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愛人 読みきり連作
陥落 前編
ガイ17歳




季節はゆっくりと穏やかに過ぎていく。


身体の関係を強要されなくなってから半年程経っていた。
それはあまりにも突然だった。
何が切っ掛けだったのかは、今でもわからない。
だが、ある時期から、俺との関係など何もなかったように公爵は接した。
急な変化に初めは戸惑った。何か申し付けられる度に、あの忌わしい事も命令されるのではないかと、身構えていた。
それは全て拍子抜けに終わってしまったが。


噂好きのメイドの一人が、公爵の部下に若い女性がついた事、彼女がさした功績もなく有名貴族の子女でもないのに異例の出世を果たし、もう大佐まで上り詰め、少将の座も目前とされている事。
それらを絡め合わせて、どうやらその彼女が公爵の新しい愛人ではないか、という憶測を同僚に話しているのを耳にした。
公爵が数人の愛人を囲っている、というのは公然の秘密であった。
奥方であるシュザンヌ様が現国王の妹であらせられるのになんとも豪胆な方だ、などと噂好きの貴族の間ではよく話されている事だった。
だが、具体的に相手の名前が人々の口に挙がる事は今までなかった。
それほど巧妙に慎重に、磐石な足元ではあるが、些細な事で掬われぬように、公爵は行動をしていた。
そんな公爵が、メイドの間でも噂があがるくらいに、その新しい愛人に夢中になっている事なのだろう。
あの冷血な男が、誰かにのめり込む程の情があるとは信じがたいが、そのおかげでようやくお役御免となったわけだ。
素直に喜んでおくべきなのだろう。


午前は瞬く間に時がすぎていく。
早朝は屋敷の雑務の手伝いをし、それからはルークの遊び相手として剣の稽古に付き合ったり、家庭教師の課した宿題を無理やり手伝わされていた。
不貞腐れたり、我儘を言ったり、となにかと世話のやけるルークだが、相手をするのは全く苦にならない。
来週になれば、今キムラスカに滞在しているヴァンデスデルカ、いや、ヴァンがこの屋敷に数日滞在するとの事で、ルークは待ちきれない様子だ。
その事を聞かされたルークは誰の目にも明らかなくらいはしゃぎ、その様子を奥様はを目を細めて嬉しそうに見守り、公爵は冷淡に「グランツ謡将はお仕事でこちらに滞在されるのだ。お前の遊び相手ではないのだぞ」と言い放つ。
親子の情というものに、どこまでも希薄な男だ。


午後の執務室は緩慢に時が刻まれているような錯覚に陥る。
サラサラと規則正しいペンの音と、俺が捲る書類の音だけしか聞こえない、会話の全くない執務室でただ目の前の仕事に没頭する。
「仕分けは終わりました」
「そこに置いておきなさい」
「はい。他には何か」
「別にない。今日はもう下がってよい」
「かしこまりました」
まさに主人と使用人の会話だ。随分前から公爵はこのような態度で接してくる。それはあの関係が始まる前そのままだ。
俺はそれに安堵しつつも、どこか気まずさを伴った、なんともいえない感情を引き摺っている。
こちらの意思などおかまいなしに蹂躙され、強引に関係を結ばされたのに、新しく目移りする対象が現れればあっけなく捨てられた。
その事に、己の矜持が許せないのだろう。そう自分に言い聞かせる。


夜は時が止まったように感じる。
屋敷全体が寝静まっている中、一人、部屋で眠れずにいる。
身体の奥に溜まった熱を出そうと、前に手を伸ばしてみるが、もどかしさが募るだけで思ったような快楽が得られない。
「……っあっ……ああ…」
己を握る手に力をこめ、激しく上下するが、硬さを増すと共に身体の奥底が疼いて何かを欲しているのを感じて、冷静さを取り戻してしまう。
そうなると、虚しさが俺を襲ってくる。
結局自慰すらまともに出来ないまま、手を洗いに洗面台に立つ。
冷えた水が手の上を流れていくのをじっと見ながら、考える。
自分が何を物足りないと感じているのか、その事実に向き合いたくなくて誤魔化していたがさすがに限界だ。
熱の奔流に押し流されて何もかもを忘れて、ただ快楽だけを追う。あの激しさを欲している。
この上ない恥辱に、怒りで身を焦がしていたはずなのに。
冷え切ってしまった手をタオルで拭いながら、苦笑いをこぼす。
ベッドに横になり頭まで毛布を引っ張って、自分を抱き締めるように丸くなって眠る。
身体に燻る熱を持て余しながら、目を瞑って、緩慢すぎる夜が少しでも早く明ける事を願う。


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