱き締めてくれた相手に、劣情を感じるなんて。
身の内に醜い獣を飼っている。
公爵から散々「あさましい」だの「淫乱」だの言われてきた。
心のうちでずっと否定してきたが、この有様はどうだ。
あまりにも惨めで、打ちのめされる。
思考は冷え切っているのに、身体はいつまでも熱をもっている。思考さえも絡めとろうとするように。
また今日も緩慢な夜を過ごすことになるのだ。昏い情欲を押さえ込みながら、身体を抱き締めるよう丸くなり目を瞑る。
眠気は全く訪れなかった。


客人と使用人。顔を合わせないようにするのは容易いことだった。
ルークの剣の稽古に付き合わされた時、一度だけすれ違ったが目線をあわせないようにした。
気まずくてヴァンデスデルカの顔を見る事ができなかったからだ。
背にヴァンデスデルカの視線を感じながらも、振り返らなかった。
ヴァンデスデルカはその二日後ダアトへと帰還した。


*************************


執務室の窓は天井に届くほど高い。そこから春の陽光が差し込んでくる。
もうすぐ俺の誕生日がやってくる。家族を、故郷を、優しい世界を、全てを失ったあの日が。
心がざわめく。
その時、執務室の重厚な扉が開かれた。無言で扉をあけるのは、この部屋の主だけだ。
立ち上がり儀礼的に挨拶を口にして頭を垂れる。
椅子に再び身体を落とそうとした時、強い力で腕をつかまれる。
弾かれたように顔をあげると、公爵の変わらぬ冷酷は瞳とかち合う。
そのままぐいっと身体ごと引き寄せられる。椅子が倒れるが、毛足の長い絨毯はその倒れる音さえも綺麗に吸い込む。
「だ、んな様…」
掴まれた腕が痛くて熱い。
無言で俺の身体を引き摺って、続き部屋への扉に向う。
その行動の意図がわかり、身体を捩じって抵抗する。
用済みのはずだ。一度捨てたくせに戯れにまた玩ぼうとするその心根が気に食わない。
「離せ、やめっろ」
頭の片隅の冷静なままの俺が、そういえば昔もこんな遣り取りをしたな、と呑気なことを考えている。
この変態と罵ったことも思い出す。あれは爽快だったな。
俺の抵抗など微塵も気にせずに、公爵はそのまま俺を寝室のベッドの上に放り投げる。
慌てて身体を起そうとするが、それより先に公爵が覆いかぶさってくる。
四肢を押さえつけられて、とうとう逃げることも出来なくなった。
珍しく嬉しそうに顔をほころばせる公爵を見上げる。
その瞳は獣をいたぶる前のように輝いている。
耳元に口を寄せられる。

「こうされるのを待ち望んでいただろう」

じわり、と言葉が毒となり、身体中を駆巡る。
「なにを……」
公爵の赤い髪が垂れて、まるで赤いカーテンのように周囲を覆い隠す。
「認めるがいい。私がお前を欲しているのではない。お前こそが私を欲している事に」
魅入られたように、公爵の碧の瞳から離せられない。
反論の言葉が喉に張り付いて出てこない。
力なく顔を横にふるが、ふっと嘲笑われる。
まるで獲物をいたぶる猫のように、冷酷な笑みをむけ、毒の言葉を吐く。
「では尋ねよう。何も触れていないというのにここを勃ち上がらせている理由をな」
その言葉に目を瞠って、下肢に視線を落とす。
変化が如実にあらわれるこの服に、今更ながら怒りをおぼえる。
布越しに触られて、声にならぬ悲鳴をあげる。
「さあ、答えなさい」
退路の絶たれた獲物を嗤う。逃げ場はない、認めろと、突きつけてくる。
俺が、男に、いや、公爵に抱かれたがっているのだという事を。

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